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第二十一話「最後にみんなありがとう」

 僕らは葛斎(かさい)葛斎家の書斎へと集合した。


 ──カタ


 ふすまを引くと、そこにはカエルが正座をして待ち構えていた。


正堂(せいどう)殿、明瀬(あかせ)殿、お久しぶりでございまする。また、こうしてお会いできる日を心より願いお待ちしておりました」


 僕はカエルの脇をすり抜け、部屋の隅に片してある座卓を置いて、サッサと準備する。「みんな、入って」


文也(ふみや)殿、わしの出迎えを無視するでござるか」

「出迎えたのは、正堂さんと明瀬さんでしょ」


「うっ」涙目のカエルに、「カエルさん、無視してませんよ。お久しぶりですね」と、正堂さんの優しい微笑みに顔をデレつかせているのは、見ずとも分かる。が、


「ゲェ、何だ? コイツ」


 林田(はやしだ)が下品な声を上げた。


「なに? 林田、見えんの? 何で?」


 どうゆう事かと、全員、カエルに答えを求める。


「林田……うむ。わしらと縁もゆかりもない男──む、むむ?」


 カエルは林田と明瀬さんを交互に見る。そして、


「ほぅ、何と! ふむ、ふむ」


 と、目を見開いたかと思えば、一人頷き納得をしている。僕は聞かずとも、何となく分かり、明瀬さんも、「え?」と気づいて軽くショックを受けている。だがすぐにその顔が紅潮していく。林田は初めて見たカエルの姿にドン引きしたままだ。

 正堂さんが、「七海(ななみ)、おめでとう」とフライングしたもんだから、明瀬さんは「うそっ、ヤダッ! マジぃ?」と絶叫した。


 ──メデタイ

 ──メデタイ


 チビガエルたちが合唱を始める。


「キャーッ、やめてよっ」

「明瀬、どしたっ? てか、何だよ、この何かのアニメみたいなカエルらはっ?」


 林田は自分の事となると意外と鈍感なんだと知る。

 僕は騒き立てる皆が静まるまで、座卓の上に書道具を用意して待った。「はぁー」と、明瀬さんが息を吐いて呼吸を整え落ち着いたところで、


「さっきの巻き物は?」

「そうそう、これがないと始まらないわよね」


 と、鞄の中から取り出したのは──、


「軸に表紙と、押さえ竹、和紙よ。……もしかして、巻き物に直接描くと思ってた?  違うのよ。まずはこの横五十センチくらいの和紙に描いてから、三ミリから五ミリののりしろで繋いでいくの」

「へぇ、知らなかったや」

「でも、これは一から新作を描く場合であって、古い巻き物を修復するには高度な技術があるんだけどね」

「別に新しく、一から描いていいよね?」カエルに聞くと、「うむ、心機一転して生まれ変わるのも悪くない」コクコクと頷いた。

「完成後、バッチシあたしが仕上げてあげるから、任せておいて!」

「うん、頼んだよ」


 僕は和紙を座卓の上に横に並べて置くと、押し入れから保管していた鳥獣たちが描かれた半紙を取り出す。


「出てきていいよ」


 半紙が光ると、ピョンとカエルやウサギ、サルたちが飛び出してくる。林田が「何だぁ、こりゃ」と、目を丸くして見張る。


「おぉ、同士よ!」


 抱き合うカエルを引き離して、


「あなたたちは、こっちに移って」


 鳥獣たちは新しい〝宿〟ある和紙の中へと飛んで入る。そして、それぞれの位置でポーズを決めた。そこには、まぎれもなく鳥獣戯画の登場人物たちがいた。


「皆、生き生きしておる。楽しそうじゃ」

「あなたも入れば?」

「わしは最後と決めておると言ったじゃろう」

「やせ我慢しなくていいよ」


 僕が筆を持つと、


「待つのじゃ、文也殿」

「何? 今日は本気だから、邪魔しないでよ」

「あの筆を使うのじゃ」

「あの筆?」

「まさか、忘れたと言うのであるか? 最初、わしらと出会った時に渡した大事な筆じゃ。お主に呼応した、あの筆じゃ!」

「あー……」


 すっかり忘れていた。なんて、カエルには言えない。


「何なの? あの筆?」

「よいから、持って来るのじゃ!」

「分かったよ。ちょっと待ってて」と、すぐさま自室の机に奥へとしまった筆を部屋から持って書斎へ戻って来る。


「その筆は……少し、よろしいですか?」


 正堂さんが何やら興味を示した。筆を手渡すと、


「これは、胎毛筆ですね」


 と。胎毛筆?


