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第35鮫 クロノス

 ギュゥィーンギュギュギョワァァーントゥクトゥクトゥクジャガジャガン!


「……!?」


 1辺が50メートルほどはあろうかという正四面体の大空間。

 そこにダーナが掻き鳴らすエレキギターの音色がアンプを通した大音量で轟いていた。


 そして部屋の中央部には全長20メートルほどの石棺が安置されており、その周囲には大量の篝火が焚かれ、その隙間を縫うようにイナンナが舞い踊っている。

 イナンナは真っ白い麻布で誂えた袖の広い和装の上着に、鮮やかな紅色の袴を重ね、頭には金のサメを象った飾りをつけ、両手に持った神楽鈴を鳴らしながら、優雅で厳かな舞いを繰り返している。


 現代の視点で見れば、古代エジプトのピラミッドの中で、掻き鳴らされるエレキギターの音色に合わせて、日本の巫女の格好をした少女が神楽を舞っている――という、あまりにもちぐはぐな情景であった。


 ヒレブレヒトとカフカが入ってきても構わず、演奏と舞踊は続いた。

 最初は呆然としていた2人も、その荘厳な雰囲気に流され、イナンナの優美な舞いに感嘆の吐息を漏らしていた。


 どれほどそうしていただろうか。

 イナンナが石棺の正面で舞いを終え、ギターの音色が止んだ。

 それと同時に石と石が擦れ合う音と共に地響きがして、巨大な石棺の蓋が向こう側へとズレていき、ついには完全に床へ落ちた。

 蓋が開いた石棺から、得体の知れないものが這い出てくる。


 ヒレブレヒトには、それを一目見たとき、萎びたナスに見えた。

 乾ききって、萎み切って、砂と変わらない色をした、もぞもぞと蠢く何か。

 蝶の幼虫に寄生した蜂の子が宿主を食い破って外へ出てくるように、石棺から乗り出して外界へ漏れ出そうとのたうっている。


「母上!」


 舞い続けた後、その場で息を整えていたイナンナは、汗だくの顔を上げて嬉しそうに声を張る。


「わーが帰ったわよ! 完全なる(パーフェクト・イン)完成品(・パーフェクト)たるこのイナンナ、母上の完全なる後継者として相応しい力を手にして帰還したわ!」


「――イナ――ンナ」


 乾ききったその物体の一端が割れ、尖った歯のようなものが並んだ裂け目から、枯れ木が擦れ合うようながさがさとした音が発せられ、そこが口なのだと分かった。


 その得体の知れないものは、巨大なサメだったのだ。

 ただクジラほどのサイズがあるだけの、無垢なるサメの干物。

 それがこの惑星中のサメの始祖である、女王の今の姿だった。


 ――女王にイナンナの暴走を止めてもらうだと?


 ヒレブレヒトは自分の思惑の浅さに嫌気がさした。

 眼前に佇んでいるのは、明らかに自分たちとは別種すぎる存在である。


「――イトシイ――ムスメヨ――」


 女王は辛うじて首だと分かる側を石棺から擡げ、イナンナを見下ろすような体勢をとる。

 イナンナは抱擁を求めるように、両手を高く伸ばして母を見上げた。


「母上……こんなにも衰えた姿で……。さあ早く継承の儀を――」


 イナンナの両手の肘から先が食いちぎられ、消えた。


「え――」


 自分の腕から流れ出る血に愕然としたイナンナは、震える瞳で母を見る。


「は……母上……?」

「――イトシク――オロカナ――ムスメヨ」


 目にもとまらぬ速さで食いちぎったイナンナの両手を飲み込み、女王は嗤った。

 嗤っている。

 口を開け、どんどん青白くなっていく自分の娘を見下ろしながら、砂を踏むような音で嗤っている。


「オマエノ――ヤクメハ――オワッタ」

「いや……やめて母上……! ダーナ! 助けて! ねぇダーナぁ!」


 見たこともないほど狼狽し、顔を涙と汗でぐちゃぐちゃにしながら、生えかけの両腕を振り回してダーナに助けを求めるイナンナ。

 しかし、彼女の視線の先で、従者は背中を向けたまま、黙って煙草をふかしていた。


「ダーナぁッ! お願い! 見捨てないで! 助けてよぉ! 助け――」


 女王がイナンナの身体に噛みつき、大きく振り回しながら咀嚼していく。

 神を自称していた不遜なる少女の美しい身体は、打ち捨てられた人形のようになすがままに壊され、砕かれ、ただの肉塊として女王に飲み込まれていった。


「嘘だろ……」


 そう漏らすのが精一杯のヒレブレヒトと、歯を食いしばって震えるだけのカフカ。

 その視線の先で、今度は女王の乾いた身体が白く輝きだす。

 発光した巨体は、光を凝縮するように強く輝きながら縮んでいく。

 やがて通常の人間大にまで縮んだ光が薄れ、そこには1人の女が立っていた。


「――うむ。なかなか良い『簒奪形質(カルマリウム)』だ。イナンナは見事にやり遂げたようだな」


 一糸纏わぬ自分の姿を眺め回す妙齢の女性。深海から見上げた太陽のような群青色の波打つ豊かな長髪を左肩から前に垂らし、爛々とした瞳は構造色で虹色の光輝を発する。


「御着物を」


 ダーナが彼女の後ろに立ち、いつの間にか持っていた薄絹のように透ける布を幾重にも重ねた、波のように揺れる淡い色のガウンのような服を掲げ持つと、女性はそれに袖を通し、同じ材質で出来た帯を緩く締めた。


「ご苦労だったな、ダーナ」

「いえ。使命ですので」


 恭しく会釈をして控えるダーナ。


「それで、客人がおるのか」


 彼女は堂々とした立ち姿で名乗りを上げた。


「我は総てのサメの祖であり与える者、そしてこの星を統べる神であり奪う者――名を呼びたければ、ネイトと口にするがよい」

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