第5鮫 宝石サメとサボテンの針
「大概の物ァここで揃うよ」
ヤホール婆さんが3人を連れてきたのは、かつての巨大スーパーマーケットの廃墟。
「水ァ2ブロック先のゲーリックって野郎が井戸を管理しとって、よそ者はいろいろと手続きして使用料を払わにゃならんが、あたしが先に行って話つけといてやるから。とっとと買い物済ましてきな」
「本当にありがとうございます」
「あァたね、お嬢ちゃんは育ち盛りなんだから、栄養バランスにも気ィ配ってやんだよ。一応この辺は昔からサボテンが名産だからね、美味しいからオススメだよ」
すっかり町の世話焼きといった顔を見せるヤホール婆さんに感謝を述べつつ、3人は開きっぱなしになっている自動ドアの跡を潜った。
当然ながら一つのスーパーマーケットとして運営されているわけではなく、残されている棚などを利用して、個人の商人がフロア内のあちこちで商品を並べ勝手に商売をしているようだった。
「じゃ、アタシは早速商談に行ってくる」
カフカはクレイジーソルトを売り込んで金を作るために、調味料などを扱う商人を探しに向かった。
「さてと――肉はたくさんあるから野菜とパンとピーナッツバター……靴下の替えがあったらいいな。プリルリは何か食べたいものある?」
「おばあちゃんの言ってたサボテン食べてみたいな」
「もちろん。炒め物にしてもいいし、生でもみずみずしくて美味しい」
「ヒルの作ってくれる料理はなんでもおいしいよ」
広いフロア内を、手を繋いで巡る2人。
しかし普通の街なら鬱陶しいほど声をかけてくる店頭の商人たちは、商品の合間に隠れるように身を縮めてじっと見てくるだけ。
ここでも目立つことは厳禁ということらしい。
「――お嬢さん、お嬢さん」
ところが、フロアの端の一角にシートをひいて商品を並べている男がプリルリに小声で呼びかけてきた。
「どうだい、綺麗なものいろいろあるよ。見てかない?」
立ち止まるプリルリ。ヒレブレヒトも足を止める。
男が売っているのは手製のアクセサリーのようで、窓から差し込む日光を反射してキラキラと輝く指輪やブローチなどが置かれている。
「……絶対に目立つなってあちこちで言われてきたんですけど、アクセサリーなんか売ってていいんですか?」
「だからこそだよお兄さん。こんな重苦しい状況だからこそ、着飾って自分をアゲてかないと。服の下に隠してつけたっていいんだよ。大事なのは外見じゃない。『今のオレ輝いてる』って自分をおだててやることさ。この腕輪なんかお兄さんのぶっとい腕にお似合いなんじゃないかい?」
「ぼ、僕は大丈夫です……」
差し出されたキンキラキンの腕輪を固辞するヒレブレヒト。
しかしプリルリは、飾られたペンダントのうちの1つを手に取り、目を輝かせている。
「おっ、お嬢さんお目が高いね。それは良いもんだよ。鉱山の地下で鉱石をたらふく食ったジュエルシャークから採った、ファイアオパールの歯のペンダントだよ」
赤みがかった明るいオレンジ色のサメの歯の中に、光の加減で青や緑や黄色の虹彩が火花のように奔る煌びやかなペンダント。
「きれい……」
「それ、欲しいのか?」
「んー……」
歯の中に炎が閉じ込められたような輝石をちらちらと陽の光に透かして見ながら、プリルリは歯切れ悪く唸る。
行く先々でちょっとした仕事を請け負いながら旅をしているヒレブレヒトには、懐に大した余裕がない。彼女もそれは分かっているのだ。
「いいじゃない、買っちゃえ買っちゃえ」
そこへ姿を現したのはカフカだった。
「カフカ、クレイジーソルトは売れたのか?」
そう尋ねたヒレブレヒトに、カフカは無言でサムズアップしウインク。
「プリルリちゃんにもお礼しなきゃって思ってたのよ~。お姉ちゃんが買ってあげる」
「でも……」
「ほらほら付けてみなって」