「左様。さすがは正堂殿じゃ。これは儒功殿が赤ん坊の時に初めて切った髪の毛で作られた筆なのじゃ」

「ゲッ」

「ゲッとは何じゃ、失礼じゃの。文也殿のご先祖様で、この鳥獣戯画を描いたお方じゃぞ?」


 そうだけど、ほぼ知らない人の髪の毛だ。しかも、すでに亡くなった故人の髪の毛だ。でも、この懐かしく持ち心地の良さは血の繋がったご先祖様の物だからだったのか。

「へぇー」と明瀬さん。「気持ち悪いな」と僕と同じことを口にした林田は、手に取り感触を楽しんでいる。「ちょっ、返してよ」奪い返す。

 僕はその筆を持って、半紙に向かう。

 穂先をスッと下ろすと、筆はスルスルと滑らかに半紙の上を走った。

 すごい!

 僕は今、完全に自由自在に筆を操れている。まるで誰かに、儒功さんとやらに憑りつかれたかのように。

 それを読んだが如くカエルが、


「文也殿。その筆は、お主の力により発揮されているのじゃぞ。他の誰でもない、お主の力じゃ。その力とは、今までのお主の努力によって生み出されているのじゃ」

「うん!」


 僕の集中力は半端なく高まっていった。筆が乗って止まらないとは、まさにこのことだ。楽しくて、面白くて、たまらない。心から。

 時間も何もかも忘れて、ひたすら筆を思うがままに走らせた。

 川で遊ぶサルやカエル、弓矢を的に向けて放つカエル、大きく跳んでいるウサギ、松明のように尻尾に火をつけたキツネ。

 すでにある破損した絵巻を参考に、それぞれのシーンを僕なりに解釈しながら鳥獣たちを描いていく。


 ──ソーレ!

 ──ソーレ!


 カエルやチビガエルたちが扇子を持って応援団となる。


「皆の者、文也殿を応援するのじゃ! それ!」


 みんなの声援が遠くから聞こえる気がする。それほど僕の集中力は半端なく、和紙に向かって一心不乱に筆を動かしていた。

 途中、功兄(こうにい)が夜食を持ってきた気配がした。


「おにぎりだよー。おぉ、これはスゴイな」


 僕はおにぎりもそっちのけで没頭していた。もう、何時なのか時計を確かめるのも忘れていた。


「葛斎センセーには見えねぇの? このゲテモノ」

「ゲテモノとは何じゃ!」


 カエルの怒る声がする。


「んー、子供の頃に何か見えた気がした時もあるけど、大人になってからはないね」

「ふーん」

「子供の頃には不思議がいっぱいあるんだよ」


 功兄がメルヘンチックに言うのが聞こえたけれど、「あと一年でオレら成人だしー」と生意気なことを林田が口にしている。


「文也、まだやるのかい? 休憩しないとダメだよ」

「……うん」

「文也がこんなに夢中になるのは珍しいね。こりゃあ、下手すると朝までかな」

「よーし、今夜はオールナイトよ!」


 明瀬さんが部屋中に僕が描いた絵を広げて乾かしている。

 正堂さんはというと――ずっと僕の隣にいた。見守るように。見届けるように。その瞬間を見逃さぬように。

 どれだけ描き続けただろうか。僕はおにぎりどころか水も一滴も飲んでいない。けれど、いよいよクライマックス。最後の鳥獣は──蛇だ。

 葛斎儒功の描いた鳥獣戯画は、蛇が現れたところで終わっている。カエルたちの楽しそうな笛の音に呼ばれてやって来たのだろう。だけど、カエルにとって蛇は天敵だ。カエルたちの慌てふためく姿が描かれている。

