第19鮫 神を名乗るサメと生えてくる城
顔面を何かでこねくり回されてヒレブレヒトは目を覚ました。
目の前にはストッキング越しの素足が浮いている。
「あら、やっと起きたのね。待ちくたびれたわ。いいご身分だこと」
どうやら気絶していた彼の顔を足でいじくっていたらしきイナンナは、相変わらず華美な椅子にふんぞり返って浮遊していた。
「ここは……?」
カニサメの攻撃からイナンナを守ろうとしたことまでは思い出せたが、その後から記憶がない。
「――ってなんで僕ずぶ濡れ?」
木立の中にぽっかりと空いた広場のような草原にヒレブレヒトは寝かされていた。
しかしなぜか全身が濡れている。トランシーバーも完全に故障していた。
「そのほーは川に落ちて流されていたのよ。わーが引き上げてやらなければ今頃どこまで揺蕩っていたのやら」
楽しそうに足をプラプラさせているイナンナは、身体のどこにも怪我や汚れが見当たらない。
「あ、ありがとう……ございました。イナンナ……さん?」
「イナンナ様でしょう?」
被せるように言い放たれ面食らう。
「す、すみませんでしたイナンナ様……」
「うふふ……冗談よ。タメ口で結構。どうせどれだけ美辞麗句を並び立てようとも、この神たるわーへ抱くべき崇敬と畏怖を表しきれることなどないのだから」
神ときたか、とヒレブレヒトは冷や汗を垂らす。
一体この少女は何者なのか。
メガロドンポリスの偉い人、という紹介もどこまで信じられたものか分からない――というか、わざとかというレベルで胡散臭かった。
とりあえずカニサメにぶっ飛ばされて2人だけ離れ離れになったことは把握したヒレブレヒトは、立ち上がり辺りを見渡す。
「みんなに合流しないと……一体何キロ飛ばされたんだろう。とにかく僕が流されたっていう川に沿って上流へ――」
「その必要はないわ」
イナンナは焦りを少しも見せない。
「今頃ダーナが全霊を以てわーを探し求めているはず。神とは請われ求められるもの。ただ然として在れば善いの」
イナンナは草原の端にふよふよと浮かんでいくと、人差し指でちょいちょいとヒレブレヒトに来るように合図。
「椅子とか浮かしてるのがあなたの『簒奪形質』?」
尋ねながら隣まで歩いていくと、イナンナは答えず両手を伸ばし、親指と人差し指で作った四角を草原に向けて、90度回転させつつ目元に寄せた。
「【雪の嘯く一夜城】」
辺り一帯を地響きが襲い、ヒレブレヒトは立っていられず尻もちをつく。
やがて草原のど真ん中から巨大な尖塔が大地を貫き姿を現した。
それただの塔ではなく、居館や回廊も備え細かい造形も施された、立派なゴシック・ルネッサンス様式の城であった。
「次代の神たるわーの『簒奪形質』は、偉大なる母上から賜ったサメのサメたる原初の力。【背伸びをしたいお年頃】――他者の能力を無限に献上させ、進化させる。神によって無辜の民に授けられた『簒奪形質』を再び神の手に還すための異能」
「――それはつまり……能力を奪えるってことか?」
「粗野に表せばそうなるかしらね。飲み込みが早いこと」
「……どうも」
ヒレブレヒトは歯切れ悪いまま眉を寄せる。
その『簒奪形質』は、明白にカフカの【選ばれしものの食卓】に似ていた。
「さ、粗末な城だけれど今は仕方がないわね。ここで迎えをゆっくり待つわ」
城を見上げると、首が痛くなる。とても粗末な城には見えない。
こちらから帰り道を探すべきだと思っていたヒレブレヒトだが、急にこんな城が建てば目立つことこの上ないので、確かにここで待つのが得策な気もしてくる。
「そんなずぶ濡れでいつまでそこに突っ立っている気なの? 風邪を引かれてもわーは看病などしないわよ」
急かすイナンナに従って、城の中へと足を踏み入れる。
「浴場はこちら」
椅子に乗ってふよふよ滑っていくイナンナに着いていくヒレブレヒト。1人では迷いそうなほど部屋や扉が並んでいる。
いくつ目かの扉を抜けた先に、大浴場があった。
プールのようなサイズのバスタブに湯気の立つ湯が張ってあり、サッカーくらいなら出来そうな広さの風呂場には古代ローマのような柱と彫刻の並んだ神殿のような造り。
隅の方にちゃんとタオルや石鹸、その他何らかのケア用品のような物まで並んでいる。
とてもつい先ほど生成された城とは思えなかった。
「すごい……こんなの、本当に入っていいんで――」
ヒレブレヒトが振り返ると、イナンナは座ったまま片足を彼の方に突き出している。
「……何です?」
「わーも入浴したいのだけれど?」
「あ……ああ、じゃあ僕は待ってるからお先にどうぞ――」
「何を言っているのかしら。早くしなさい」
イナンナは当然のような顔で片足を突き付ける。
「脱がしてくれないと入浴できないじゃないの。ダーナがいないのだから、神たるわーへ尽くすのはそのほーの役目でしょう?」




