第十九話「月が綺麗ですねの意味を考える」
待ちに待った正堂正堂さんとのデート。しかも、クリスマスデート。街中もイルミネーションの飾りつけでクリスマスムード満点だ。冬休みという事もあり、小さな子供連れの親子はもちろん、学生なんかが行き交っていた。
正午に駅の改札口で待ち合わせ予定だ。
僕は五分前どころか、三十分前に来て待機していた。自然と急ぎ足になって早く到着し過ぎてしまったのと、少し緊張して落ち着かず、早くめに家を出たせいもある。
普段、急がず騒がす、悪く言えばボーッとしている僕だけど、正堂さんのこととなると冷静さを欠いてしまう。そのたび、惚れた弱みだなと思う。
駅前で何食わぬ顔して壁際に立っていると、
「文也文也さん」
突然、降りかかった声に、バッと振り返る。
「正堂さん? 何で? まだ十一時半……」
「なんとなく、文也さんなら早く来て待っていそうだと思ったので、先読みして四十分早く家を出て来ました」
という事は、僕より十分も前に早く待っていたのか。驚いてしまってポカンと口を半開く。しかし、正堂さんは、
「行きましょうか。最初はどこがいいでしょうか?」
どうってこともないように歩き出す。
なんて人だと、苦笑しながら、「クリスマスだし、チキン食べに行こっか。ファストフード店だけど」
駅からすぐ近くに店はあった。
店内に入り注文をして、奥のテーブル席へと着席する。運ばれて来たのは、僕が気遣って注文した片手で食べられる骨なしチキン。正堂さんはパクパクと口に運び入れていく。僕は定番の骨付きチキンなので、両手がふさがりかぶりつくのに忙しい。僕も正堂さんと同じのにすれば良かったかと思いつつも、クリスマスなのだから骨付きチキンは欠かせない。正堂さんも集中して黙って食べ続けている。スマートな見かけによらず、昼食にコンビニのおりぎりを三つ食べるのを僕は知っている。
いつもよりもざわついた店内を見渡せば、友達同士や恋人らしきペアで席は埋まっていた。ふと、僕たちは恋人同士に見えるのかなぁとぼんやり思う。
左手でドリンクを持った正堂さんに、
「指、どう?」
「特に問題はないようです」
「そっか、良かった」
「はい、ちゃんと書初め書席大会には出場できますから」
そうゆう意味で聞いた訳じゃなく、「いや、純粋に心配しただけだよ。今日は学校の事は考えないでおこう」と言うと、正堂さんはハッとしたように、「そうですね、クリスマスに書初めの話は違いますよね」再びチキンにかぶりつく。いや、その意味でも少し違う。
チキンをしっかり胃袋に納めた後は、明瀬さんからもらったチケットを持って、駅から少し歩いた大きな商店街の中にある映画館へと向かった。
そういえば、この商店街だったなと思い出す。初めて、あの書初めを披露した正堂さんを見たのは。もちろん正堂さんはそんな事を知らず、
「どうかしましたか?」
商店街のアーチのを見上げて立ち止まった僕に不思議に声を掛けてくる。
「いいや、何でもないよ」
何となく、秘密にしておこう。そしていつか、実は……って驚かせてみたいな、なんて。でも、そんな日が来るかどうかはまだ分からないけれど。
映画館に入って座席に着くと、正堂さんはトートバッグの中からひざ掛けを取り出す。冷え症対策ばっちりだ。そんな今日の正堂さんは、白いボアの暖かそうなジャケットに、赤いチェックのロングスカートを履いていた。白と赤ってクリスマスっぽい感じだ。僕はというと、林田に押し付けられた、黒のジャケットだ。「どうせ、ダウンのジャンバーで行く気だろ?」と。ジャンバーって、どんなんだよ。ダウンじゃダメなのか。防寒性に劣る黒のジャケットの下はセーターを着込んでいた。
フッと照明が落ちると、上映が始まった。
いよいよだ。僕にとっては映画の内容より重要事項があった。大した事ではないけれど、勇気がいるものだ。
それは──手を繋ぎたい。
その下心のために、ちゃっかりと正堂さんの左側の席に座っていた。右手は怪我をしてて手は握れない。
タイミングは? いつ?