 でも、この蛇は擬人化していない。リアルな蛇だ。人の姿をして遊んでいた鳥獣たちの世界観から、一気に現実へと戻らされる感じもする。

 蛇に慌てふためくカエルを描き切ると、「わしの番じゃ」とカエルが。


「え? このズッコケてるのがそう?」

「左様。わしは殿じゃ」


 殿というか、腰を抜かしてズッコケているような……カエルは、「今の今まで、世話になったぞ、文也殿。後で改めて挨拶に来よう」


「いらないから、さっさと早く入りなよ」

「最後の最後まで、冷めたお主が好きじゃ!」


 そう言い残し、カエルは半紙へとダイブした。

 これで残るは蛇のみ。


「頼むから、飛び出してきたりしないでよ」


 リアル蛇が出て来ない事を願いつつ、丁寧に描く――これで、完成だ。


「……できた」


 放心状態に筆を置いた次の瞬間──、

 半紙が光を放ち、中から蛇がヒュルルと飛び出すと同時、天井まで光が突き抜けて射す。


「うわっ」


 部屋の天井は黄金色の光の輝きに包まれた。その中に、鳥獣たちが集結している。もちろん、カエルもだ。


「文也殿」

「何? 今度は何が起こったの?」

「いいや、これで本当に終わりじゃ。よくぞ、描き切ってくれた。わしの仲間たちを生き返らせてくれた。見事、鳥獣戯画を復活させてくれた!」

「これで、無事に成功したってこと?」

「左様。文也殿、深く感謝致しますぞ」

「……僕だけの力じゃないけど」

「もちろんじゃ。文也殿をはじめ、正堂殿、明瀬殿、……林田と言ったかの。皆に感謝じゃ」


 その皆は、まばゆい光に目を覆っている。「何だ?」「何なのよ?」と何が起きているのか見えないでいる。


「文也殿、皆によろしくお伝え願う」

「自分で言いなよ。……って、え? なに? どこ行く気?」

「わしらはこの絵巻の中へと還っていく」

「じゃあ、もう、出て来ないの?」


 もう、会えないの? なんて、思ってもみなかったことを口にしようとして、


「さらばじゃ、文也殿! ありがとう! わしはお主が大好きじゃったぞ!」


 カエルが涙を頬につたわせながらニッコリと満面の笑みを浮かべた。


 ──アリガトウ!

 ──アリガトウ!


 チビガエルたちだけじゃなく、鳥獣たち全員がバンザイして大きく手を振る。


「みんな、みんな、みんな、ありがとうじゃ!」


 光が辺り一面に広がってカエルたちの姿が吸い込まれて消えていく。僕もカエルの盛大な声と共に放たれた強い閃光に飲み込まれ、目の前も頭の中も真っ白になる。

 そのまま、意識が遠のいていった。

 


   ◇

 


 チチチ──

 鳥のさえずりが聞こえる。僕はまだ眠いまぶたを擦って開くと──窓から差し込む朝日を浴びた女性──正堂さんが絵巻を両手にすくい取るように持ちながら、優しく柔らかな表情をしていた。

 その幻想的で美しい姿に、戦国時代か江戸時代だかの、お姫様かと寝呆けて思ってしまう。


「正堂さん?」

「目覚めましたか?」


 僕に気づいた正堂さんが、その瞳を絵巻から僕の方へと視線を移す。僕はこのまま寝呆けたふりをして、その姿にずっと見とれていたかった。


「うん、おはよう。……その絵巻って」

「はい、七海が徹夜して張り合わせ、完成させました」

「うそ……僕、いつから寝てたの?」

「不思議な光が射したかと思えば、何も見えず聞こえなくなって、光が消えた時には、鳥獣さんたちはいなくなっていて、文也さんは力尽きたように倒れこんで眠ってましたよ」


 あれは、夢ではなかったんだ。


「鳥獣さんたちは、どうなったんでしょうか?」

「うん。鳥獣たちは、そこに。その絵巻の中に還っていったよ。そこで眠っているんだって」

「そうなんですね」


 正堂さんは両手にしている絵巻を安堵した様子で見つめる。


「最後に、みんなにありがとうって言ってたよ。僕の方こそ、と伝えようとしたけど、あっという間に消えていったから……」

「きっと、十分に伝わってますよ」


 変な奴らに面倒で厄介な事に巻き込まれたと、何かに憑りつかれて呪われた気分だった。けど、鳥獣たちを通して、共に助け合える仲間ができた。苦手意識や変なプライドなんかは捨ててしまえばいいんだと、教わった。

 そして、この世界は無限だということ。すると、様々な角度から自由な発想を持っていい。ずいぶん、僕の価値観や世界観は広がったと思う。

 そして何より、正堂さんに巡り会えた。


「私こそ、文也さんに感謝しなければいけません。こうして、鳥獣戯画を再現して完成させてくれました。……夢だったんです。葛斎先生が描こうとしていた鳥獣戯画を読むことが。それが叶いました。文也さんのおかげです。本当にありがとうございます。文也さんにこうして出会えて本当に良かったです。……私は……」

