第24鮫 鋼鉄サメと生きるための戦い
やけに熟睡出来た気がした。
ベッドから上体を起こしたヒレブレヒトが隣を見ると、下着代わりのビキニ姿でカフカがまだ寝ている。
「……プリルリ?」
2人の間で寝ていたはずの少女が見当たらない。
ベッドから降りて部屋中を探すが姿が無い。
「カフカ、起きろおい」
体をゆすると、眠そうに声を漏らすカフカ。
「なぁにぃ……やけに眠いんだけどもう朝……?」
「プリルリがいないんだ」
寝ぼけ眼でのっそり起きてきたカフカと共に改めて部屋やバスルームを見回るうちに、カフカも目が覚めて不安が襲ってきたらしい。
「どうしよう……独りで出歩いて迷子になっちゃったのかな……」
「なぁ、こんなもの昨日あったっけ?」
室内の床に落ちていた物を彼女に見せる。
それは太めの針金の切れ端のようなもの。
「何これ? なんかの部品?」
「いや……でも見覚えがあるんだよな」
首をかしげながら、ヒレブレヒトは廊下の様子を見ようと扉に手をかけた。
「か、鍵が壊されてる……!」
「嘘でしょ……」
慎重に鉄扉を開き、廊下に誰もいないのを確認する。
「あ、あれ――」
廊下にもポツンポツンと針金が落ちていた。
「――カフカ、顔洗って服着てこい。プリルリを助けにいこう」
■□ □■
「テメーなにやってんだコロすぞハゲェ!」
マリネが罵声を浴びせ、無防備に屈んだカチンコチン小鉄の後頭部に唾を吐いた。
すると唾の当たった部分の頭皮が火傷のように赤くなる。
「アァっイでででででッ!」
「わざわざ居場所を知らせてやるユーカイハンがどこにいんだよクソが!」
マリネが握りしめる数本の針金からシュウシュウと白煙が上がる。
メガロドンポリスの端にある廃工場の一室。様々な工業機械や部品の一部が放置され、稀にジャンク拾いが訪れる以外は人気のないここが、ドレッド・レッドの隠れ家の1つだった。
針金で縛られたプリルリは地面に座り、不自然に穏やかな微笑みを浮かべている。
「5万サメドルだぞ!? こんなワリのいい仕事ねーだろ! テメーのせいで失敗したらどーしてくれんだよオッサン!」
「ドレッド・レッドは誇り高き賞金稼ぎだったはずだ! 君はまだ入団したばかりだから知らなかっただろうが――」
カチンコチン小鉄は後頭部をさすりながら反抗する。
「そりゃあ真っ当な仕事ばかりしていたと言えば嘘にはなる。でも少女を誘拐して金を稼ぐなんて、そんな恥知らずな真似をして皆が何と言うか――」
「死んだレンチューはなにも言わねーだろうがよ! チッ、ドタンバでチキりやがって腰抜けハゲがよ……」
マリネはパーカーを脱ぎ捨てた。半袖のスポーツウェアから覗く両腕には、生い茂る緑の木々と白い花――リンゴの花のタトゥーが刻まれている。
「うちはクソ親父が借金のカタに売っ払ったおばあちゃんのリンゴ畑を絶対に買い戻す。そのために大金が要る。おばあちゃんがくたばる前にな! そのためならなんだってやるんだよ! ユーカイだって、サツジンだって、なんでもな!」
「――僕だって、大金は欲しいさ。それでこんな仕事からはさっさと足を洗いたい」
カチンコチン小鉄は耳に入れたイヤホンのような鉄の玉と、そこから伸びる鉄線から伝わる振動に集中しながら呟く。
「ただ、あんなやり方はフェアじゃないと思っただけさ」
鉄線は廃工場の至る所へ伸びており、糸電話のように音を伝える。
「さあ、来たぞ。『ヒーロー』が――」
部屋の扉がけたたましい音と共に蹴破られ、体格のいい男が乱入してきた。
すぐさまマリネに向けて両手で構えたリボルバー式の拳銃を発砲するが――
「【檻に留め置け我が誇り】」
急襲と同時に動いていたカチンコチン小鉄がマリネの前に立ち塞がり、自身の身体を覆うフルプレートの鎧を生成。銃弾を全て曲面で弾いてみせる。