上映中に、「手、繋いでいい?」なんて、わざわざ聞くのは変だし周りにも迷惑だ。そんな、まるで小学生みたいなことが昨夜からずっと考え頭の中をぐるぐる迷っている。
そっと正堂さんの横顔を盗み見すると、長いまつげが露に濡れているじゃないか。スクリーンの移り変わる画面に照らされて、きらりと光る。しばし見とれてしまう。
涙? 感動して泣いてる?
今だ! と、手を握った。同時、映画はヒロインがバッタリ倒れたシーンが流れたので、ビクッと動いた正堂さんの手はどちらに反応したものか判別できなかった。けれど、夏の旅行で肩を抱いた時と同じく、拒否はされなかった。
そのまま、気づけばヒロインは亡くなっていて、主人公は前を向いて新しい道へと歩き出したところで無難に映画は終わった。
エンドロールが流れ出すと、何人かの観客は席を立ち上がって出て行く。僕らは終わるまで、ずっと手を繋いだまま。やがて照明が付き明るくなると、急に恥ずかしくなってパッと離した僕の手を再び正堂さんがグイッと引っ張ってきた。一瞬ドキッとした僕に対して、
「お手洗い、どこですか?」
「あぁ、うん。出て右側だったよ。……ひざ掛け畳んでバッグに入れておくから、行ってきなよ」
「すみません」
早歩きで観客席を出て行った正堂さんは、今日も、らしいまんま。お手洗いの位置でも自販機の位置でも、何でもいいから頼られた事が嬉しい。僕はずっと握っていた正堂さんの少し冷たい手の感触を確かめて余韻に浸る。
館内の出入り口で、ほとんど頭に入っていなかった、今さっき観た映画のポスターを眺めていると、正堂さんがトイレから出て来た。「お待たせしたました」
映画館を出ると、ぶるっと身を震わす。館内は僕にとっては十分に暖かかったようだ。クリスマスの季節を忘れるとこだった。
「せっかくだから、ショッピングでもしようか」
「何か買いたい物があるのですか?」
「いや、クリスマスだし、何かプレセント贈りたいなと思ったんだけど、考えても全く浮かばなかったから、直接一緒に選ぼうかなって」
全くサプライズもアイデアもない提案だった。
「何か欲しい物ある? 高価な宝石と電化製品以外なら、大丈夫だから言って」
「昨日、欲しかったタブレットは両親にプレゼントしてもらいましたから……」
「わ、いいなぁー。何かゲームとかすんの?」
「ゲームはよく分かりません。動画サイトと電子書籍を読むのに使おうと思っています」
動画サイトは今時誰でも視聴するとして、電子書籍で本を読むのが趣味なんだなと、僕は正堂さんに関する情報を上書き保存する。
「そっか、じゃあ、何かそれ見ながらゆっくりくつろげるもの? 探しに行こ」
やや戸惑う正堂さんを強引に連れて、店舗が沢山入った建物へと入った。雑貨屋がある場所だけは事前に要チェック済みだ。やっぱり、女の子へのプレゼントは雑貨だと見越していた。
いくつかのお店を通り過ぎ、正堂さんは和風な雑貨屋の前で足を止め、そのまま中へと入って行く。
「これ、いいですね」
マグカップを手に取った。可愛いキャラクター物とかではなく、一つ一つ手作りに焼かれた物だ。
「陶芸品好きなの? 味わいがあっていいね」
「いえ、普段なら百円ショップで済ましますね」
「あぁ。分かる」
最近は百円ショップの食器でも全然オシャレで使える。うちも母親が百円ショップ好きだったので、おそらく食器棚の半分は百円ショップだったはずだ。今となっては、被害にあったのが高級な品々でなくて良かったと思った。
「何色がいいでしょう?」
無難なピンク色はなかったので、レモンティーが好きなのを思い出し、「イエローは?」と勧めてみる。
「落ち着いたイエローですし、いいですね。じゃあ、これにします。文也さんは選ぶなら何色にしますか?」
「僕? そうだな、このネイビーのかな」
「じゃあ、私がイエローで文也さんがネイビーにしましょう」
と、僕の手に正堂さんのイエローのマグカップが、僕が今言ったネイビーのマグカップは正堂さんが手にした。
「え?」
「プレゼント交換です。文也さんのは私が購入してプレゼントしますね」
そう言って、会計へと颯爽と向かって行った。
僕は正堂さんにクリスマスプレゼントを贈りたかっただけで、まさか自分もプレゼントされるとは思ってもいなかった。しかもこれって……お揃い?
