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第30鮫 サメと人間

 スタッフロールが終わっても、しばらく2人は黙っていた。


「…………」

「…………」


 間合いを窺うような気持ちの悪い沈黙がしばらく続いたが、仕方なくヒレブレヒトが重い口を開く。


「……映画って、こういうのが面白いのか……?」

「うーん……」


 カフカも頭をひねり、VHSのパッケージを改めて見返す。


「こんなにサメがおっきく描いてあるのに、あんまり出てこなかったんだけど……」

「その割に、なんか延々歩いてるシーンがやけに長かったよな……疲れたせいかうとうとしちゃったけど、起きてもまだ歩いてたぞ」

「やたら同じことで何度も口喧嘩してたし……」

「うん……でも――」


 ヒレブレヒトは深くソファにもたれた。


「初めてあんなに沢山の人間を見たよ……。父さんと姉さん以外の人間を。なんというか、人間って本当に存在したんだなって――」

「――そうだね」


 カフカは立ち上がって、棚から抱えられるだけのVHSを持ってきた。


「もっと観てみよ。もっといっぱい見てみようよ、いろんな人間をさ」


 それから2人は、手あたり次第にサメ映画を観ていった。


 サメがあまりにも出来の悪い紙粘土製だったり、他のサメ映画の映像をそのまま流用していたり、続編っぽいパッケージなのに何の縁もゆかりもない作品だったり、スタッフロールが本編映像の4分の1を占めていたり、似たようなストーリーの焼き直しだったり、単純につまらなかったり――

 映画というものをよく知らなかった2人から見ても、頭を抱えたくなるような映画がわんさかあって、人間という種のセンスを疑ったりもした。


 しかし、その分面白い作品に当たったときの興奮は一入(ひとしお)だった。

 まだ海に住んでいた原始的なサメの怪物的な恐ろしさに慄き、抵抗虚しく食い殺されていく登場人物たちの凄惨な死に様に声を漏らし、知略と根性と腕っぷしでサメと渡り合うタフな主人公たちの活躍に手に汗握り、奇想天外な能力を持った超常のサメの出現に胸を躍らせた。


「どう? レヒト」


 特に大興奮だった長編シリーズものの完結編がもうすぐ幕を閉じようとしている気配を感じ、力を抜いて完全にヒレブレヒトにもたれかかっているカフカが尋ねた。


「いろんな人間を見てみて、人間がどんなものか分かった?」

「うーん――」


 ヒレブレヒトは右腕に彼女の体温を感じながら、これまで見てきた映画の中の登場人物たちを思い返す。


 人間は弱い生き物だ。

 サメに襲われれば、まず敵わず一方的に食い殺されるだけの存在だ。

 でも覚悟を決めて戦いに挑み、時には仲間と協力して強大なサメをも倒す。

 そんな強くなれる生き物だ。

 時には仲間にも冷酷になれるが、時には見知らぬ他人にも優しくなれる。

 どうでもいいことで延々と悩む時もあるし、何も考えず馬鹿になる時もある。

 ズルくて、自分勝手で、平気で他人から奪い、調子に乗って、ヒステリックになる。

 潔くて、責任感があり、想像力があって、他人のために犠牲になり、家族を大切にする。

 人間は、そんな生き物だ。


「いろいろいて面白いよ、人間って。サメと同じだ」

「うん、アタシもそう思う――」


 そう答えるカフカの声に力が無く、完全にヒレブレヒトにしなだれかかっている。


「……カフカ、大丈夫?」

「ん……」


 ぐわらごごががぎゃるろり~。


「お腹空いた……」

「そうだよな……ここに来てから飲まず食わずだし……」


 それに道中でヒレブレヒトの服の中にカフカが入り込めていた時点で、彼女の身体はかなり細い状態にあり、元々エネルギーは枯渇が近かったのだ。

 空間内を見回してみるヒレブレヒト。しかしこの部屋に口にできるものが何もない事実を再確認するだけだった。

 ブラウン管の向こうでは襲い来るサメに次々と人間が食われていく。


「――カフカ、僕を食べて」

「……何言ってんの」


 カフカはヒレブレヒトの胸を拳でボスっと打った。


「飢えてるからって、アタシにアンタを傷つけろって?」

「他に食べるものが無いことは分かってるだろ? 食い尽くさなければ大丈夫」

「そういうことじゃないの……とにかくアタシはレヒトを食べたくない」

「……僕そんなに不味そう?」

「そうじゃない。レヒトは、その……美味しいけど」


 カフカはヒレブレヒトから体を離した。


「――アタシはレヒトにそこまでしてもらえる資格が無いから……」

「なんだよそれ……」


 ヒレブレヒトも体を起こし、目を反らすカフカの手を取った。

 その手は微かに震えている。


「……姉さんのこと、まだ気に病んでるのか?」

「…………」

「その時カフカには人格すら無かったんだろう? 君が罪悪感を感じることじゃ――」

「違うの」

「違う?」

「違……わないけど、それだけじゃないの……お姉さんだけじゃ――」


 声を震わし、消え入るようにそう言ったカフカ。

 彼女はヒレブレヒトに握られた手を離し、ジャケットの内ポケットから写真を取り出して、彼におずおずと手渡す。


「これは……いつかの――」


 髭を生やした壮年のがっしりした父親と、ブロンドの少女、そして小さい少年が写された家族写真。

 ヒレブレヒトは信じられないといった面持ちで息を飲む。


「これ……父さんと、姉さん……! そして、僕か――」

「このジャケットのポケットに入ってたの」


 沢山の者たちの血と汗が染み込んだ軍用ジャケットを掻き抱き、カフカは告解する。


「これはその写真の男の人――レヒトのお父さんの。アタシは……その人を食い殺した」

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