第十六話「文化祭どころじゃない事故が起こった」
一夏が過ぎ、もう秋だ。
部室には相変わらず、文字と絵がアンバランスに天井から吊るされ、秋風になびいている。何だか、シュールだった。
正堂さんも相変わらずで、学校内では謎の美少女だ。その実体は、ただの人見知り。人より鳥獣が好きだった。僕とも廊下でバッタリ会っても、軽く会釈して通り過ぎるだけで、よそよそしい。というよりか、何か避けられている?
夏休み明けから、ほとんど会話を交わしていない。何も嫌われるようなことをした覚えはない。あるとしたら、あの旅行での一件が原因としか考えられなかった。けれど、すでに謝っている。
「さっきから何、ボーッとしてんだよ」
林田が僕の机にケツを乗っけて、紙パックジュースをストローで吸っていた。
「変な妄想でもしてんだろ?」
「ただの考え事だよ」
「いけませんねぇ。筆を持ったならば、雑念を捨てるのですよ、文也君」
僕の筆を持つ手は先程から止まっていた。
林田には僕と正堂さんの微妙な空気が読めていることだろう。明瀬さんなら、その意味も知っているかもしれない。けれど、すぐに人に相談するような性格の僕ではない。自分のことを語るのが苦手なのもあるけど、まずは自分で考えてみる。それでも、一人ではどうしようもなく躓いた時だけだ、誰かに相談をするのは。けど、その誰かがいなかったりする。でも今は、林田と明瀬さんがいる。二人とも信頼できると信じたい。
「ところで、林田は幽霊になるの止めたの?」
ここのところ毎日、部に姿を現す林田だ。もう幽霊部員ではない。ちゃんと二本足が付いている。他の部でも、書道部で生きていると知られているはずだ。
「夏が終わったからな」
と、遠い目をして言っているけど、全然説明になっていないし、様にもなっていない。
「はい、みなさーん。注目」
突然、黒板の前に立ってパンパンと手を叩いた明瀬さん。僕は何事だろうと頭を上げる。
「皆さん、秋です」
「んなの、分かってんだよ」
「そこ、静粛に」
明瀬さんに注意を受け、どうでもいいやという感じで、林田はそっぽを向く。
「秋といえば、読書。運動……そして、文化です!」
「食欲を外したな」ぼそりと呟いた林田を、「何か言った?」と、地獄耳で明瀬さんが聞き返す。僕は漫才の秋か。と心で呟く。
「文化といえば……文化祭です!」
「あ、うちって秋にやるんだね」
転校して来た僕は、知らなかった。
「あ、そっか。葛斎くんは、うちでは初めてになるのよね」
「わが校の文化祭は毎年、十一月上旬にあります。近年の殺人的な猛暑により、少し遅めの文化祭になったんですよ。って、この部室もエアコン付けてくれよなー」
この部室にはエアコンがない。書道部は使われていない古い教室へと追いやられたからだと、林田から説明を受けた。
そのため、夏休みも他の部は学校で部活動があったけれど、うちの部は功兄こと葛斎先生の判断により、自宅での自習となっていた。エアコンの設備さえあれば、夏休みに正堂さんにもっと会えていたのに。そう思うと、僕もエアコン付けろよなーと、林田の台詞をそのまんま口にしたい気分になった。
「文化祭がどうかしたの?」
うちのクラスではまだ何も話しは出ていないけど、何の催し物を行うかとか議論し合うのは、ハッキリ言って面倒だ。何に決まろうが、僕は裏方作業でいい。
「えー昨年に続き、文化祭の開催中、この書道部を開放したいと思います!」
「え?」
僕だけ一人驚く。
「それでいいでしょ? 美也子」
部長の正堂さんは、コクンと頷いた。
「ごめん、開放するって、具体的に何すんの? 先に言っておくけど、パフォーマンスなら、僕はムリだから」
「少年よ、案ずるな。言葉通り、この部室を開け放つだけだ。うちの文化祭は家族や他校の生徒も入場できるからな。これを機に部への関心を持ってもらおうというのが一番の狙いだ」
「そっ、そうゆうことよ」
僕は天井を仰いだ。だいぶ上手く描けるようになったカエル。あとカエルよりも難しいサルなどは、顔の中が墨で真っ黒だ。そんな、へんちくりんな絵に混じって、達筆に書かれた正堂さんの書道。それらがアンバランスに混沌として教室の中に垂れ下がっている。そして、チラッと横を見る。こんなカオスな世界に絶世の美少女。見る者は一体何を思うだろうか。きっと軽いパニックを与えるに違いない。
「それって、去年は効果あったの?」
「あったら、部員がオレら四人だけじゃないだろ」
