第四話「才能とかどうでもいいから帰って」
帰宅後、冷蔵庫の扉を開けて中身を物色して考えてみたけれど、思いついたのは目玉焼きくらいだった。しかしこれがなかなか難しい料理だ。あの黄身のが流れるかどうかのギリギリラインの半熟はどうすれば作れるのか。僕が作るといつも目玉が潰れてしまいスクランブルエッグへと変身する。
卵を両手に悩んでいるところへ、功兄は早くも帰って来た。
「功兄、おかえり。意外と早いんだ?」
まだ午後六時前だ。教師は公務員だけど、てっきり残業が多いものとばかり勝手にイメージしていた。
「可愛い甥っ子が一人で留守番しているんだからね、がんばって仕事終わらせてきたよ」
周りの先生からも事情を汲んでもらったそうだけど、可愛い甥っ子ってのは気恥ずかしい。もう大きく成長してしまった男子高校生だ。それを読んだが如く、
「今は男の子でも危険な時代だからね」
と、功兄は真面目に付け加える。
尚更、止めてよと思ったものの、確かにそれは大げさではない。たまにニュースで被害を聞くと気持ち悪くなる。怖くなるんじゃなくて、だ。さらに僕は「狙われやすそう」と、根拠もなく友人に真面目に言われたことがある。……せめて、犯人はきれいなお姉さんがいいな。
「もしかして、夕飯作ってくれようとしてたのか?」
流し台の上に置いてある卵のパックを見て功兄が言う。
「うん。目玉焼きの予定を急遽変更して、出来上がったスクランブルエッグがコレだよ」
「ハハハ、なんとなく分かるよ。なかなかおいしそうじゃないか。今日は疲れてるだろうから、ゆっくりするといいよ。夕飯は、オムレツ好きだったかな?」
「オムレツ……!」
冷蔵庫の中のひき肉を見て、すぐにハンバーグを予想したけれど、外れた。目玉焼きを作ろうと思ったのも、上に乗せたらどうかなという考えからだった。
「ハンバーグの方がいい?」
しかも、どっちにもなるなんて!
「んーオムレツがいいかな。母さんはあまり作らないから」
「オムレツは具を巻くのが難しいからね。しかも三人家族だと三個分だもんね、そりゃ大変だよ。よし、今日は腕の見せどころだなぁ」
全ては甥っ子のために。何だか少し泣けてくる。そういや功兄って彼女いないのかな? と詮索する。いたら、女子があんなにキャアキャアしないか。やっぱ、ただの〝推し〟じゃなくて、心の奥底では教師と生徒の禁断の愛を夢見ているはずだ。
「先、着替えておいで。三十分くらいしたら、できるからね」
「うん、わかった」
と、一旦離れへと僕は戻る。
部屋に入るなり、ドサッと登校時よりも一、五倍は重くなっただろう鞄を机の上に置いた。その中身は教科書に加えて、コピーしてもらった全教科のノートだ。今夜から復習という名の、ほぼ独学が待っている。「分からないところは、何でも聞いてね」と、語尾にハートマークをつけて学級委員の女子は言ってきたけれど、後に求められる見返りが面倒そうだ。それこそ、功兄に教わればいいのかもしれないけど、そこまで甘えてしまうのは気が引けた。今も僕のために手の込んだ夕飯を作ってくれているのだから。いや、きっと一人暮らしでもクオリティの高い料理を作るんだろうけど。
ピコン──
スマホのラインの通知音が鳴る。
『夕飯、なに?』
学級委員の女子からだ。早速、身辺調査が始まったようだ。きっと僕の返信はグループ内で話題の餌食にされるのだろう。
『オムレツだよ、葛斎先生が作った』
と、相手が今一番知りたがっているだろう情報を素早く読み取って返信すると、パパっと着替えて母屋へと向かった。
母屋と離れを行き来するには、いちいち玄関の出入りが必要だった。その距離は七メートル程。砂利が敷かれた庭の中で石畳の上を歩いて渡る。周りは塀に囲まれと植木がいくつかある。一見どこかの御屋敷って感じだけど、ドのつく田舎ではこのような家は普通だ。
母屋の縁側に祖父が育ていた盆栽が棚に並べられていた。少し元気がなさそうだけど、まだ枯れてはいない。今度手入れしてみようかな。無趣味の僕は、その時々でやりたい事をやる。それはそれで、何時からゲームのイベントだ! ドラマだ! とか、時間を制限される事はなく気楽で良いと思っている。
