第十二話「いよいよ夏休みの小旅行へ」
電車の外を眺めるともなしに車窓の外へ顔を向けている正堂さん。ただ、それだけで絵になる美しさ。僕は初めて見る風景よりも、毎日部活動で顔を合わせているはずの正堂さんに見とれていた。
しかし、先程からずっと、ほぼ真正面から見つめているはずの僕の視線にまさか気づいていないのか、こちらを見返してこない。こうなると、気づかれる恥ずかしさよりも、気づかせたい意地が出る。……下手したらストーカーだ。
「文也」
呼ばれて顔を横に向けると、
──ブスッ
何かが頬に突き刺さった。
「一本、どうだ?」
林田がニヤニヤしながらポッキーを箱から一本出して差し出している。先程から僕の様子が可笑しいのだろうけど、別に気にはしない。
「一本しかくれないの?」
「じゃあ、何本いんだ?」
「何本入ってんの?」
「知るかよ。数えるほど、そこまでヒマじゃねー」
「じゃあ、負けたら数えるのよ」
と、横から割って入ったは明瀬さんだ。手にトランプを持って、林田とババ抜きをしていた。
僕たちは今、電車で旅の最中だ。と言っても、行き先は明瀬さんちの親戚の家。和紙職人である祖父に、その伝統技を教わる目的のために明瀬さんは会いに行く。
夏休みに入ったら、みんなでと計画していた旅行だ。だが、功兄は少し難色を示した。高校生が男女四人で、と言うよりも、まだ高校生だけで県外へ旅行する事にだ。駅のホームに乗る時や降りた時、行き先へ着いた時など連絡をするという条件付きで許されたけど、さっきから一時間ごとにスマホにメッセージが届いている。功兄にとっては僕は親戚から預かっている大事な従弟なのだ。
「ところで、何で二人でババ抜き?」
トランプゲームはみんなでやるものってイメージがある。でも、僕はこの年で楽しんでトランプゲームをやりたいとはあまり思わない。
「何って、君たち二人の世界を壊さないためだろ?」
正堂さんの世界に僕はいないと思うけど、さっきからその世界に入れてもらおうとしているものの、ダメなようだ。黙ってポッキーを箱から二本抜き取る。二本ずつ口に入れて食べるのが僕のルールだ。
「美也子、さきいかいる?」
明瀬さんが酒のつまみみたいな物を出したところで、「あっ」と僕は気づく。「アルコール!」
「ちげーよ、ノンアル」
「そーいう問題じゃないだろ!」
ハッとして周りを見回す。あまり大声では喋れない内容だ。でも、私服姿の僕たちが未成年かどうかはハッキリ区別できないだろう。現に、コンビニで何事もなくノンアルの缶チューハイを買えてしまっている。
ハァーと溜息をつく。
「あ、そうだコレ。昨日の夕飯。余ったから皆で食べなって、功兄が。何だったっけ、キ……」
「キッシュ?」
可愛い動物柄のアルミホイルに包まれたそれを取り出すのを見て、明瀬さんの目が鋭く光った。獲物を捕まえるチーターのように。
「何だ、それ? 俺んちのかーちゃんは作ってくれたことねぇ」
羨ましいというより、恨めしい顔で言われる。
「冷凍パイ生地でけっこー簡単に作れるんだけど、葛斎先生のはもちろん手作りよねー?」と、奪い取るようにして口に頬張る明瀬さん。林田も手に取ってかぶりつき、「珍味ですなぁ」
「正堂さんは? いる?」
「ぜひ、いただきます」
パイ生地をこぼさぬよう手をすけて食べる。そんな何気なく女性らしい仕草を見つけるたび、僕は惚れ直してしまう。
各駅停車の電車は、あと三十分はある。周りの乗客たちはご年配の方がやや多く、大きなキャリーケースを持った若者一名は旅行者に違いない。夏休みとあって制服を着た学生はいないけど、数人で談笑している女子が車両の後方にいた。僕らの行き先である終点には特にショッピングモールも何もない。途中で降りていく人が多く、列車の中では静かにゆったりと過ごせた。
「このまま終点だっけ? 誰が迎えに来てくれんだ?」
明瀬さんのご親戚は、最寄り駅まで車で二十分程で、バスなどはないという。
「伯父さんよ」
「住んでんの、じーさんとおじさんだけか?」
「まだいるわよ、伯母さん。その息子、従兄は上京して都会暮らししてて、もう社会人。娘の方はデキ婚よ」