カフカはペンダントを掴んで、鎖をプリルリの首に回す。店員の男がにこやかに鏡を取り出して掲げ持つと、ペンダントを胸に下げて少し頬を赤らめたプリルリが映る。
「――ど、どうかな? ちょっとわたしには大人っぽすぎない?」
「そんなことないって。良く似合ってる」
「うんうん、可愛いよプリルリちゃん」
2人に褒められ、プリルリははにかみながらファイアオパールの歯を撫でた。
3人の姿が映る鏡の中に、背後の窓も映っている。
窓の外に放置されている廃車のサイドミラーも映っている。
サイドミラーには道の真ん中にある油の浮いた水たまりが映っている。
水たまりには、集落の真ん中にそびえる旧市庁舎ビルが映っていた。
「【大味で酸っぱい柘榴】」
店員の男の右拳が紅色の結晶で覆われるや否や、カフカの顔面めがけパンチを放つ。
カフカは咄嗟に拳を避けるが、店員が全体重を乗せたパンチの勢いのまま倒れかかってきたせいで3人は押し倒される形になる。
「きゃあッ!」
「なんだ突然!?」
「ウウウヴゥァアアアアア!」
店員は血走った眼を見開き、獣のような唸り声を上げて、カフカへマウントポジションで追撃を加えようとする。
「【鐵撞木】……ッ!」
カフカは体をひねり、店員の脇腹に蹴りを叩き込んだ。
店員はピンボールのように転がり、壁に激突して動かなくなった。
「――それが3つ目の能力か……」
「ええ。『めっちゃ強いキック』よ……」
ヒレブレヒトはプリルリを抱き起し、カフカにも手を差し伸べる。
「何なのいきなり襲い掛かってウヴゥっ」
立ち上がりかけたカフカの後頭部にトマトが飛んできて潰れた。
「な、なにコレ――」
「立て!」
慌ててカフカの手を引っ張り無理やり立たせるヒレブレヒト。次の瞬間、カフカがいた場所にウイスキーの瓶が落ちてきて割れ、中身が飛び散る。
「ヒッ……!」
「これは……何が起こってるんだ……」
先ほどまで静かにしていたフロア中の商人たちが全員3人の方へ向かってきていた。
「グガガガガゴアアァアァ!」
「グギヒヒヒヒグヒホゥ!」
「アゲゲゲゲエハゥバハァ!」
全員がアクセサリー売りのように目が血走り、明らかに正気ではない。
そこら辺にある商品を手に取り投げつけてくる者、武器になるものを持ち殴りかかってくる者、さらには『簒奪形質』で攻撃を仕掛けてくる者までいる。
「逃げるぞ!」
ヒレブレヒトはプリルリを抱き上げ、カフカと共に出入り口へ駆け出した。
狂乱の商人たちは3人を追い、投げられた商品が頭上を飛び交っている。
「どう見ても操られてるよなコレ!」
棚のスイカを飛び掛かってきた男の顔にブチ込みながらヒレブレヒトが叫ぶ。
「なるべく怪我とかさせたくないけど!」
「人間ってみんなそんな悠長なの?」
カフカが積まれていた油の缶を倒すと、零れ出した油で追手が滑って転んでいく。
「それともアンタが特別のんきなだけ? ああもう体が重い!」
「ヒル! 前!」
プリルリが叫ぶ。もうすぐ出入り口だというのに、前からも商人らが襲い掛かってきていた。
「プリルリ! このまま走って!」
ヒレブレヒトはプリルリを床に下ろし、フロアの端に放置されていたショッピングカートを両手に1つずつ取って、狂った商人の群れへ突撃する。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
『グギャアアアアアアアアアアアアアアアア!』
カートの突進と正面衝突してなぎ倒されていく商人たち。
そのまま出入り口までの通路を開き、カフカとプリルリが外へ脱出。続いて転がり出たヒレブレヒトは錆びついて固まっていた出入り口のシャッターに手をかけ、顔を真っ赤にしながら押し下げると、金属の擦れる耳障りな音と共に出入り口は閉じられた。
