第25鮫 虚を突くサメと不必要な力
爆心地の瓦礫の中、ガンガン痛む頭を押さえながら体を覆っていた対爆鎧を脱ぎ捨てたカチンコチン小鉄は己の目を疑った。
3人がいた地点に、仄かに光を放つ深紅の天蓋が揺らめいていた。
高貴な人物のベッドを囲んでいるようなカーテンが、何もないところに浮かんでいる。
やがて空間に溶けるように天蓋は消え、プリルリと、少女を庇うように抱きしめているヒレブレヒトとカフカが無傷で姿を現した。
「た、助かった……?」
周囲を見回すヒレブレヒトとカフカ。カチンコチン小鉄は眉間に皺を寄せる。
「なんだよ……一体いくつ能力が使えるんだ……!」
「いや……アタシは何も――」
「【夜の安寧を邪魔する勿れ】――何人たりともその内で眠る者の眠りを妨げること能わず」
耳にとろりと流し込まれるような声。
「元々はただ音を遮断するだけの『簒奪形質』だったけれど、多めに体液を摂取することにより、眠りを妨げ得るあらゆる要素を通さない絶対の防壁に進化したの。これが神たるわーの【背伸びをしたいお年頃】の神髄。おかげで毎晩快眠よ」
「イナンナ……? 君が?」
いつの間にか、3人のすぐ隣にイナンナがいた。お気に入りの豪奢な椅子に深く座り、肘をついて脚を組んでいる。
その姿を見て最も動揺したのはカチンコチン小鉄だった。
「……どういうことですか? あの子を攫ってこいって依頼したのはそちらでしょう!?」
「ただしその子は絶対に傷つけるなって俺言ったよな? 危うく殺しかけやがって」
「ダーナさん……」
カチンコチン小鉄の背後から、痩せた男が咥え煙草で歩いてきた。
「す、すみません……」
「まあいいさ。大方想定通りのシチュエーションは作ってくれた。ご苦労さん」
ダーナはカチンコチン小鉄の肩を左手でポンポンと叩き、掴んで、右手に握ったナイフを胸に突き立てた。
「グヴゥ……ッ! お、お前――」
「金は墓に供えておくよ」
カチンコチン小鉄は死力を尽くして鎧を生成しようとするが、形を成す前にダーナに蹴り飛ばされて瓦礫の中に転がった。
「――僕、たちの……ドレッド・レッドは……団長――」
吐血と共に断末魔の言葉を遺し、カチンコチン小鉄は息絶えた。
絶句する3人をよそに、イナンナが椅子ごと浮き上がり、滑るようにダーナの隣へ移動する。
「……お前たちがプリルリを誘拐させたのか。何が目的だ」
「分かってるくせに。いけずな男だねぇ君は。ねぇプリルリちゃん」
煙草を指3本で持ち、煙を吐き出し苦笑いをするダーナ。
「君は結局、ヒロインでいることを選んだんだな」
「お前、プリルリに何かしたのか?」
「迷いを捨てさせてあげただけだ。お前の方こそどうなんだヒレブレヒト・ブルース・バーナード」
ダーナは煙草でヒレブレヒトを指し、再び咥えて肺を煙で満たす。
「守る守ると言いつつも、彼女の気持ちに応えることもせず、自分が生き残ることに必死になって――プリルリちゃんを囲ってんのも、不死身の能力が目当てなんじゃねーの?」
「何をテキトーなことを……!」
憤るヒレブレヒトをせせら笑うダーナ。
「様子見てたがよ、自分から攫われてくれたらしいぜその子。信頼されてんなー」
「……本当、なのか? プリルリ」
ヒレブレヒトに問われ、プリルリは頷く。
「わたしがピンチになれば、ヒルはぜったい助けにきてくれるから……わたしがピンチでいる間は、ずっとヒルはわたしのために戦ってくれるでしょう?」
じっとりと重い黒蜜のような瞳を向けてくる彼女に、ヒレブレヒトは絶句する。
「プリルリ……」
「そうしないと不死身じゃなくなっちまうもんな。必死で助けてくれるだろうさ」
「やめろ! 僕はそんな――」
「そんでカフカ、お前はどこまで聞いた?」
ダーナはヒレブレヒトを無視し、カフカへ煙草を向ける。
「イナンナのこと。色々そいつには話したんだけどな」