「ほーう」と、林田は世間話はどうでも良さそうにつぶやいた。僕にはデキ婚が死語に聞こえた。一時期、授かり婚とかも言われてたらしいけど、何にせよ本人たちが幸せならそれで良いじゃないか、外野は黙っておこう。というのが僕の結論だ。
『ご乗車ありがとうございました』
そうこうしているうちに、電車は執着駅に着いたアナウンスが流れ始めた。僕は座席の棚から荷物を下ろす。もちろん、女子たちのも。正堂さんからの「ありがとう」の言葉が身に染みる。林田はからの「オレのも」は、余計だ。
「伯父さん、来てるかな?」
明瀬さんはホームを駆け足で降りて、辺りをキョロキョロ見渡す。親戚の顔って、長らく会ってないと忘れそうになる。でもきっと、向こうの方が成長の早い子供の顔を一瞬では見分けられなさそうだ。
「あっ、あれそうかな?」
少々自信なさげな明瀬さんの目線の向こうに、同じく自信なさそうにキョロキョロしている中高年男性がいた。ポロシャツにジャージを履いている。足元はクロックス。白髪交じりの短髪に、やや日に焼けた顔。こちらに気づくと目尻にしわを作って、人当たりの良さそうなおじさんとなった。
「やぁ、よく来たねぇ」
と、僕たちを快く出向かえてくれた。「お世話になります」と僕ら三人はペコリと頭を下げて挨拶する。
「車はー?」
「玄関前に停めてある。荷物はそんだけか?」
「はい」と僕が言うと、おじさんは車のトランクに荷物を詰め込んで「じゃあ、行くか」と、僕たち四人を乗せると車を発進させた。
駅付近はオフィスビルが建ち並んでいたけど、すぐに無駄に広い駐車場を敷地内に持ったスーパーやらドラッグストアといった店の数々が県道に続く。そして段々と店が減っていき、一軒家がポツポツと現れ始める。その周りは田んぼに囲まれていた。僕の実家もこんな感じだ。やけに懐かしさを感じた。
「おぉ、自然豊かな田園風景だな」
と、林田が感動する。きっと心では〝ド田舎〟と思ってることだろう。
それよりも、五人乗りの車内では、助手席に明瀬さんが。そして後部座席の右側に正堂さん。その隣の真ん中に僕。左側に林田が座っているのだけれど、かなりの密着だ。僕の右半身はピタリと正堂さんの左半身にくっついてしまっている。肩と肩、太ももと太もも。僕は、健全な男子高校生だ。好きな子の体に触れて何も感じないはず
がない。必死に平静を装う。かと言って、こんな時と場で変な妄想はしない。後にしようとくらいに下心は持った。
「クーラー、後ろとどいてる?」
と、明瀬さんが後ろを振り向く。
真ん中の僕は大丈夫だけど、両サイドの二人は暑そうだった。
「ごめんね、美也子。男二人に両サイド挟まれるのはイヤだもんね」
「どーゆう意味だよ」
車内で林田と明瀬さんがが口喧嘩し始める。余計に熱気が上がるので、やめてほしい。
「大丈夫?」
僕は本気で心配して、正堂さんを気遣う。すると、僕の方へと顔を横へ向けたものだから、顔がくっつきそうになり、僕の心臓がドキッと小さく跳ねた。「えぇ、大丈夫です」と、正堂さんは平然な顔をしている。実は今までに一人だけだけど彼女がいた事があるという衝撃の僕。なのに、正堂さん相手にはこの程度でこれだ。暑さも手伝って茹でだこになりくらりと倒れそうだった。
頭と体を冷やそうと、正面を向いてフロントガラスの外を集中して眺める。車はどんどんと民家の少ない田園が広がる場所へと走っていく。イノシシとかアライグマが絶対出るよなと思っていると、一軒の民家の門へと車は入って停まった。
「さぁ、着いたぞ。いやぁ、灼熱地獄だったなぁ。部屋ん中、ガンガンにエアコンで冷やしてあるからな」
おじさんの優しい心遣いに、「節電しなよ」と明瀬さん。誰にでもブレない態度だ。
僕と林田、正堂さんは車から降りると、新築のようなピカピカのに階建ての家を見上げた。「リフォーム、こないだ終わったんだ」とおじさんと明瀬さんが話している。
広い庭には砂利石が敷き詰められていて、植木や花壇があった。小さな池があり、中に何か泳いでいないかが気になったけれど、とりあえず案内されるまま玄関へと向かう。
「こんにちはー」
