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第23鮫 ヒロインサメと彼女の幸せ

 カフカは贅肉をしっかり蓄えた腹をぶるりと震わせた。


「あのイナンナってのがアタシの妹……!?」

「少なくともダーナさんはそう言ってた」


 夜も更け、窓からはメガロドンポリス市街のネオンの灯りだけがじんわりと室内に染み込んできている。

 ダーナに用意された、メガロドンポリス内ではそこそこ良いという宿・アイアンハース。

 古いコンクリート製のビルを鉄材で補強したホテルで、扉も分厚い鋼鉄製で鍵もかかり、セキュリティは良さそうである。

 ベッドは1つしかないが、頑丈なスプリングと穴の開いていないマットが備わっている。

 安全と快眠が保証されているというだけでかなり上等だ。


「カフカ、君は小さい頃のことを覚えてるの?」

「……覚えてない。村で引き取られる前は、どこか森の中をさ迷っていたはずだけど、どうしてそうなったのか、どこから来たのか、どこで生まれたのか……何も覚えてない。でもそれにしたってサメの真祖……? 女王? 神? いきなりそんなこと言われても信じられる?」


 ヒレブレヒトは、イナンナやダーナから聞いた話をカフカに伝えた。

 ただしカフカやイナンナが人間態と人格を得るため人間を食べた――彼の姉を食べたということは言っていない。嘘か真か分からない話で余計な重荷を背負わせる必要は無いと思ったのと、これは自分が折り合いをつければいいことだと思ったからだった。


「イナンナの『簒奪形質(カルマリウム)』がカフカのと似てたのは確かだ」

「ふーん。で、アンタを不死身の能力持ちだと思って奪いにかかったと」

「ああ。どこまで本当かは分からないけど、もしプリルリの能力のことがバレたら余計に面倒なことになりかねない。明日になったらなるべく早くこの街を出よう」


 その時、ベッドの上からもぞもぞと衣擦れの音が聞こえた。


「――ヒル……」

「プリルリ……? 起きてたのか」


 プリルリが布団を捲って起き上がっていた。


「……ヒル、わたしが寝たあと、いつもカフカと2人で話してるよね」

「あー、ごめんね。別に仲間外れにしようとしたわけじゃなくて――」

「わたしの能力ってなに?」


 カフカの言葉を遮ってプリルリは真っ直ぐヒレブレヒトを見つめて尋ねる。


「わたしにも『簒奪形質(カルマリウム)』があるの?」

「……うん」


 頷くヒレブレヒト。カフカが視線で「話していいのか」と言っているが、ヒレブレヒトは腹を決めた。

 彼女の未来のことを想えば、自分の能力のことは知っておくべきだろう。


「プリルリの『簒奪形質(カルマリウム)』は【舞台の上(フェアリーテ)の王子様(イル・コード)】。自分にとっての『ヒーロー』だと信じる相手に、理想の力を授ける能力だ」

「――わたしにとってのヒーローはヒルだよ」

「ああ……だから僕は不死身の力を持ったんだ。僕はプリルリのおかげで『ヒーロー』でいられるんだよ」

「そっか……そうなんだ……」


 プリルリは喜んでいるのか戸惑っているのか、事実を反芻するように視線を泳がすと、畳みかけるように口を開く。


「じゃあさ、ヒルはこれからもずっとわたしの不死身のヒーローでいてくれる? わたしが故郷にかえりたくないっていったら、ずっといっしょに旅をしてくれる?」

「――プリルリ」


 ここで頷くことは簡単だ。だがそれでは問題の棚上げでしかない。

 明日の保証など何もないこの世界で、たまたま生き永らえているだけの自分が彼女にしてやれる最善とは一体何なのか――ヒレブレヒトは意を決して、彼女の前に膝を折ると、目線を合わせて問いかけた。


「君の故郷――プラムシャーって村は、本当は存在しないんじゃないか?」


 プリルリの表情が固まる。少しして、こくりと頷いた。


「……目的地がずっと見つからなければ、ずっといっしょにいられると思って……わたしが故郷にかえっても、だれもよろこばないから――うそついてごめんなさい」

「大丈夫、怒ってないよ」


 ヒレブレヒトは優しくプリルリの頭を撫でた。


「故郷に帰れないなら帰らなくたっていい。新しい故郷を作ればいいんだから」

「わたしはヒルといっしょにいられればどこでもいいよ」


 真剣に訴えかけてくるプリルリ。

 だからこそ、こちらも真剣に応えなければならないとヒレブレヒトは思った。


「――プリルリは、いつかは自分の家族を見つけなきゃ。きっと僕はいつまでも一緒にはいられないんだから」

「え……」

「人間の生き残りを探す僕の旅はゴールが見えない。もしかしたらもう本当に……僕が最後の人間で、生き残りなんていないのかもしれない。そんな当てのない旅に、ずっと君を付き合わせることはできないよ」

