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第32鮫 ブルース

「私めはティルエッタ・ティンケルターボと申します。確かに私めのことを『コレクター』と呼ばれる方もいらっしゃいますね~」


 身長も胸も尻もすべてがどデカい女は、カフカが乱雑に出しっぱなしにしていたVHSを1つ1つ元の棚に戻しながら話し始めた。


「私めの【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】の中ではあらゆる物品を経年劣化せず保管できるのですが、生物はそうもいかなかったようで……」

「あー、気にしないでください。腕ならそのうち生えますので」

「え、そうなんですか? 人間に再生能力は無かったはずでは……」

「僕が特殊なだけですよ」


 腑に落ちてない様子だったが、片付けが終わったので棚を離れるティルエッタ。


「お食事のご用意もいたしましたので、ひとまず外に出てお話いたしましょうか~」


 出られるんですか? と聞きかけたが、ティルエッタ本人が入ってきている時点で出られることは当然なことに思い当たりヒレブレヒトは黙る。


「ここには空のものも含めて126穣7650杼6002垓2822京9401兆4967億320万5376の部屋と扉が円環に繋がっています。闇雲に進むだけでは永遠にさ迷い歩くだけですが、どの部屋に何が所蔵されているのかを記憶し、行きたい部屋を明確に思い浮かべることで、扉はその部屋へと繋がります」


 ティルエッタは彼女が入ってきた扉に手をかけ、ゆっくりと開く。


「さあ、どうぞ」


 扉の向こうには、古ぼけた石造りの部屋があった。

 促されるままに扉を潜ると、石レンガ製の建物の中だった。


「ヒヒンシャーク! ウマウマ!」

「センパー! パラタス!」


 室内に繋がれていた2頭が元気に嘶き、ヒレブレヒトが駆け寄って片手で撫でてやると嬉しそうに頭を擦り付けてくる。


「2頭ともお利口なお馬さんですねぇ」


 芋や野菜を煮込んだポトフのようなスープを深皿に盛り、簡素な木のテーブルに配膳しているティルエッタ。


「さあ、お食事にいたしましょう」


 カフカとヒレブレヒトが素直に席に着くと、巨大なティルエッタは1人だけ床に正座し、恰好に反して別にお祈りなどはせずに食事を始めた。


 ヒレブレヒトは順を追ってここに来た目的を語った。

 サメの女王の存在と、その娘であり次代の神イナンナ、及びその能力と目的。彼女と戦い、プリルリが能力を奪われ死んだこと。そして従者ダーナに『コレクター』の居場所を教えられ、ここを訪れたこと――

 そこまで説明し終わった頃には、カフカはポトフを5杯おかわりしていた。


「――なるほど。お話は分かりましたぁ」


 ティルエッタはカフカに6杯目を出してやりながら言った。


「ダーナさんのことは存じております。私めのコレクションのための情報収集を手伝っていただいたこともありました。もしかすると、私めの蒐集物の中に貴方がたの助けとなる物があるということなのかもしれませんね~」

「それじゃあ――」

「しかしながら~」


 ティルエッタは元の位置に座ると、眼鏡の奥の瞳をスッと細めた。


「私めが貴方がたにご協力する筋合いがございません」

「イ、イナンナを止めないとみんな殺されるかもしれないんですよ? 人間も、人間サメも……!」

「次代の神による選別ですか。いいではないですか~。死んでも遺物は残ります。情報は遺ります。私めはそれが蒐集できれば問題ありません。少なくとも私めは、生き残る側にいられるという自負はございますので――」

「でも……僕らにはもうあなたしか伝手が無いんです。そこをなんとか――」

「……些か勘違いをされているようですが~」


 ゆっくりと眼鏡を外し、レンズをスカプラリオで拭くティルエッタ。


「貴方がたを逃がすつもりはありませんよ?」

「えっ……」

「私めは人間グッズの蒐集家。生きた人間などという貴重な品物、手放そうなどと思うはずありません。食事が終わりましたら、パートナーの方と一緒に【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】の中に戻っていただきます。今後はちゃんと給餌もいたしますので~」

「もうそんなに易々と捕まりませんよ」


 ヒレブレヒトは腰を浮かせ、いつでも逃げられる体勢をとった。しかしティルエッタは穏やかな態度を崩さない。


「私めの蒐集部屋は、広さという概念がありません。その気になれば、貴方がたがどこまで逃げようと、()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなにお嫌ですか~? 危険を冒して戦う必要も、食べるために働く必要も無く、人間の遺した娯楽で永遠に暇つぶしして生きていくのも乙なものだと思いますよ。お部屋もまだたくさんありますので、いくらでも繁殖してくださっても構いませんし~」