中からシャッターにぶつかる音が響いてくる。
プリルリがヒレブレヒトの腰に縋り付いてくる。
「助かった……?」
「いやまだだ」
ヤホール婆さんの忠告を思い出す。
『もし危ないことんなったら、まずァ逃げな。とにかく集落の外まで逃げきること』
「きっと、この集落の中全部が――」
『ヴガアアアアアアアアアアアアアアアア!』
言うや否や、通りという通りから集落の住人たちが吶喊してくる。さらに中で炎が燃えている金属製のごみバケツが二つ、放物線を描いて3人の頭上へ襲い掛かってくる。
「セイヤッ!」
カフカが【鐵撞木】ハイキックからの回し蹴りで迎撃。
凹んで跳ね飛んだごみバケツは住人達の前に燃え転がるが、それすらもゾンビのように押し寄せる彼らの脚を緩ませることがない。
「カフカ! とにかく集落の入り口を目指そう! 止まるな! 囲まれたらマズい!」
「そうだね!」
駆け出そうとしたカフカだが、脚が動かない。
「なッ……!」
足元の地面から手だけが飛び出て、彼女の足首をがっしりと掴んでいた。
「ちょ……離して……!」
もがいて拘束から脱しようとするカフカに、素早く駆け寄る影があった。
「クケーッ!」
「危ない!」
ヒレブレヒトが影とカフカの間に立ち塞がった。
小柄な影からは無数の巨大な棘が伸び、ヒレブレヒトの胸を貫いた。
「ブグぁ……ッ!」
「ヒル!」
プリルリが悲痛な声を上げる。
ヒレブレヒトの口からは鮮血が噴き出し、目は驚愕に見開かれている。
「ヤホール、さん……!?」
「クケッケケケケェ!」
両手から生やした太い棘でヒレブレヒトを刺し貫いたヤホール婆さんは、口から泡を飛ばしながら棘を抜こうともがいている。
「離れろ!」
カフカがヤホール婆さんを前蹴りで突き飛ばすと、棘の抜けたヒレブレヒトは力なくその場に倒れた。カフカが抱き起そうとするが、胸の真ん中を穿たれている傷からは血がドクドクと溢れ、肌はどんどん血色を失っていく。
「ちょっとしっかりしてよ! アタシを庇って……死ぬなよバカ!」
「ヒルは死なないよ」
動転しかけたカフカに、プリルリが平淡な口調で言う。
「わたしのヒーローが、こんなことで死ぬはずない」
「――そうだね。そうだった……」
ヒレブレヒトの不死身の能力。それがどの程度のものなのか見たことがないカフカはその力を信じるしかなかった。
――彼が身を挺して守った自分たちが死ぬわけにはいかない。
既に周囲を住人に囲まれ、リンチされる寸前の状況でカフカは覚悟を決める。
「プリルリちゃん、ちょっとごめん」
プリルリの身体を肩に担ぎ上げ、カフカは軍用ジャケットのチャックを開き、紐ビキニのみの上半身を露わにする。
彼女の周囲に風が渦巻き、髪を逆撫で、詰め寄る住人らを押し返す。
膝を曲げ、倒れたヒレブレヒトのベルトを掴み、地面を蹴り上げて空中へと飛び出した。
飛行サメはサメ肌で周囲の気流を操作して飛ぶ。
つまり肌が露出していればいるほど飛行能力はアップするのだ。
ただしカフカ本人にプリルリ、さらに大柄なヒレブレヒトまでとくれば、完全に重量オーバーであった。
「はあああああああああああああああああああああああッ!」
真っ直ぐ20メートルほど一気に上昇しただけで、カフカを激しい頭痛と眩暈が襲う。
「こッのッ程度で……っ」
空中で体を翻し、太陽の位置を確認すると、西へ向かって空を駆ける。
「西へ……アンダウン・モーテルへ……!」
狭まってくる視界。右の鼻から鼻血が流れ出す。あれほど溜め込んだ脂肪が急速に燃焼され衣服が緩くなるのを感じる。
それでも肩のプリルリと、握りしめたヒレブレヒトのベルトの重みに意識を集中させる。
「生き抜かなきゃでしょ、絶対に……そうでしょ、ねぇ――レヒト」
自分の口から零れ出た言葉も分からないまま、カフカはひたすらに西を目指した。