見てみろよと、もはや開き直っている林田は、その辺に置かれてある椅子に座って腕を後ろ手に組んだ。
「何もしないよりかはマシよ」
「あ、例の生徒会がうるさいから?」
「まぁ、その対策でもあるけど、文化祭で開放って案は、うちの部長よ」
普段は寡黙な正堂さんだけど、やるべき時はやるのだと、あの副生徒会長からの書初め書席大会への強制出場を正面から受けて立った時から、思わされた。
「そっか。じゃあ、準備が必要だね」
「準備なんて、何をだ?」
「飾り付けとかでしょっ。去年、やったじゃない。あと、吊るす作品の選別!」
「ゲェ、また折り紙で輪っか作んのかよ」
「ゲェって、去年とんずらしたの誰よっ、美也子と二人だけで苦労したんだからねっ」
「あーあ、何度も聞いた。悪かったって言ってるだろ?」
犬も食わぬ夫婦喧嘩が始まりそうになり、「今年は僕も手伝うし、早く済むよ」と、止めに入る。僕も輪っか作りは好きではないけれど。
「じゃ、そうゆうことで。明日、材料買い出しに行って作り始めるわよ。でも達本くんは主に作品の選別を担当よろしくね。ぜひこの機会に披露したいのがあれば、チャンスよ!」
「いや、ないから」即座に答えると、「やる気、出せよ」と林田が自分は棚に上げて言う。
「他に何か質問は?」の明瀬さんの問いに、「僕はないよ」と答え、林田も首を横に振った。
「では、私は職員室へ顧問の先生や他の先生方に承諾を得に行って来ます。今日はもうこれで解散です」
と、正堂さんが立ち上がり教室を出て行こうとして、僕は声を掛ける。
「一人で大丈夫なの?」
「はい、大丈夫です。お疲れさまでした」
そう言って、職員室へと一人で向かった。
「さー帰った帰った」と、今度は林田が手をパンパンして僕らを払いながら、正堂さんに続いて教室を出て行こうとしたところ、
「明日、買い出しに行くわよ」
明瀬さんが睨みつけて念を押す。林田は「はいはい、分かってますよ」と、後ろに手を振り教室を去って行った。
明瀬さんはロッカーのミラーでいつものように身だしなみを整え始める。
「僕は明日から作品選びだね」
「多分、色んな意味で選び切れないと思うけど、がんばって」
「まったくだよ」と苦笑し、「じゃ、また明日。バイバイ」
僕も教室を後にした。
校舎を出て、正門へと向かう途中で、僕は忘れ物に気づく。クラスメイトに貸したノートだ。放課後にトイレへと向かう最中に廊下ですれ違い、『机の引き出しに入れておいてから、サンキュ』と言われていたのだけど、すっかり取るのを忘れていた。机の中じゃなくて上なら忘れなかっただろうけど、ノートだから他の生徒に見えられないようにとの配慮だろう。しかし、転校して来た時と一転して、僕はノートを貸す側になっていた。頭が良いとかじゃなくて、見やすいからという理由らしいけど。昔から、要点をつくのが上手いとは言われている。そんな僕のノートは簡素だった。
教室のある本館へと戻り、机の引き出しにちゃんと入っていたノートを鞄にしまって、再び校門へと向かって歩きながら、そういえば職員室へ向かう際に正堂さんは鞄を持っていなかったのを思い出す。もう、職員室を出て部室へと鞄を取りに戻っているのだろうかと気になった。運が良ければ一緒に下校できるチャンスかもしれない。二人きりになれば、話もしやすい。僕に対して何か不満があるのか、気持ちを確かめたかった。
グランドから笛の音が聞こえてきて振り返る。サッカー部の練習は終わったようだけど、部員たちがヘディングやリフティングしながらじゃれ合っていいた。他の部の生徒たちもぞろぞろと校門をくぐって帰宅して行く。
西館の四階を見上げた僕は、部室へと戻ってみる事にした。
二階の図書室までは、まばらに生徒の姿があった。それより上の階は、本当に誰もいない。日が短くなり、外は早くも夕暮れ時のオレンジ色した空だ。夕日が薄暗い廊下を非常灯のように照らし出す。
四階まで階段を上って、一番奥にある部室へと辿り着き、扉を開いて僕はギョッとする。
机の上に置いた椅子の上へと、正堂さんが立とうとしていた。
「あっ、危ないよ!」
危険極まりない状態に僕は急いで机と椅子を支えに行く。が──、
「きゃっ」
正堂さんが体のバランスを崩す。
──ガタタッ、ドタッ
机の上に置かれた椅子ごと床へと落ちる。僕はとっさに彼女の下敷きになった。
「イテテ」
床の上へと体が倒れた衝撃を受けると共に、重みはあるものの柔らかな感触が僕の上へと重なる──正堂さんはバッと上体を起こそうして、「──うっ」と小さなうめき声を出すと、僕の胸元に顔をうずめた。