「ヒル!」
プリルリが乱入者を見て破顔し声を上げる。
「無事か、プリルリ」
「うん!」
「よかった――で、なんでプリルリを攫ったのか、訊いたら教えてくれますか」
「金だよ、かーね。あの子さらったら大金くれるってイライされたんだよ」
ヒレブレヒトは眉を顰め、ポケットから針金の切れ端の束を取り出し地面にばら撒く。
「カチンコチン小鉄さん、なんでわざわざ場所を教えるような真似を?」
「……君たちに勝てる自信があるからさ」
鎧の奥から不敵な視線を覗かせるカチンコチン小鉄。
「なにカッコつけてんだよオッサン。あーあ、メンドーだなーもー」
マリネはカチンコチン小鉄の背後からヒレブレヒトの姿を伺う。
両手には拳銃。ギャストロノウムを背負ったフル装備だ。
「完全にコロシにきた感じ? でもザンネン。最初の一撃で仕留めなきゃダメじゃん。ヒトジチいんだからさー」
マリネはプリルリを抱き寄せ、頬をそっと撫でた。
ヒレブレヒトは険しい表情のまま、拳銃をその場に捨てた。
脅しに屈したのではなく、弾かれた銃弾がプリルリを傷つける可能性を恐れたからだ。
今度はギャストロノウムを構え、エンジンをかける。
重低音が工場内の空気を震わすが、マリネは余裕の笑みを崩さない。
「――引かねーんだ。うちがプリルリちゃんを傷つけるより早くうちらを倒せる自信があるわけね。でもさー、ショーブはもう終わってるんだわ。さすが『ヒーロー』さん、おギョーギいーんだね。バカショージキに入り口から入ってきてくれるなんて」
マリネが人差し指で上方を指し示し、その方向に唾を吐いた。
ヒレブレヒトが頭上の罠に気づいた時にはもう遅かった。
天井に張り付いていたスイカほどの大きな液体の塊がマリネの唾が付着したことで剥がれ落ち、彼の頭に激突し破裂。透明な液体が全身を濡らした。
たちまち服や肌が煙を上げ、真っ黒に炭化していく。
「ぐああああああああああああああああああ……ッ!?」
「うちの【アクリッド・マリネード】で生み出した、えっと……忘れたけどなんかヤバい液体をチョーコーネンドの薄い膜で包んだトクセー水フーセン。痛いでしょ。苦しいでしょ。皮膚だけじゃなくて、ジョーキを吸い込んだ体の中まで焼けただれてくワケ」
マリネの語りが聞こえているのか否か、ほぼ全身が炭化し、もはや焼死体のような有様で立っているヒレブレヒト。それでも辛うじて左手で庇った左目は眼光を失わずマリネを睨み、だらんと垂れた右手にはまだギャストロノウムをぶら下げている。
「しぶてー。もう生きてるだけでジゴクでしょ。うちって甘いからさー、カワイソーだから直接溶かしつくしてコロシてあげるよ『ヒーロー』さん」
マリネがヒレブレヒトの許へ歩み寄る。その両手には汗腺から分泌された液体がまとわりつき、垂れた雫は床の瓦礫と反応し煙を上げている。
「ゲンケー留めないくらいぐちゃぐちゃになっても超回復できるのか試してあげンガコッ」
ヒレブレヒトの振るったギャストロノウムがマリネの胴を半分ほど抉っていた。
衝撃で倒れ、事態を呑みこめず目を見開き、パクパクしている口から血を吐くマリネ。
「な……んで……う、動けるわけ……」
ヒレブレヒトは彼女の髪を掴み、バックリ割れた傷口から噴き出した血液に指を浸した。
「……体液が全部強酸性というわけじゃなさそうだな。これなら食べられる」
そう声に出して、まだピクピクと動いているマリネの身体を、自分が蹴破った扉の外へ放り投げた。
「あとはあなただけですけど」
炭化した肌をボロボロ零しながら、彼はカチンコチン小鉄の方へ視線を向ける。
「その子を返してくれるならこれ以上戦わずに済みますが、どうですか」
「……尋常じゃないな君は」
ヒレブレヒトの異様な姿に気おされつつ、カチンコチン小鉄は西洋甲冑の面頬を上げて顔を露わにする。