「……聞いたわ全部。アタシと似た『簒奪形質』のこととか、神がどうとか母親がどうとか――アタシの妹だとかね。とても信じられなかったけど」
「お前がそいつの姉を食ったことは?」
「――え……?」
目を見開くカフカ。息を吸い込み眉間に皺を寄せるヒレブレヒトを横目に、ダーナは続ける。
「お前のその姿と人格は、人間のカフカ・バーナードを食って得たものだ。どういう経緯で同じ名を名乗っているのかは知らねぇが――まさか、黙ってたのか? そんな大事なことを? 大切な仲間に?」
「…………本当なの? レヒト――」
「……言われたのは本当だ」
ヒレブレヒトはカフカを直視できなかった。
「でも何の確証もない話だ! こんなこと信じる必要は――」
「ううん」
カフカは力なく首を横に振る。
なぜ自分がカフカ・バーナードと瓜二つだったのか。
なぜ自分が会ったばかりのヒレブレヒトを守りたいと強く思ってしまうのか。
なぜ自分がヒレブレヒトにサメ呼ばわりされるとほんの少し寂しい気持ちになるのか。
なぜ自分があの写真を捨てられずに今も大切に持ち続けているのか。
なぜ自分が――
ずっと心に引っかかり続けていた疑問が、1本の糸で繋がりすんなり解けていく。
食べることで受け継いできた血と肉と魂が――納得をしてしまった。
「本当だよ、全部――きっとアタシは、レヒトのお姉さんを……食べたんだ」
「カフカ……」
今度はカフカが彼を直視できなかった。
「ねぇ、ヒル――」
ヒレブレヒトの眼前に、プリルリが立っていた。
「ヒルは、仕方なくわたしを助けてくれてたの? いやいや……死にたくなかったから」
「そんなはずはない!」
ヒレブレヒトはしゃがみ込んでプリルリの両肩を掴んだ。
彼女の瞳は揺れていた。
ヒレブレヒトがいつまでも自分を一緒にいさせてくれるつもりが無いと知り、ダーナによって疑念を植え付けられ、仲間であるカフカの重大な事実を黙っていたことを知って信用が揺らぎ、彼女は今不安の中にいた。
――このままでは『ヒーロー』としての信頼を失い、不死身でなくなってしまう。
真っ先にそんな危機感に襲われたヒレブレヒトは、自分がまさにダーナが言った通りの思考をしてることに気づき、喉の奥が絞られるような気分になった。
「確かに僕はずっと自分が生き抜くことだけ考えて生きてきた。でもプリルリに出会って、一緒に旅をして……君を守ることが生き抜く目的の1つになった……!」
――真実だ。これは本心だ。本心だったはずだ。
――いつからだ? いつから『自分が死なないために彼女を守る』ようになった?
――不死身の力が、プリルリの『簒奪形質』だと知ったときからだ。
――出会った頃は、自分が不死身と知らなくても彼女を守って戦っていたじゃないか。
ヒレブレヒトは、不死身の力が自らを縛る鎖としか思えなくなった。
「プリルリ、君を守れるなら――僕はこんな不死身の力、別に無くたっていい」
「よく言った。かっこいいぜ、ヒーロー。【ずっと輝いてろ】」
その瞬間は、何も感じなかった。
しかし、じわりじわりと右腕に痛みが走り、その様子を見て愕然とした。
いつの間にか治っていたはずの、カチンコチン小鉄にプレスされた右腕が、ひび割れ、血が滲み、肉が崩れ、骨が砕け――
「なんだこれ……傷が――」
プリルリの能力【舞台の上の王子様】――心から『理想のヒーロー』と信じた相手に、その役割を押し付け、二度と舞台を降りることを許さない。
もし役を降りたのなら――不死身だった間に受けた傷が全て蘇る。
「俺の『簒奪形質』は使い辛くてな。『いらない』とか『捨てる』とか『必要ない』とか、そんなことを相手が口走るのを待たなきゃいけなくてよ」
ダーナは最後に一気に煙を吸い込むと、煙草を足元に落として踏みにじった。
「でも今『無くたっていい』つったよな? だったらいいよな、捨てちまっても。お望み通り、捨てさせてやったぜ――不死身の力を」