正堂さんが咄嗟に機転を利かしたのだろうけど、こんなサプライズは願っても無い。別々に会計を済ませると、手に持ったプレゼントの入った紙袋を交換して渡し合う。
「ありがとう」
「いいえ、こちらこそ」
ニコリと、とても嬉しそうにしている姿を見て、それだけで僕は胸がいっぱいに幸せになれた。
「門限とかあるの?」
「日が沈むまでに、と言われてます」
「なんか、アバウトな表現だね。まだ、日没までには時間あるかな。せっかくだし、海でも見ておこうか」
駅の近くには防波堤があった。ちゃんと柵がしてあるので、安全面は大丈夫だ。二人で少ない会話を交わしながら海まで歩き、そのまま防波堤の先端まで来てしまう。
冬の夕暮れは早くて短い。早くも空は薄くオレンジ色に染まり始めていた。その下で海がチカチカ照り光っていて、まるでクリスマスイルミネーションのようにきらめいていた。正堂さんが手すりに掴まり覗き込む。
「何か魚でもいる?」
「いるんでしょうけど、見えませんね」
しばらく二人で海を眺めながら、無言のまま緩やかに時間が流れて行く。ふと、空を仰いで僕は見つけた。
「あそこ、月が出てる」
まだ日が沈む前に、空に白く三日月の形をした月が薄っすら浮かんでいた。
正堂さんが僕が指差す方向へ視線を伸ばす。
「ほんとですね、月ですね。まだ夜は来ていないのに」
僕はこうしてたまにボーッと空を見上げて真昼の月を見つけては、誰も知らない秘密を知った気になる。その秘密を今日は正堂さんと共有することができた。
「月……が、綺麗ですね」
「うん、綺麗だね」
と言って、ピタリと二人の間に流れる空気が止まった気がした。
え? 月が綺麗ですね? って……まさか、今どき。と、正堂さんを振り向くと。目をうっとりとさせて月を見つめている。こちらに気づくと、小さくクスリと照れるよう笑った。
今の、それって? と、聞こうとして、
「五時半の電車に乗ろうと思ます」
そう言って、くるりと後ろを向き正堂さんはトコトコと駅の方向へと引き返して行く。
「あ、ちょっと待って」引き留めた僕を振り返ると、
「今日はありがとうございました」
プレゼントのマグカップが入った紙袋を軽く持ち上げ小さく首を斜めに傾げた。その笑顔は、僕にとって月よりも、ずっと最高に綺麗なものだった。
再び踵を返すと、足早に駅へと向かい去って行った。
僕はというと、ただただ呆然と突っ立っていた。彼女の姿が小さくなるまで見送る。今さっきの言葉のフレーズを心の中で反芻しながら。
全く、今日という今日は彼女にリードされてばかりだった。
「ハァー」
感嘆にも似た溜息を吐くと共に、一人苦笑した。
読んで頂きありがとうございました!