「君たちには悪いと思っているよ。僕だってこんなこと不本意で――」
「言い訳はいいので。その子を返すのか、返さないのか」
「――それでも、僕だって腹は決めているんだ。サービスは道案内まで。こんな暮らしからオサラバするために、悪いけど……リスクを取らせてもらう」
「――プリルリ、ごめん、もう少し待っていてくれ。すぐ助ける」
「うん……待ってる……!」
プリルリは堂々としたヒレブレヒトの姿に目を輝かせる。
攫われた少女としての悲壮感は既になく、その様子はまるでヒーローショーの観客。
ヒレブレヒトはギャストロノウムを構えなおし、カチンコチン小鉄に正対した。
「カチンコチン小鉄さん。ここからは正々堂々――生存競争です」
ぼろ……ぼろ……と、彼が言葉を発するたびに炭化した肌や肉が剥がれ落ちる。
その下から、元の健康な――古傷だらけの肌が露わになる。
「それが君の超回復か……早いな」
「彼女の『ヒーロー』である限り、僕は絶対に倒れません」
「……死にかけの男を嬲るだけの展開にはならなそうで嬉しいよ『ヒーロー』」
カチンコチン小鉄はおもむろに面頬を下げる。
それと同時にヒレブレヒトは距離を詰めながら唸るギャストロノウムを振り上げ、甲冑の継ぎ目めがけて振るう。
しかし、刃が到達する瞬間に継ぎ目が鉄板で埋まり弾かれる。
(変形している――)
そう気づいた時には、甲冑の前面から数本の棘が瞬間的に伸び、ヒレブレヒトの身体を刺し貫いていた。
「グッ……!?」
「気軽に近寄りすぎじゃないか? ちょっと離れてくれよ」
さらにカチンコチン小鉄の鎧から撞木のような鉄柱が伸び、彼の身体を部屋の反対側の壁まで突き飛ばす。
同時に棘が身体に刺さったまま根元から折れ、彼を磔状態に縫い付ける。
「ちょっと、自在過ぎないですかその甲冑……」
ヒレブレヒトは痛みに顔を歪めながら、螺旋状の棘から身体を引き抜くと共に血を吐きつつ倒れ、それでも立ち上がる。
「僕の『簒奪形質』、【檻に留め置け我が誇り】は『身体の周囲に鎧を生成する』――『鎧』はどんな形態も自在だよ。自らを護る『鎧』と、僕がそれを定義するのなら」
カチンコチン小鉄の手にはヒレブレヒトが取り落としたギャストロノウムが握られており、彼が少し力を込めただけで刃が真っ二つに折れてしまった。
「酸で劣化してたらしい。ボロボロだな」
そう嘯いて面頬を上げたカチンコチン小鉄はチェーンソーの刃に齧りつき、ボリボリと噛み砕いて呑みこんでしまった。
彼は生成する『鎧』の原料を食って補給する必要がある。
人間サメは尖った歯を持ち、顎の力である咬合力も人間よりも強いが、カチンコチン小鉄の鉄をも易々と咀嚼する咬合力は人並み外れていた。
「攻防一体の鎧か……厄介だ」
ヒレブレヒトは自分の血肉に塗れた鋼鉄の棘を壁から引き抜き、構えて突進する。
槍のように鎧の隙間を狙って突きを繰り出すが、カチンコチン小鉄はそれを鎧の変形で防ぎつつ、生成した棘を伸ばし、それをヒレブレヒトが打ち払う、という攻防が数秒続く。
「君の『簒奪形質』が超回復なら戦闘は素の実力か。いい腕だ。だがまだ青い。棘にばかり気を取られていていいのかい? 君は僕の射程にいるんだよ」
カチンコチン小鉄の甲冑は全身鎧。当然全身が鎧であり、武器である。
あえて胴の急所を狙わせて注意を反らした隙に、両腕の籠手がヒレブレヒトの全身を覆うほどに巨大な直方体に肥大化していた。
さらにその両手の甲側それぞれから突っ張り棒のようなものが部屋の壁まで伸びている。
「ッ……!」
ヒレブレヒトは咄嗟に距離を取ろうとした――が、槍代わりに握っていた棘が打ち払った棘と一体化していて外れない。
(元が同じ鎧なら接触さえすれば操れるのか……!)