「どしたのっ? 大丈夫っ?」
ちょっと下心にドキドキした胸の鼓動が、一気にバクバクと心配に焦ったものへと変わる。正堂さんは体を固く硬直させて小刻みに震えながら、顔をしかめて何かの痛みに必死に耐えていた。人はあまりにも痛みが強いと声も出なくなる。
「ケガしたのっ? どこっ?」
「ゆ……指です……」
僕は正堂さんを抱きかかえたまま、ゆっくりと上体を起こして、怪我を確かめる。そして、驚愕のあまり顔から血の気がサーッと引いていく。
正堂さんの右手の人差し指が、あり得ない方向に曲がっていたのだ。
「先生、呼んで来るっ、待ってて、すぐ戻るから!」
慌てて教室を飛び出す。正堂さんを一人残すのに不安があったけれど、生徒が学校に勝手に救急車を呼んで良いのか分からなかった。何しにろ、先生に伝えに行かなければいけない。走ってはいけない廊下に足を滑らしながら駆ける。
ガラァン──
職員室のドアを乱暴に開けると、中にいた教師が一斉に振り向き動きを止める。
「どうした?」
入ってすぐの机にいた功兄の顔を見ると、僕は目頭が熱くなって泣いてしまいそうになった。でも泣くのは僕じゃない。
「……正堂さんが」
思いっきり走って来た僕の呼吸は乱れていて、言葉を一気に出し切れない。功兄が冷静な声で、「正堂が、どうした?」と促す。
「机から落ちて、指の骨を折ってしまいました!」
職員室にざわめきが起こる。ちょうど職員室にいた保健の先生が一早く行動に出る。スマホを耳に当て、一一九番に繋いでいた。
「部室か?」
すっぽ抜けていた大事な質問に僕は慌てて「うん」と答え、耳にスマホを当てたままの保健の先生と一緒に、部室へと小走りに引き返す。功兄は僕を落ち着かせるように、転ばないよう腕を掴んでいた。他の職員は玄関へと向かって行くのが見えた。救急車を待機するのだろう。
部室へと戻ると、正堂さんは怪我した方の手を、もう片方の手でそっと支え、床の上に座ったままだった。想像しなくても、激痛に身を動かすのも辛いのだろう。保健の先生が駆け寄って、怪我の様子を確かめ、「これは、折れてるわねぇ」と深刻な顔をする。正堂さんはそのショックに、涙一つこぼさず冷静に受け止めた。
もう救急車はこちらに向かっているのか、すぐ来てくれるのかどうかと、僕の頭の中はせわしなくぐるぐると回る。
「机の上に上がってて転んだの?」
保健の先生が優しく叱ることなく、正堂さんと僕に事情を聞く。
「正しくは、机の上に置いた椅子からです……」
正堂さんは正直に答えたが、後で散々お灸を据えられそうだと、あちゃーと僕は額に手をやる。保健の先生と功兄は顔を見合わせ、「どうしてそんなことを?」
僕も何故、そんな無謀で危険な行為に至ったかは知らず、正堂さんの口から説明を待つ。
「棚の上に置いてある、昨年作った文化祭用の飾り付けを取ろうとしたんです。自分では大丈夫だと思ったのですが……反省しています。あと、その時に文也さんはいませんでした。後から来て、助けようと支えてくれました」
こんな状況でも、僕を庇うのを忘れない。しかも、そんな事を……と思い、またしても正堂さんの優しい心遣いに気づく。去年の文化祭の飾り付けが残っているなら、一から作る必要はないからだ。きっと、みんなの負担を減らそうとしたのだ。
──ピーポーピーポー
救急車のサイレンが鳴る音が近づいて来た。
「文也は、もう帰りなさい」
功兄の一言に、
「文也さんも怪我しているはずです! 倒れた私の下敷きになりました!」
ハッとしたように正堂さんが大きな声を出す。途端、
「文也、本当か?」
功兄が教師ではなく従兄の顔に一変する。身内の場合、人は冷静さを欠く。
「痛いところはないか?」
倒れた時に痛みは感じたけれど、今はすっかり飛んでいってしまっている。僕は頭を振ったけれど、その頭にタンコブらしきものを保健の先生に見つけられて軽く押される。「イタッ」
「念のため、文也君も救急車へ」
救急隊員が到着したかと思えば、「どうしたの? 何してたの?」と、一から事情を説明を受けらされ、「あー……」と子供のしでかした失態に苦笑される。そして救急車へと乗り込んだ正堂さんと僕は、意外にもゆっくり慎重な発進で病院へと搬送されて行った。
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