「――あ、そうだ。忘れてた」


 ヒレブレヒトは席を立ち、まだ再生しきっていない右腕のせいでバランスを崩しながら、パラタスに背負わせていた荷物からダーナにもらったレーザーディスクを取り出した。


「対価として十分かは分かりませんが、これでなんとか僕らに協力してもらえま――」

「んなななそそれはぁ……ッ!?」


 ティルエッタが目をカッと見開いて甲高い声を上げ、ツカツカと寄ってきた。


「『ジョーズ』!? しかも西暦1978年のMCA版!? 世界初の家庭用レーザーディスクメディアとしてDisco Visionレーベルから発売された映画メディアのうちの1つ! いくら探しても再生可能な保存状態のものが見つからなかったのに……どこでこれを!?」


 急に早口で捲し立てられ、巨大な身体で覆い被さるように詰問されて面食らう。


「ダ、ダーナさんからいただきました……」

「ダーナさんが……やはりこれはワーナット=ブリリストン大統領の持っていた物! どれだけお願いしても譲ってくれなかったあの逸品がついに私めのコレクションに――」


 ティルエッタが両手で掴み取ろうとしてきたが、ヒレブレヒトはひょいと避ける。


「…………」

「…………」

「……協力、してくれますか?」

「いたしましょう!」


 差し出されたレーザーディスクを恭しく受け取ると、プレゼントを貰った子供のように目を輝かせ、うっとりと頬擦りまでするティルエッタ。


「もう何でもおっしゃってくださぁい。私めにご協力できることなら何なりといたしますよ~」

「じゃあとりあえずおかわり頂戴!」

「はぁ~い!」


 カフカに7杯目のポトフをよそうティルエッタを眺めつつ、ヒレブレヒトはレーザーディスクのついでに思い出したメモをポケットから取り出す。


「もう1つ、ダーナさんからヒントのようなものを預かってたんですが、この言葉に心当たりはありませんか?」


 メモを手渡されたティルエッタは指で摘まんで読み上げる。


「『タマゴは2つ。ミルクは入れない』――ああ、『ディープ・ブルー』ですね~」


 ティルエッタは懐からVHSを取り出し、テープを引き出して【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】を発動。

 輝く磁気テープの中からあの部屋にあったブラウン管テレビとメディア再生機器セットを取り出し、最後に海上にいる女性の背後から巨大なサメが迫りくる青いパッケージを手元に置いた。


「こちらが西暦1999年に公開された映画『ディープ・ブルー』のBlu-ray版です」

「ぶ、ぶる、れい……? それが何かのヒントになるんですか?」

「さあ……『タマゴは2つ。ミルクは入れない』というのは、この作品内である登場人物が遺言のビデオメッセージとして家族へ遺そうとした言葉の一部です」


 ティルエッタはパッケージを開き、中のディスクを取り出す。


「何はともあれ、まずは観てみましょうか~」


■□   □■


「う~ん、何度観ても素晴らしい作品ですね~。海上の研究施設という閉鎖空間で水に追い詰められながらサメに襲われる閉塞感の恐怖。誰が犠牲になるのか予想がつかないサスペンス。そして何より可愛いコックさん……はぁ、今日も推しが尊い……!」


 よく分からないことを言いながら巨体を震わせ悶えているティルエッタはさておき、ヒレブレヒトとカフカも普通に映画をしっかり楽しんでいた。

 というか【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】内で鑑賞した映画のほぼすべてよりものめり込んでいた。

 カフカなどは、ティルエッタが出したポップコーンメーカーから出てくるポップコーンをほとんど平らげながら熱中していた。


「めちゃくちゃ面白かったけど、この映画に一体どんなヒントが隠されてるんだろう」

「ん~、隠されている、と言うほど複雑なヒントではないような気がしますね~」


 ティルエッタは顎に人差し指を当てて首をかしげる。


「むしろ思い当たる節が少々ございます」

「それって何です?」

「物語の舞台となっていた海上研究施設ですよ~。元々軍の施設だったものを改造して造られたという設定でしたよねぇ?」


 ティルエッタは再びVHSの磁気テープに手を突っ込み、1枚の地図を引っ張り出した。

 どこかの海岸線が描かれているそれの海上の一点を、バナナほどある指で指し示す。


「ここに存在するのですよ、似たようなロケーションの施設が。元々は海上油田プラットフォームだったのですが、サメと戦い続けていた人間の軍隊の最後の部隊が要塞に改造して立て籠もり、その全員が玉砕――人間の組織的抵抗が完全に終了し、この惑星がサメの星となることを決定づけたその場所」