「待って」


 僕は手を顔の前にストップをかける。


「その先は、僕に言わせてほしい。君に伝えたいことがあるんだ」

「はい。私にも聞かせてほしいことがあります」


 正堂さんは真っ直ぐな目を向けて、僕の言葉を待つ。

 僕が伝えたいことは、たった一言。その一言が喉元まで込み上げているのに、引っ掛かってなかなか口から出て来ない。

 ここまで来ておいて、本当にいいのだろうか? と、不安に弱気になる。『何をしておるっ、それでも男であるかっ』絵巻の中からカエルに叱咤された気がした。

 返事が欲しいんじゃない。ただ、この胸の内にある気持ちを伝えたい。


「正堂さん」

「はい」


 僕も真っ直ぐにその目を見つめ返す。


「あなたのことが好きです。商店街で見た、あの日からずっと。僕はあなたのことばかり考え、想ってきました」

「…………」

「……その、よろしければ、お付き合いして下さい。ちゃんと、大事にします!」


 正堂さんは目元を緩めて優しく微笑むと、


「はい、喜んで。よろしくお願いします」

「ホントに?」

「私は嘘はつきません」

「うん、分かってるよ。でも、僕でいいの?」

「良いか悪いかは、お付き合いしてみないと分からいことはたくさんあると思います。でも、一番最初に文也さんの書道を見た時、強く惹きつけられました。字は、その人の心を映すんです。文也さんの字からはとても優しさが溢れてました」

「そっかぁ……」


 そんなに前からだったとは……正堂さんの気持ちに気づかなかったとは、ちょっと情けない。


「それで、正堂さんが僕に聞きたいことって?」

「はい。夏休み以来、何も言ってきてくれる気配がなかったので、ずっとモヤモヤしていました。冬休みの私からのメッセージも伝わったかどうかも分からず不安でした。でも、今となっては気にしていません」


 やっぱりあれは、かの夏目漱石が英語のI LOVE YOUを『愛しています』と訳した有名なエピソードをなぞられていた。

 僕は核心が持てず、ずっと正堂さんの様子を窺ってばかりだった。ここでも、情けない。


「それは僕も同じで、気づいてはいたんだけど……返事遅れて、ごめん」

「文也さんはボーっと何も考えていないように見える時があって、ちょっと分かりづらいところがあります。良くも悪くもマイペースです」

「そ、それは正堂さんもだよ」

「似た者同士ですね。だから惹かれ合ったんでしょうか?」


 と、お互い苦笑する。


 ──おーい


 と、玄関の方から功兄の呼び声がした。


「みんなー、朝ご飯だよー。文也の好きなフレンチトースト焼いたよー」


 その一言に、


「「フレンチトースト!」」


 ガバッと畳の上で転がって寝ていた林田と明瀬さんの二人が同時に飛び起きた。

 寝ぼけ眼で林田が僕と正堂さんをしらーとした顔で見てくると、「なに、ふにゃふにゃした顔してんだよ」と。それに鋭く気づいた明瀬さんも、「フレンチトーストみたいね、甘―い」

 二人はニヤニヤと笑い合う。


「……聞いてたんだね」


 二人して狸寝入りとは、おしどりならぬ、狸夫婦だ。

 正堂さんは、少し顔を赤らめて、急にか弱い女の子みたいになった。こうゆうのを見ると、守ってあげたくなる。やっぱり、頼りがいのある男が必要だよ。と、僕が頼りがいがあるかどうかは棚に上げて、心でつぶやく。


「あ、それね、もう乾いてると思うから、巻いてもOKよ」


 と、朝食のフレンチトーストを食べに母屋へと向かって行った。「おまえらの分も食っといてやるなー」と林田が言い残す。

 二人きりになった僕らは、急に何だかくすぐったくなり意味もなく照れ笑う。そして、隣に寄り添うと、フレンチトーストよりも甘いフレンチキスを交わした。


「これ、巻いてみましょうか」

「うん」


 巻き軸を慎重に巻いていく。朝日に照らされて神々しく輝いている。そっと大事に木箱へと納めた。


「みんな、本当にありがとう」


 最後に挨拶をした。たくさんの感謝の気持ちを込めて。


読んで頂きありがとうございました!


次話でラストです。

どうか最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。

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