「わたしはそれでもいいよ」


 プリルリは必死に言葉を紡ぐ。


「ずっといっしょにいさせてよ、ヒル」

「……残念だけど」


 ヒレブレヒトはプリルリの両肩に手を置いて言い聞かせる。


「『ヒーロー』からはいつか卒業しなくちゃいけないんだ。そういうものなんだよ」

「――レヒト、ちょっと待って」


 カフカがヒレブレヒトの首の後ろ襟をむんずと掴み、引っ張っていく。


「え、ちょ、なんだよカフカ!」

「いいから来い。プリルリちゃんはちょっと待っててね」


 カフカはそのままヒレブレヒトをバスルームまで引きずっていき、ドアを閉めた。


「ゲホッゴホホッ……なんだよいきなり――」

「あの言い方は無いんじゃないの?」


 カフカはへたり込んだヒレブレヒトを睨み、小声で続ける。


「あんな一方的に突き放すみたいな」

「だって……その通りだろ?」


 首元をさすりながら、見下ろすカフカの鋭い視線を真っ向から受け止めるヒレブレヒト。


「いつまでこうしていられるのかも分からない。プリルリのことを考えるなら――」

「子供扱いしすぎでしょ。あの子はとっくに覚悟決めてるの。何があってもアンタの側にいるって。分かってあげてよ」

「僕にはそんな責任背負えないんだよ。こんな危険な旅に付き合わせて、プリルリを守り切れないかもしれないし、僕だっていつ死んでもおかしくないんだぞ」

「だったら旅なんかやめちゃおうよ」


 カフカの一言がバスルームのタイルに反響する。


「プリルリちゃんと旅することになったのも成り行きなんでしょ? だったらいいじゃん。どっか安全なところで一緒に暮らせばさ」

「それじゃあきっと『ヒーロー』じゃいられない。他人のために自分から危険に突っ込んでいくのが彼女の『ヒーロー』だ。結局プリルリは独りになる」

「だから自分から離れていくってわけ? どっちにしてもアンタは死ぬのに?」

「僕みたいな人間を『ヒーロー』と勘違いして拘るより、その方がプリルリのためだ」

「プリルリちゃんを言い訳に使うなよ。責任を背負うのが怖いだけのくせに……!」


 カフカはへたり込んだままのヒレブレヒトの襟元に掴みかかる。


「舐め過ぎなんだよ……! プリルリちゃんのことも、アンタ自身のことも――」

「僕は――」

「言ったでしょ、一緒に頑張るって……アンタが頑張って背負うならアタシだって一緒に背負ってあげる。でも投げ出されたら何もできない……!」


 姉と同じ声、姉と同じ瞳で訴えかけてくるカフカに、ヒレブレヒトの心は、しかしどこか冷えていくのを感じる。


「約束したんでしょ、お姉さんと。『どんなことがあっても生き抜く』って。だったらどんなに生き汚くたって全部背負って生に齧りつくぐらいしてよ……!」


 カフカはヒレブレヒトの胸元から手を放し立ち上がる。


「アタシ、自分を犠牲にしてでも他人を守ろうとするレヒトは好き。だけど、自分を犠牲にすれば何でも丸く収まると思ってるレヒトは大ッ嫌い」


 回れ右して、ドアノブを握るカフカ。


「舐めないでよ。アタシが絶対にレヒトを死なせないから」


 そう言い残して彼女はバスルームを出ていった。


「……そんなの――」


 ヒレブレヒトは開きかけた口を閉じた。

『そんなの、君が食べた姉さんが君に言わせているだけだろ』という言葉を飲み込んで。


■□   □■


 深夜、重厚な鉄扉の鍵穴から白い煙が上がった。

 音もなく鍵の内部が急速に錆びるように崩れ、静かに扉が開く。


「なあ、やっぱり気が進まないよ。僕らは腐っても賞金稼ぎだ。誘拐なんて――」

「ッセーんだよ。怖気づいてんじゃねー。イマサラ引き返せるかっての」


 部屋に侵入してきたのは、カチンコチン小鉄とマリネ・ショガベニ―の2人だった。

 マリネは音を立てないよう慎重にベッドの脇まで来ると、ヒレブレヒト、カフカ、プリルリの3人が寝ているのを確認。

 そしてヒレブレヒトとカフカの口元に両手の人差し指を近づける。するとその先から透明な液体が1滴ずつ垂れ、2人の唇を濡らす。


 γ-ヒドロキシ酪酸――通称GHB。

 いわゆるデートドラッグとしても使用されたことからかつて多くの国で規制された、中枢神経系の抑制効果を持つ薬品。多量を摂取すると呼吸困難や昏睡などを引き起こすが、少量であれば鎮静作用と健忘作用により、悪用するのに非常に便利な睡眠薬となる。

 当然、酸性だ。


 ほんの数滴――ヒレブレヒトには体格も加味してやや多めに――摂取させ、30分ほど待ってから2人の鼻をつつく。

 全く起きる様子が無いので、マリネは肩を撫で下ろす。


「よーし、起きてープリルリちゃ~ん」


 プリルリの口を塞いでから揺り起こす。彼女の目が開いたのを確認し、口元に人差し指を立ててシーッとジェスチャー。


「騒いだらコロしちゃうよー。悪いんだけど一緒に来てね」


 マリネにそう言われても、プリルリは動揺せず素直にベッドから降りた。


「あら素直ー。ま、そっちのがツゴーいーからいーけど。オッサン、はよ」

「あ、ああ……」


 カチンコチン小鉄は手元から針金をするする出しながら、迷いの残る目でプリルリやベッドで眠り続ける2人を見回し、小声で囁く。


「プリルリちゃん、僕らは君を誘拐しようとしているんだけど……正直僕はやりたくない。なんとか途中で君を逃がしてあげられれば――」


 しかしプリルリは首を横に振った。


「そ、そうかい……?」

「オラ、プリルリちゃんもこう言ってんだからさっさとしろや!」


 マリネがプッと唾を吐く。カチンコチン小鉄のスキンヘッドに命中し、煙が上がる。


「アァイッツッ……!」


 カチンコチン小鉄は慌てて唾をぬぐい、渋々針金でプリルリを縛って担ぎ上げた。


「ッシャ、ずらかろーぜー」


 さっさと部屋を後にするマリネに続きつつ、カチンコチン小鉄は再度小声で話す。


「本当にいいのかいプリルリちゃん。何されるか分からないのに……」

「うん」


 プリルリは黒蜜のような瞳で、ベッドで眠りこけるヒレブレヒトを見つめた。


「だって、わたしのヒーローがぜったいに助けにきてくれるもん」

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