第3鮫 世話焼きサメと静かな街
「うう……苦しい……」
「さすがに一晩でサメ50頭は無理があったって……」
5人乗りのピックアップトラックの後部座席に寝転がったカフカは、車体が揺れるたびに苦悶の声を漏らしている。
飛行サメの腹から飛び出した時の痩身が嘘のように、その体はむっちりと肉付きが良くなっていた。紐ビキニの紐は食い込み、ダメージジーンズはパツパツで穴から太ももがはみ出し、ベルトには肉が乗っかっていて、トラックの揺れで震えている始末。
なるほど、ここまで体型の変化が激しいなら紐やベルトで調節できないと服がいくらあっても足りない。
「でもこれだけ太っても、コピーした能力を使うとあっという間に消費しちゃうのよ……特に飛行能力はキッツい。あれ脳みそメチャクチャ使うから――」
飛行サメは、体の周囲の気流を操作することで飛んでいる。
サメの肌は非常に硬く細かい鱗で覆われており、その1つ1つには溝が刻まれていて、だからサメ肌はざらざらするのだ。この溝が水の流れを制御することで、海中にいた頃のサメは水の抵抗を抑えることができた。
この仕組みを利用し、空気の流れを操作することで飛行を可能としたのが飛行サメだ。
しかし自由自在に空中を飛び回るには鱗1つ1つの気流操作を精密に操る必要があり、その計算に脳のリソースの大部分を割かれるため、飛行サメは知能が進化せず、飛べることを除くと原初のサメからほとんど変わらない特徴を保っている。
その能力を人間サメの身体で無理やり使用しているので、カフカの飛行能力は脳と体への負担がかなり大きいのだ。
「だから食べれるときに食べとかないと。今向かってるのはどこだっけ? なんか美味しい名物ある?」
「食べ物ばっかだな……。向かってるのは――あ、ほらアレ。見えてきた」
道路の脇に、ポツリポツリと民家だった廃屋が並んでいる。その向こうに、大きな建物の立ち並んだ街並みが見えてきた。
人類の生活の残滓――このような廃墟を利用した集落は大陸中に点在している。
「デリカタって集落だよ。名物は知らないけど、かなり大きい集落だから食事を出す店くらいはあるだろう」
「じゃあそこでご飯奢るね。助けてもらったお礼ってことで」
「ありがたいけど、お金持ってるの?」
「無いけど、クレイジーソルトを瓶に詰めて売るとね、儲かるのよこれが。物々交換の種にもなるし。他に何か必要な物ある? 水とか燃料とか」
「水は要るけど燃料は大丈夫。前に戦った『肝臓から油を無限に生成する』能力のサメの肝臓をタンクに入れてるから、燃料だけは困らないんだよ」
ヒレブレヒトは前を見たまま右手でプリルリの頭を撫でる。
「今度こそ故郷の情報が見つかるといいな」
プリルリは彼の顔をしばらく見つめ、小さく「――うん」と頷いた。
やがて街並みが大きくなってくると、城壁のように街並みを囲む、廃材で建てられたバリケードが目に入ってきた。
法など存在しない世界だ。どこの集落も大なり小なり外敵への備えはある。
集落の入り口は開け放たれていたが、脇に立っていた見張り役とみられる男が長い棒を振って合図をしてきたので、そこでトラックを停車させる。
窓を開けると、駆け寄ってきた見張りは険しい顔をして不躾に言った。
「何しに来たお前ら」
「何って……水や食料の補給ですけど」
「どうしても必要か」
見張りは眼力で押し返そうとでもするように大きく目を見開いて問うてくる。
「……何か、来ちゃいけない理由でもありました?」
「あー、いや――」
見張りは入り口の方を振り返り、少し逡巡してから早口で続けた。
「――どうしても用があるなら入れ。ただし車はここに停めて歩いて行け。なるべく目立つことはするな。さっさと用事を済ませてすぐに立ち去れ。特に後ろで寝てるネエちゃん、そんな派手な恰好で入るな。服くらいちゃんと着ろ」
