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第38鮫 守るもの、受け継ぐもの

「イナンナ、君はこれからどうするんだ?」


 ヒレブレヒトが尋ねると、イナンナは肩をすくめた。


「さあね。これから考えるわ」

「君がまだ自分が認めたものだけの世界を作ろうとか考えているなら、僕はそれを止めなくちゃならないんだけど――」

「……わーが今一番認めたくないものは、このわー自身よ。まずはお風呂に入りたいわ」


 彼女の口ぶりからするに、とりあえず彼女を止めるという目的は達成されたと考えてよさそうである。


「いろいろあったけど、なんとか終わったな、カフカ――」


 カフカに視線を移すと、彼女はまだネイトの遺体の傍らにいた。

 否、ネイトの遺体はもうそこには無かった。

 よくよく見てみると、今まさにカフカが母親の最後の一欠片を口に入れていた。

 砂を噛むような音を立てて、死んだ母を咀嚼し、飲み込んだ。


「――まだ終わってないよレヒト。アタシの目的はまだ終わってない」

「カフカ……? 君の目的って――」


 ――プリルリを蘇らせること。


 俄かにカフカの全身が紅く輝きだす。


「あがッ……ぐぅ……!」

「――まさか……やめろ!」


 苦悶の表情を浮かべ始めたカフカを見て、ダーナが焦りの声を上げる。


「せっかく生き残ったのに! なぜそんなことを……!」

「何が起こってるんですかダーナさん!」

「こいつ、ネイトの『サメの始祖としての機能』を使おうとしてやがる」


 苦しむカフカをヒレブレヒトと共にそっと床に寝かせながらダーナは続ける。


「サメの始祖は、集めた全生命力を受け継いだ後継者を産み出し、生涯を終える――ネイトはわざと生命力をケチることで俺らのような欠陥品を産み出したが、これは……」

「アタシ、プリルリちゃんを産むよ」


 カフカは脂汗を浮かべながらヒレブレヒトに告げる。


 始祖が後継者を産み出す力の本質は『生命エネルギーの転換による個体生成』である。

 本来はそこに自らのDNAや『簒奪形質(カルマリウム)』といった個体の情報を込めることで、後継者となるクローンを産み出すのだ。

 カフカはその仕組みを感覚で理解し、ハックした。


「アタシがプリルリちゃんから受け継いだ能力、魂、想い、血肉――全部込めて、プリルリちゃんを再構成する」


 カフカの全身から発せられていた紅い光が、彼女の腹に集中していく。


「やめろ! お前は死ぬんだぞ!」


 ダーナが必死に止めるが、カフカは意志を崩さない。


「アタシの命も、プリルリちゃんが受け継いでくれる。ねぇ、レヒト――」


 カフカは痛みを堪えながらヒレブレヒトに微笑みかけた。


「アタシはプリルリちゃんから預かったものを還したい――アンタという『ヒーロー』も。でもそれまではアタシの『ヒーロー』でいてくれるって、約束したよね? アタシの想い、守ってくれる、よね……?」

「――分かった」

「お前……!」


 ダーナは愕然と彼を見るが、ヒレブレヒトはカフカの隣にしゃがみ、彼女の手を強く握った。


「僕はカフカの想いも、プリルリのことも守る。絶対に――だから頑張れ!」

「うんっ……! っぐ――がはぁあッ……!」


 カフカが涙を浮かべながら頷くとお腹の光が一層強く輝き出し、カフカは痛みに悶え歯を食いしばり、話すことも出来なくなる。


「頑張れカフカ! 僕はずっと隣にいるから! 頑張れ!」


 ヒレブレヒトが彼女の手を強く握りしめると、カフカも強く握り返す。

 やがて殊更強く、濃く光が輝き、カフカが絶叫するとともにヒレブレヒトの手を握り潰さんばかりになると、お腹の光が彼女の身体を離れ、命の形をとって物質界に現れた。

 慌てて支えたヒレブレヒトの腕の中で、鮮やかな赤毛の赤ん坊が産声を上げていた。


「プリルリ……プリルリなのか……?」

「おい」


 ダーナが上着を脱いでよこした。


「これでくるんでやれ」

「は、はい」


 ヒレブレヒトは言われた通りに赤ん坊をくるみ、カフカに呼びかける。


「カフカ! やったぞ! よく頑張ったな! カフカ――」


 しかし、もはや彼女の手は握り返してこなかった。


「……子供にとって最初のヒーローは親だ」


 ダーナが平坦な口調で言う。


「その赤ん坊が受け継いだ【舞台の上(フェアリーテ)の王子様(イル・コード)】で、お前は生き残る。これで満足か? これが本当にカフカを守ったことになんのかよ『ヒーロー』」

「まさか。本当にこの子がプリルリなら分かっているはずです。自分を救ってくれた『ヒーロー』が誰なのか――」


 ヒレブレヒトは、まだ泣いている赤ん坊をカフカの胸の上に寝かせ、彼女の腕に抱かせた。


「ほら、プリルリ。カフカが命をなげうって、君の想いを受け継いでくれたよ。本当にかっこいい(サメ)だよな。そうだろう?」


 ヒレブレヒトが優しく語りかけると、赤ん坊が泣き止んだ。

 そして自分に乗ったカフカの手を探り当て、その指をぎゅっと握った。

 カフカの手が、微かに動く。


「……!」

「マジか――」


 見守る者たちの前で、カフカの目がゆっくりと開いた。


「――レヒト……?」

「言っただろ。二人とも絶対に守るって」

「――うん」


 カフカはプリルリをそっと抱きしめ、ヒレブレヒトは2人をまとめて抱きしめた。


「あー、つまり? 今はカフカが赤ん坊の『ヒーロー』になり、ヒレブレヒトがカフカの『ヒーロー』になってる状態……で合ってるのか? ったくヒーローの大安売りだな」


 ぼやきながら遠目で佇み、3人を眺めているダーナ。


「ま、その気になれば誰でもヒーローになれるってことかね」

「何を呑気にぼやいているのかしら」


 ずっと彼らの様子を遠巻きに見ていたイナンナが歩み寄ってきた。


「ダーナ、ここから陸地までどう帰ればよいのか分かっているの?」

「は? 来た時と同じく椅子に座って飛んでけばいいじゃねぇか」

「もうあの椅子は要らないわ。ここに置いていく。だからダーナ、帰りはそのほーがわーを背負って泳ぎなさい」

「――何言ってんだお前。第一、別に椅子無くても飛べはするだろうが!」

「わーに生涯を捧げた従者が文句をつける気? そのほーが贖罪したがっているから願いを叶えてやろうという優しさよ。じゃ、そういうことでよろしく」


 一方的に言い放つと、イナンナは3人の許へ歩いていった。


「ちょっと、わーにもその赤ん坊を抱かせなさい。あと産湯にはわーが入れるわ!」

「……マジかよ。――おっと」


 彼は顔を引きつらせながら、つい手癖で煙草を咥えようとしていたことに気づいた。


「捨てんのは、これで最後だ――」


 赤ん坊を囲んで楽しそうに騒ぐ3人を眺めながら、ダーナは煙草を箱ごと放り投げた。

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