すぐに棘を手放して後ろに飛び退いたが、その一瞬が命取り。
突っ張り棒が瞬間的に伸びて壁を押し、その反作用で両籠手の大質量がプレス機のようにヒレブレヒトを押し潰す。
「あああああああああグ……ッ!」
辛うじて全身プレスは免れたが、退避が遅れた分、右腕が根元から原形を失い肉と骨と血の混ざったものに成り下がった。
「さすがにぐちゃぐちゃになれば再生は時間がかかるだろう。その間に逃げさせてもらうよ『ヒーロー』」
今度は全身を潰そうと再び両籠手のプレス機を開くカチンコチン小鉄。
「――伏せて!」
その時、部屋の入口から女の声が上がった。
「【アクリッド・マリネード】!」
透明な液体が勢いよく噴射され、伏せたヒレブレヒトを飛び越えてカチンコチン小鉄の鎧に降りかかった。
煙と泡を吹きだしながら鎧が激しく腐食していく。
「なんだと!? これは……!」
「……やっとか、カフカ」
ヒレブレヒトが痛みをこらえて浅い息を吐きながら零すと、入り口から姿を見せたカフカは、リンゴの花のタトゥーの入った女の右腕をキュウリでも齧るように食べている。
「ちゃんと味わわなきゃ。それが手向けってものでしょ。これでも急いだんだから」
前腕から先を3口で平らげると、両手を合わせて拝むカフカ。
「――ごちそうさま。『自由な性質の酸を分泌する能力』ね。肉が酸っぱいわけだわ。でもこれはこれで悪くない味だった。美味しかった」
「……今のはマリネの『簒奪形質』だろう? どういうことだ? 君のは飛行能力なんじゃ――隠していたのか、本当の能力を」
スキンヘッドに脂汗を浮かべるカチンコチン小鉄に、カフカは答える。
「相性最悪でしょ? アンタの能力とコレは――あの子に頭が上がらなかったのもそういうことなんじゃないの?」
カフカはミリタリージャケットの腕をまくり、マリネがやったように酸を纏わせカチンコチン小鉄へ向ける。
「――畜生ッ!」
カチンコチン小鉄は腐食した鎧をパージし、回れ右。左手でその辺に落ちた瓦礫を引っ掴んで齧りながら、右手でプリルリを抱き上げて逃走を図った。
「残念、北はこっちよ。【南風を背に受けて】」
「なぁっ!?」
逃げ出したカチンコチン小鉄の身体がくるりとさらに回れ右してカフカへ向かっていく。
「反則だろこんなの!」
カチンコチン小鉄が慌てて足を止めたとき、既にヒレブレヒトが立ち上がっていた。
無事な左手で拾い上げた瓦礫でカチンコチン小鉄の頭をぶん殴る。
「ゴハッ……」
カチンコチン小鉄は意識を失いその場に倒れた。
「ヒルー!」
解放されたプリルリが彼に駆け寄り、胴体に抱き着いた。
「やっぱり、ヒルは必ずわたしを助けにきてくれる」
「ああプリルリ……無事でよかった……」
ヒレブレヒトは痛みに呻くのを我慢しながら、少女の頭を優しく撫でた。
「アンタ、自分の姿よく見なよ。裸だよほぼ」
肌の炭化はほぼ回復したものの、酸をもろに浴びた上半身は裸である。
「露出度はカフカも大差ないだろ」
その言葉を無視して、カフカはミリタリージャケットを脱ぎ彼に羽織らせる。
棘の刺さった傷は血が止まって塞がりかけてはいるが、潰された右腕に至っては辛うじて形を成しつつある腕のようなものが胴体に繋がっているだけだ。
その痛ましい姿を眺め、カフカは眉間にしわを寄せる。
「……ごめんね。体張らせちゃって」
「いいさ。こうでもしないとカチンコチン小鉄さんに対抗する糸口は探れなかった。すぐに治るよ、このくらい」
「……それじゃあ、とっととこんなとこ出よ。肩貸すから」
「いや、大丈夫……。さあ行こうプリルリ。足元に気を付けて」
「――待て……」
呼び止める声に3人が振り返ると、カチンコチン小鉄が意識を取り戻していた。
立ち上がれはしない様子だが、左手に巨大な杭がついた籠手を生成し、杭の切っ先を床に突き立て、反対側は上へ伸び、天井へ達している。
「行かせられない……まだ――諦められない」
「もう終わりですよカチンコチン小鉄さん……これ以上戦う意味は――」
「君は言っただろう、生存競争だと。僕はまだ死んでいないぞ」
カチンコチン小鉄の杭が瞬間的に伸び、天井を押した反作用で、パイルバンカーのように床を貫き、人が通れるくらいの穴が開く。
その穴からふわり、ふわりと――無数のシャボン玉が浮かび上がってきた。
繋がった地下の部屋に仕掛けてあったのか、その数はどんどん増え、空間は数えきれない数のシャボン玉で埋め尽くされていく。
「きれい……」
その光景にうっとりとするプリルリ。
「これは一体……?」
困惑するカフカ。そして無言でカチンコチン小鉄を見つめるヒレブレヒト。
「万が一の時のために用意していた最後っ屁さ。プリルリちゃんだけが助かる幸運に、もう僕は賭けるしかない――」
カチンコチン小鉄は、ポケットから取り出したライターを右手で掲げた。
「このシャボン玉の中身は、鉄を酸で溶かして発生させた水素ガスだ。もう分かるね」
「――まずい!」
「見事ヒロインを守って見せてくれ、『ヒーロー』!」
歯を食いしばって着火するカチンコチン小鉄。
その炎がシャボン玉の1つに触れ、弾けた瞬間――廃墟は大爆発で弾け飛んだ。