玄関を入って居間のドアを開けると、台所の方からバターの濃厚で甘い匂いが鼻から口へと広がる。食べなくても美味しいと伝わってくる。
「文也、ちょうどできたよ」
功兄がフライパンから平皿へとオムレツをトンと転がすよう乗せると、くるんと具が包まれた。まるで手品のようだった。
「サラダはドレッシング? マヨネーズ?」
「両方」と僕は答えると、功兄は苦笑した。両方同時にかける訳じゃない、二つの味を楽しみたいだけだと教える。「なかなか、合理的だね」
食卓のテーブルに椅子で座ると、僕たちは「いただきます」と給食の時間のようにちゃんと手を合わせた。
「クラスはどうだい? 馴染めそうかい?」
「うん、大丈夫だよ」
腹ペコの僕はご飯を口にかきこみながら喋る。肉汁たっぷりのオムレツは白ご飯と相性抜群だった。
「良かった」
功兄は安堵したようホッと息をつく。
「勉強の方は、ついていけそうか?」
「うん、親切に学級委員の子がノートをコピーしてくれたから、後で勉強するよ」
よくよく考えてみれば、担任の甥っ子が成績低いなんて、僕はともかく、功兄に申し訳ない。僕の学力は真面目に勉強していれば平均的だけど、ここの学校は偏差値が高い進学校だ。のん気にしていては置いて行かれる。
「分からないところは、クラスメイトに聞くといいよ。仲良くなるきっかけだしね。それでも解決しない場合は、兄ちゃんに聞くといい」
そこは担任教師として、平等に贔屓はしないようだった。僕も特権をずるく利用するつもりはない。一時は一人暮らしになるかもしれなかったところへ、功兄が僕の世話を買って出てくれたおかげで、こうして家事の心配もなく学業に専念できるというものだ。恩返しのつもりで頑張ろう。
「そういや、文也。部活は書道部に決めたんだってね?」
僕は重大な事を思いだして、箸を持つ手をピタリと止める。
「そうだよ、って、何で知ってるの?」
「正堂からだよ」
てっきり林田かと思いきや、正堂さんがきちんと報告してくれていた。何だか嬉しくなり、つい口元を緩めそうになって引き締める。
「……あの部、なんか変……というか、変わってるね?」
「そうか? どの辺が?」
「なんか、妙な模様が書かれた半紙が吊られてあったり……いや、あれってフツー新聞紙の上で乾かさない?」
「全部床の上に置いていたら、歩くところがなくなっちゃうからだよ」
「それって、一体どんだけ書いてんの?」
「んー、正堂には書いた作品を全て乾かして保存するところがあるからね」
「それって、失敗作がないって事?」
功兄は茶碗の上に箸を置き、湯呑の茶を一口含むと、
「正堂が言うには、書いた字は全て〝生きてる〟って。だから、失敗作って概念がないだよ。書かれた全ての字には意味があって生まれたんだってね。一筆一筆に〝命〟が吹き込まれているって。兄ちゃんはそれを聞いて、とても感銘したよ」
じゃあ、あの目玉も生きているというのか。それは、ちょっとゾッとする。
「とりあえず、何事もやってみるのが一番だよ。兄ちゃんも時々、顔出すからね。頑張るんだよ」
「うん。あっ、功兄。書道具って持ってる? 僕、持って来てないっていうか、多分ダメになってる」
「あぁ、書道具か。兄ちゃんのは確か、じいちゃんの書斎だったかな。まだあったかなぁ?」
「分かった、探してみるよ」
そういや、昨夜の巻き物と半紙はどうなったのか。自然に考えるとどうもなっていないはずだ。ついでに一まとめにして片付けておこう。
僕はお腹いっぱいに満足に食事を終えると「ごちそうさま」と、自分の食器を台所のシンクへと運ぶ。
「文也、お風呂は?」
「後で、埃被ってから入るよ」
そう言って、足早に離れへと向かった。
◇
書斎の前で立ち尽くす。
昨夜は引っ越し作業に疲れ切っていた。そうだ、豪雨に遭ってから、これまでの蓄積された疲労により、あんな幻覚を見たんだ。
いや、でも地震があったのは本当だ。待てよ、そうか地震によって大量の巻き物で頭を打った。そのせいだ。
そうだったのか。これで摩訶不思議な現象の謎は解けた。
ふすまに手を掛けようとして、
――……タ
――……キタ
ひそひそした声のようなものが聞こえる。
――……シア
――メシアサマ!