と、靴を投げ出すように脱いで、我が物顔で勝手知ったる祖父の家へと上がり込む明瀬さん。僕たちも「こんにちは」と挨拶してから、おじさんに「さぁさぁ、上がって」と急かすよう言われてから、玄関を上がった。入ってすぐ横にある座敷へと通され、中に入った瞬間──、
「涼しぃー」
車内の蒸し風呂で少々ぐったりしていた林田が生き返る。僕は冷房のキツさにゾクッとする。正堂さんも同じなのか、両腕を抱いた。
「ちょっと、二十一度って、誰よ、こんな低くしたの」
明瀬さんは呆れながらリモコンの設定を変える。誰って、さっき言ってた通り、おじさんだろう。
「ほら、アイスでも食べるか?」
そんなおじさんが更なる追い打ちをかけてくる。飲み物にはキンキンに冷えたサイダーだ。林田は余裕で頂き、僕もまぁ何とかだけど、
「美也子、ホットレモンにする?」
明瀬さんが正堂さんを救出してくれた。ダダダッと廊下を走って奥にあるキッチンへと向かったかと思えば、ホットレモンはすぐに用意された。自分の分も淹れた明瀬さん。二人はガンガンに冷えた部屋でポカポカのホットレモンを飲む。
「何? あんたたちもいるの?」
「いんや、真夏の冷房が効いた部屋でホットの飲み物って、贅沢してんなぁーと思っただけだ」
「いるなら、自分で淹れてきなさいよ。台所の棚にあるから。ちなみに美也子は冷え症だから、年中ホットなのよ」
へぇ。と、正堂さんのことを一つ知って僕は嬉しくなった。でも冷え症は喜ばしくなく、心配する。今日もサマーセーターにスキニーパンツだった。短パンで生足の明瀬さんとは違って靴下も履いている。
「これ、美味しい。ありがと、七海」
わざわざ用意してくれた明瀬さんに正堂さんは礼を忘れない。「でしょ? スティックタイプの、どこのメーカーだっけ、あとで見とくねー」と、そのまま女子トークが始まるのかと思われたけど、
「ねぇ、伯母さんは? おじいちゃんは作業場?」
いつの間にか部屋の隅で棒付きアイスをかじっていたおじさんに、明瀬さんは尋ねる。
「おばさんは買い物だ。今日の晩飯はそうめんと天ぷら作ってやるからな。おじいちゃんは作業場だ。ちょうど漉いてるとこだろ」
それを聞くや否や、明瀬さんは弾丸の如く飛んで玄関の外へと出て行ってしまった。「あ、待てよ!」と、林田が追いかけようとするのを、「かき氷もいるか?」とおじさんに言われ、「はい」としっかり答えた。
そうして、林田がアイスとかき氷とサイダーで水分を取り過ぎたタポタポの腹を抱えて、「ちょっと休憩」と言う。
「休憩してたのに、休憩?」
僕の意地悪な一言に、
「まだ、オレたちの休憩は続いてんだよ」
何かちょっとカッコ良い台詞っぽく返した林田をスルーして正堂さんをチラリ。エアコンの風に前髪を吹かれながら、涼しそうな目をしていた。
「じゃ、おじさんは天ぷら作ってくるから。まぁ、自由にしてろや、ヨイショ」
と、立ち上がるおじさんに正堂さんが、
「作業場はどちらに?」
そうだった、明瀬さんの後を追いかけるにはもう遅い。僕がうっかりしていた事をしっかりと聞く。
「あぁ、玄関出て、左にずーっと歩いてったらあるから。七海もそこにいるだろ」
「ありがとうございます」
「あの、おじさんは作業の方はいいですか?」
仕事の方は大丈夫なのかと単純に疑問に思って僕が尋ねる。
「今日くらいはいんだよ、七海の友達のために、おじさんが天ぷら作ったるからな。それに、天ぷらはおじさんの係だしな」
てっきり、そうめんと天ぷらはおばさんが作るものだと思っていた。
「天ぷら係! カッコいいっスね!」
林田がテンション高く持ち上げると、「だろ? おじさんだって天ぷらくらい作れんだぞ、ハハハ」と、嬉しそうに台所へと向かって行った。僕は腕まくりをして熱した油にジュワッと天ぷらを揚げるおじさんの姿を想像する。なるほど、ちょっとカッコいいかも。
「さて、オレらも行くか?」
「いや、さっきからずっとそのつもりで待ってたんだけど?」
明瀬さんがいたならば、尻を強く叩かれていたことだろう。僕は呆れて叱る気にもなれない。
座布団の上に正座をしていた正堂さんがこなれた動作で立ち上がったところで、僕らも気を引き締めるように立ち上がり、玄関から庭へと出た。
読んで頂きありがとうございました!
今回はほのぼのな日常でした。
次話、
和紙作り見学です。