第6鮫 風呂上りサメとベッドの上
『ここに隠れて! 出てきちゃダメだからね!』
『でも姉さん!』
『静かに!』
有無を言わさず、蓋の外れたマンホールへ体を押し込まれる。
『下水の臭いできっと見つからないから。このまま管の中を通って遠くまで逃げて』
『姉さんも一緒に!』
『アタシはこの管を通ってくにはちょっとナイスバディすぎるかな。あとで合流ね』
冗談めかす彼女が、自分を囮にするつもりなのは嫌でも分かってしまう。
『さ、行きなさい。蓋閉めるよ』
『姉さん――』
細くなっていく外の光をバックに、最後に見た彼女は微笑んでいた。
『生きて。どんなことがあっても、生き抜いていてね、レヒト』
そこでヒレブレヒトは目を覚ました。
天井のライトは割れて機能を失っており、若草色の壁紙は色あせている。申し訳程度のキッチンのついた狭い部屋だ。その面積の半分くらいを占めていそうなセミダブルベッドに彼は寝かされていた。
「ここは――」
「ふ~スッキリしたー」
シャワールームらしき扉が開かれ、脂肪が減ってちょうどよく見栄えのいい裸体を水滴で飾ったカフカが、ブロンドを雑にタオルで拭きながら姿を現した。
「うわぁっ!?」
「ちょっ……!? 起きてたなら言ってよ!」
カフカは慌てて体の前面にフェイスタオルを当てて隠す。
「えっ、ヒルおきたの?」
さらに体にバスタオルを巻いたプリルリが浴室から駆け出してくる。ベッドで体を起こしているヒレブレヒトを発見すると、勢いよくダイブ。
「ヒルーっ!」
「ぅおっとっ!?」
首に絡みついてきたプリルリにベッドへ押し倒される。
「こらそんな恰好で……ってなんで僕も裸!?」
ヒレブレヒトは毛布の中の自分の身体も全裸なことに気がついた。
「シャワーのついでに服も全部洗ったの。あ、そういえば――」
カフカがニンマリと目を細め、ヒレブレヒトの下半身を指さす。
「人間ってソレ、1本しかないのね。変なの」
「おまっ……寝てる間に僕になにした!?」
「安心しなさい。プリルリちゃんには見せてないから。あんな汚いもの」
「それはどうもね!」
サメのオスの生殖器はクラスパーといい、なんと2本あるのだ。
「ヒル、なんの話?」
「プリルリには関係ない話だよ」
「あ、そういえば――」
「今度はなんだよ」
カフカは裸にタオルを当てただけの姿でベッドに上がってきた。
「ホントになんだよ!? お前もバスタオルくらい巻け!」
「バスタオル1枚しかなかったの。なに? お姉ちゃんの裸見て興奮してるわけ?」
「だからお前は姉さんではない!」
「――分かってる」
カフカは毛布をめくり、ヒレブレヒトの胸にそっと手のひらを当てた。
「本当に治ってる……嘘みたい。完全に穴が開いてたのに――」
ヤホール婆さんの棘に刺し貫かれた胸は、そんな惨劇など無かったかのように元通りになっていた。
「ああ……便利だよな。人間の僕には『簒奪形質』は無いけど、盾くらいにはなれるみたいだ」
「やめてよそんな言い方」
カフカがぴしゃりと言った。鋭い瞳でヒレブレヒトを睨む。
「不死身っていったって、痛いでしょ。苦しいでしょ。――怖いでしょ、ねぇ」
ヒレブレヒトは何も言えない。
カフカは、胸に当てた手から彼の鼓動を感じている。
「アタシは、怖かった。なんでか分かんないけど……アタシたち、昨日会ったばっかりだってのに、なんでこんなに――」
声を震わせながら、カフカは胸の内を零していく。
「目の前で、アンタが死んじゃうって思ったら、死ぬほど怖かった。まるで本当の家族を亡くすみたいに――ねぇ」
カフカは身を乗り出し、ヒレブレヒトの顔を真上から見下ろす。
「アンタって、アタシって――いったい何なの?」
「……僕は、ただの人間だよ。ちょっと生き汚いだけの、ただの人間」
ヒレブレヒトはカフカから目を反らす。
首に巻き付いているプリルリの腕が、一層強く食い込んだ気がした。
その時、部屋のドアがゴンゴンと叩かれ、返事を待たずに開いた。
「声が聞こえとったけど、兄さん目が覚めたのかい?」
杖を突いた老人の男性がドアを開けて、その場で固まった。
無理もない。
そこにある光景は、ベッドに横たわる全裸の男と、そこに覆いかぶさる全裸の女。さらに男に抱き着いたバスタオル姿の少女。
「――若さとは素晴らしいのう……。瀕死の重傷を負ってもなんという壮健さ、バイタリティー……ワシも昔はババアの目を盗んで遊びまわったもんだが――」
「とりあえず一旦出てけエロジジイ」