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第36鮫 完全なる不完全さ

 ただ立っていて、ただ見て、ただ喋っているだけだというのに、存在感が質量を持って周囲に撒き散らされているかのようなプレッシャー。

 思わず膝をつきそうになるヒレブレヒトだったが、隣のカフカが息を荒げながらも気丈にネイトを睨め付けているのを見て、腹に力を籠める。


「なんでイナンナを食った! 彼女はあなたのために――」

「おお、イナンナは褒めてやらんとな。我のために不死を実現する力を手に入れてきた。まったく、可愛い娘よ」

「あの子はアンタを継ぐために頑張ってたのに……継がせる気なんか無かったわけ!?」


 飄々と言い放つネイトに、怒りを爆発させたのはカフカだった。


「アンタは一体何がしたいの!? どういうつもりなんだよ――お母さん!」

「――ほう、貴様……ダーナよ。失敗作は処分を命じたはずだが、妹可愛さに我に背いたか貴様」

「えっ……? 妹?」

「…………」


 ダーナはただ黙って控えている。ネイトは大して気に留めていない様子で続ける。


「『何がしたいの』か。いいだろう。教授される幸運を喜ぶがよい」


 部屋の隅に置かれていたイナンナのお気に入りだったロココ調の豪奢な椅子がひとりでに飛んできて、ネイトはそこに腰を落ちつけた。


「この宇宙で唯一万能の神として君臨する――それが我の最終到達点である」

「……宇宙?」


 国でもなく、大陸でもなく、星でもなく、宇宙。

 一段飛ばしで拡大するスケールに間抜けな声を上げてしまうヒレブレヒトに、ネイトは楽し気に微笑む。


「そも、我は4億年以上前にこの星に宇宙から飛来した存在である。生物の存在する惑星に降り立ち、自らの複製を生産して惑星中の生命力を食い尽くし、それらを全て注ぎ込んで自らよりも優れた娘を産み、また次の惑星へと送り出して生涯を終える――惑星の命を食い尽くす頂点捕食者(プレデター)にして終焉を齎す者(ターミネーター)。それが我らサメという生物の本当の姿――」


 だが、とネイトは足を組み替える。


「気に食わぬ。何故我が死なねばならぬ。何故娘に全てを譲らねばならぬ。我が自ら全てを手にし、至高の存在へと至ればよい話ではないか。そこで我はこの惑星で発生した現象――『簒奪形質(カルマリウム)』というらしいな。そこに目を付けた。交じり合い、複雑化し、実に多岐に渡る能力がそこかしこで芽生えた。元は我が分け与えた『食った生物の特徴や長所を獲得する能力』がここまで花開くとは、この世は愉快なものだな」


 得意げに語るネイトの背後で、ダーナがじっと自分を見ていることにヒレブレヒトは気づいた。

 何も言わず、そっと色付き丸メガネを外した彼は、何かを訴えかけるような視線をひたすらヒレブレヒトに送っていた。


「そこで我は考えた。『あえて自分よりも劣った娘を産み、我が永遠に君臨するために有用な能力を集めさせればよい』とな。さすれば我直々にこの星の総てのサメに貸し与えたままの力を徴収し、食い尽くしたらば別の星に赴き、また食い尽くし――時間をかけてこの宇宙の総ての生命の力を得た唯一神となれる。


 名案だと思い早速産んでみたのだが、これが上手くいかぬ。『ただのサメよりは我に近く』、『他者の能力を奪う能力を持ち』、それでいて『完全な我の後継者ではない()()()』という条件を兼ね備えた娘を産まねばならん。この微調整が途方もなく難しく、最初に産んだのはなんと男だった。男では後継者にはなれぬ。『貴様が後継者だ』と騙すことも出来ん。それが奴だ。ダーナだ。最初の失敗作」


 ダーナは気にも留めていないという様子で、新しい煙草に火をつけた。


「その後も失敗作を産み続けた。何度捨てたか覚えておらぬが……ついに完成したのがイナンナだったというわけだ。完全なる(パーフェクト・イン)完成品(・パーフェクト)? 違うな。奴は完成した(パーフェクト・イ)欠陥品(ンパーフェクト)。最初から欠陥品として産み出され、我の望む物を集めてくるためだけに育てられた、素直で可愛い、馬鹿で愚かな娘だよ」


「――ええ、可愛い奴でしたよ。我が儘にもほどがありましたけど、本当に可愛い末の妹でした」


 ダーナが色付き丸メガネをかけ直しながら口を挟んできた。


「ただまあ、格好ばかり気にして、『後継者』としての自覚は有って無かったようなものでしたがね。暇さえあれば温泉巡りで……」

「ふむ、確かにな」


 ネイトは手元でガラス細工のサメを生成しながら気分よく話し続ける。


「ガラス細工に城づくり、衣服の生成、身体に汚れが付かない能力……はっ、さもしいな。サイコキネシスは使えぬことも無いが……飛べるだけの下等サメを操って何が面白いのか」

「でも試してみても面白いかもしれませんよ? 形から入るというのも悪くない。せっかく瑞々しい体を手に入れたんですし、一度着飾ってみては?」

「我もう4億歳ぞ? 歳を考えろ」

「何ならイナンナの15歳の身体になったっていいじゃないですか。理想の姿になれるんでしょ?」

「要らん要らん。我は外見より中身を重視する。最終的には総て徴収するとはいえ、今は【舞台の上(フェアリーテ)の王子様(イル・コード)】だけで十分――」


「【ずっと(オール・ウッド・)輝いてろ(ラスト・フォーエヴァ)】」


「――貴様……ッ!」


 ダーナに詰め寄りかけたネイトが俄かに苦しみだす。

 煙草を一気に吸い、足元に落として踏みにじるダーナ。


「今言ったよな? 要らねぇってよ。イナンナの身体も、【舞台の上(フェアリーテ)の王子様(イル・コード)】以外の能力も、全部要らねぇっつったよなぁ? だったらいいよな、捨てちまっても。お望み通り、捨てさせてやったぜ――妹返せよクソババア」


 ネイトの口が一瞬だけ元の枯れ果てたサメの干物の口元になり、開いた大口から多量の肉片が飛び出してきた。

 肉片は床に落ちて飛び散り、再び集まって粘菌のように蠢き、形を成し、やがて精緻な造形を施され――そこには、完全なイナンナの身体が横たわっていた。

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