ダンッと僕は勢いよくふすまを開けた。
「誰が、メシア?」
――キャー
――キャー
部屋の電気を点けると、昨夜見たのと同じ〝チビガエル〟たちが悲鳴を上げて走り回っていた。
「こりゃ、静かにせんかっ!」
と、喝を飛ばした声の主は、親分的な存在の〝カエル〟だ。
「大変失礼した。文也殿、今日もお会いできて嬉しいですぞ」
「……僕は全然」
頬をつねってみたが、フツーに痛い。やはり夢ではないということか。そして、今日もこのカエルたちは〝生〟ではなく〝漫画〟的なビジュアルで現れ動いている。
もしかして、これは異世界というやつか。だけど僕はまだ生きている。……はずだ。まさか豪雨の土砂崩れですでに亡くなっているとか? それで転生? いや、ないない。
でも、この世界に正堂美也子がいるのであれば――それでいい。
「文也殿、何をそんなに苦悶されておられるのじゃ? ハッ、わしらを復活させるという、重大なお役目。プレッシャーというやつでござるな?」
「いや、待って。だから、何で? しかも、僕なワケ?」
これが現実世界だとして、何故僕がこのカエルたちが描かれた絵巻きとやらを復刻させなければいけないのか、それが一番の疑問だ。
「ふむ。それはじゃ、至極簡単なこと。お主が特別な才能と能力を持ち、この〝時〟に生まれた。それ以外の理由はなかろう。わしらはこの〝時〟を待ちわびておった」
随分、タイミング悪く生まれたものだ。もしも神様がいるならば、他の時代の人に代わってもらえるよう願いたい。
「その才能とか能力、僕にはないと思うよ?」
とても胡散臭い話だ。
今日、僕には書道の才能がないのが判明された。文字と絵では違うかもしれないけれど。筆で絵を描くなんて、そんな芸当は無理だ。
「それならば心配に及ばぬ。昨夜、あの筆がお主に呼応したのが証明じゃ」
「なに、アレ? あの後、光は消えたよ」
「そのうち、分かるじゃろう」
やたらもったいぶり含んだようにカエルは言った。僕はらちの開かない話に、ふぅとため息をつく。それを見てカエルが、
「ううむ……文也殿は、この現実を受け止められずに不信感に陥っておるのじゃな」
腕を組んで唸ると、その場に座り直して足を折りたたんで正座した。……だから、そこが漫画だっての。
「文也殿」
「今度は何を言い出す気?」
「うっ、冷たい。そんなお主を憎めぬ。わしらは相当、怪しまれておるのじゃな。そこでじゃ、少しずつ親睦を深めぬか。さぁさぁ、何でも話すがよい。朝まで語り明かそうぞ」
――カタル
――カタル
チビガエルたちが楽しそうにピョンピョンと飛び跳ねる、四方八方に。
「いや、勉強あるし。フツーに眠たくなるし。夜更かしで学校なんて行けないし。てか、そうゆう問題じゃないよ」
少し冷たく突き放すと、カエルたちは大きな目玉にうるうると涙を溜める。本物のカエルも涙を流すかは知らないけれど、本当にこのカエルたちは漫画としか言い表せない。だから、カエルの〝幽霊〟という見方もできない。こんなカエルの存在をどうやって信じればいいのか。
「……そうでござるか。文也殿には学校があるのをうっかり忘れておった。うむ、学びとは大切じゃ、おろそかにはできぬ。では、今夜は寂しいがこのくらいじゃの。また明日会えるのを楽しみにしておるぞ」
まだ、これが夢ではないと決定はしていない。明日の朝になればすっかり消え去って忘れてしまっているかもしれない。
「じゃ、さよなら」
再び会えるかどうか分からないカエルたちに優しく声を掛けて書斎を出る。一方、また会えると何も疑わずにいるカエルたちは笑顔で手を振っていた。
読んで頂きありがとうございました!
次話、
何やら部に問題が!?