 息を飲んだヒレブレヒトは、ティルエッタの光る眼鏡に映った自分を見た。


「死にゆく自分たちの終の棲家となる要塞に、兵隊たちの贈った名はフォート・セノタフ。遺体の収められていない、空の墓碑(セノタフ)です」

「――なぜそこが答えだと? 海上基地なら他にもありそうなものですが」

「実は以前、フォート・セノタフは私めの重要なコレクションの1つでした」


 ヒレブレヒトの問いに、ティルエッタは事も無げに言った。


「それをダーナさんが欲しいとおっしゃられて、交渉の末にお譲りしたのです」

「つまり今はダーナさんの持ち物ってことですか!?」

「そういうことです。怪しいでしょう?」

「皮肉なもんだね……」


 カフカが膨らんだ腹を撫でながら口を開いた。


「海から出てきたサメに陸を追いやられて、最後の希望が大海原のど真ん中。しかも今じゃそこもサメの女王の隠れ家になってるかもしれないなんて……ちなみになんだけど」


 ごろんとティルエッタの方を向くカフカ。


「その要塞を譲る対価は何だったの?」

「人間のご遺体100人分です~」


 凍り付くカフカとヒレブレヒト。しかしティルエッタは愛おし気に語る。


「人間のご遺体を大量に冷凍保存していた施設をダーナさんが見つけたそうで、それを丸ごといただきました~。生き物は無理でしたが、死体ならば【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】で永久保存できますので。ですから今度は、生きた人間が欲しかったのですが……」


 ヒレブレヒトをじっと見るティルエッタ。


「……だ、駄目ですよ?」

「分かっておりますよぉ。ですが……例えば、お亡くなりになった後のご遺体だけでもいただくということは――」

「ダメ」


 カフカがすかさず口を挟んだ。


「レヒトの身体は何があっても渡さない。誰にも。アタシが許さない」

「……僕の身体は僕のものなんだけど」

「分かってる。でも――死んだらアタシが全部食べるから」

「あらぁ……残念ですがこれはいただけませんね~」


 カフカはプイと横を向いた。


「まあ、とにかくこれで方針は決まったな」


 ヒレブレヒトは立ち上がり、地図の一点を指で打つ。


「目的地はフォート・セノタフ。さっそく出発しよう」

「あのお馬さんたちで向かわれるのですか~?」


 ティルエッタがセンパーとパラタスを見ると、2頭は鼻息荒くやる気を示す。


「フォート・セノタフまで1000km以上あります。馬で向かわれるとなると何か月かかることやら……」

「それに要塞って海の真ん中でしょ?」


 カフカも地図を眺めながら零す。


「どうやってそんなとこまで行くの? 飛んでくのはエネルギー的に無理だし、アタシ泳げないし」

「あー……」

「心配ご無用。少し着いてきてくださいますか?」


 ティルエッタに促され、外に出て雪の積もった平原に出た。


「危ないので少々下がっていてくださいね~」


 2人にそう言うと、ティルエッタはVHSを取り出して発動した【不朽の(ステイシス・)王国(ステイト)】から、ひと際巨大なものを引っ張り出した。

 磁気テープからうなりを上げて飛び出したそれは、30メートルほどもある太い円筒型の物体で、片方の端に運転席のようなガラス窓。上部に2つの大きなプロペラが載っている。


「な、なんですかこれ……?」

「輸送用ヘリコプターですよ。CH‐47Aチヌーク。私めの身長でも操縦できるようにコックピットは改造済みです。一度これを飛ばしてみたかったんですよ~」


 あっけにとられる2人にティルエッタはウキウキと小躍り。


「私めがお二方を載せて、フォート・セノタフまでひとっ飛びお送りいたします」

「こ、これが飛ぶの……?」

「よし、じゃあ早速――」

「しかし、お待ちください」


 待ちきれず駆け出しかけたヒレブレヒトを軽々と押しとどめるティルエッタ。


「本日は間もなく夕暮れ。今夜はお泊りになり、明朝出発いたしましょう。いかがですかお2人とも――」


 ティルエッタは頬を上気させ、子供のように笑う。


「せっかくなので、ご一緒に観てみませんか~? レーザーディスク版『ジョーズ』」


 その晩3人で鑑賞した『ジョーズ』は圧倒的な素晴らしさであった。

数の単位の「じょ」は本来「禾+予」で書く漢字を当てますが、環境により表示できないため似た文字の「杼」で代用しています。

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