有無を言わせない雰囲気に気圧され、ヒレブレヒトはトラックを入り口の脇に停めた。
3人は最低限の荷物だけ持って、徒歩で集落の門をくぐる。
「すぐに立ち去れって言われてもさ、ご飯くらいは食べたいよね」
カフカは着替えを持っていないので、とりあえず軍用ジャケットの前を閉めている。
「あとシャワー。アタシたちみんな飛行サメの血だらけよ。ここお湯の出る宿ないかなぁ」
「誰かに聞いてみようか――」
集落のメインストリートと思わしき通りを進みながら、周囲を見回す一同。
しかしすぐに、街並みが異様な静けさで満ちていることに気づかされる。
「おかしいな……もっと栄えてるところだって聞いてたのに」
住人がいないわけではない。人通りもわずかにある。ところが皆背中を丸めてフードなどを目深に被り、脇目も振らず速足で通り過ぎるのみ。話し声も聞こえない。
店もあるにはあるようだが、看板の類は一切出さず、用のある客だけがそっと扉を開けて入り、恐る恐る外を伺いながら出てくるという怪しさ。
『なるべく目立つことはするな。さっさと用事を済ませてすぐに立ち去れ』
見張りに言われた言葉が思い出され、思わず首元のボロ布を引き上げるヒレブレヒト。
カフカもプリルリも、重苦しい雰囲気に言葉が出ない。
「あァたら、こんな往来で何しとる」
その時、小さなしわ枯れ声で話しかけられた。
夏だというのにフード付きの黒いコートを着た小柄な老婆が小走りで駆け寄ってきた。
「僕らは――」
「ここァ丸見えだ。こっちゃ来い」
話を聞かずヒレブレヒトの背を押す老婆。振り払うわけにもいかず、なすがままに狭い路地へと連れていかれる。カフカとプリルリもとりあえず着いていく。
往来からかなり奥まったところまで来て、やっと老婆は足を止めた。
「あァたらよそから来ただろ? こんな女子供連れて……この集落がどうなっとるか知らんだろう」
「デリカタは交易で栄えてる賑やかな集落だって聞いてきたんですが……」
「そらァ情報が古い。ここァもう2年もこうだ。みんな長の目を恐れとる」
「長の目……? 何かあったんですか?」
「シッ……! ここだって何に見られとるか分からん。あァたら行商人には見えんが、目的はなんだい。ちゃっと済ませてちゃっと帰んな」
「僕らは旅の者で、水や食料などの補給を――」
「あと料理とシャワー」
首を突っ込んできたカフカに、老婆は首を横に振った。
「食べ物と水売っとる店なら案内してやる。料理とシャワーは我慢しな。デカい男に若くて可愛らしい娘っ子が二人。ただでさえ目立つんだから――いいかい」
老婆はひと際声を押さえる。
「もし危ないことんなったら、まずァ逃げな。とにかく集落の外まで逃げきること。そんで何か困ったことがあったら、西にあるアンダウン・モーテルってとこに行きな。ヤホールの婆さんに聞いたと言やァ悪いようにァされん」
「わ、分かりました。えっと……ヤホールさん」
ここしかチャンスがなさそうだったので、ヒレブレヒトは口を挟んだ。
「僕らはこの子の故郷を探しているんですが、プラムシャーという村をご存じないですか」
「プラムシャー……? 聞いたことないね。ごめんねお嬢ちゃん」
ヤホール婆さんはプリルリの手を取り、優しくポンポンと撫でた。
「そうですか……じゃあもう一つ。――人間の生き残りについて聞いたことは?」
「人間ン?」
何をバカなことをと言わんばかりにヒレブレヒトを見上げるヤホール婆さん。
「このババァがそっちの金髪のお嬢ちゃんくらいピチピチの頃はまだおったらしいけどね、もうトンと聞かんよ。ほら、そんなどうでもいいこと話しとる時間はないわ。店に行くよ。なるべく顔は伏せて、隅っこを歩くんだよ」
ズンズンと歩き出したヤホール婆さんの背を、3人は黙って追った。