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第18鮫 使い捨てサメと母親の意地

 背の高い木が茂る中を走るかつてのハイウェイ上を驀進するカニサメの前に、岩拳のヒューリックが堂々と仁王立ち。


「うおおおおお喰らえぇぇぇーっ! このオレ岩拳のヒューリックの強く握りしめた渾身の【グー!】だあああああああ!」


 しかし両ハサミがサメの頭に置換されているカニは最早チョキでも何でもない。


「ぎゃあああああああああああああああああああああ!」


 岩拳のヒューリックはサメ顎に捕らえられ、カニの方の口で頭から食われた。


「【(カクテル・アル)(ケミー・クラブ)】! カニ! カカニカニカニカニカアニカニニカカニカ?」

「カニニニカニニニカカニカニカ」

『カニサメは何だって?』

「『卵漏れそうで急いでるんだから邪魔だ』っておわあああああああああああ!」


 ズェニャアンドはカニサメに踏み潰されて地面と混ざった。


「今ですッ! ハイッ!」


 カニサメが横を通り過ぎる瞬間を狙って、木の上から跳ぶンドン・ンタン。なんとかカニサメの甲羅の上に着地してしがみつく。


「現在の進行方向は西ッ! さあ左に90度曲がるのですッ! 【南風を背(トウェルブ・オ)に受けて(クロック・ハイ)】ッ!」


 しかし何も起こらない。


「なッ、何故ッ……!? ハッ! カニは横歩きしている! 進行方向は西ということはカニの正面は既に北だったからということでハイィィヤァァアアアアアアアッ!」


 ンドン・ンタンはカニサメのサメ顎で摘まみ上げられ、左右のサメ顎で真っ二つに千切られて森の中に散らばった。


「やっぱりあの辺は駄目だったか。そんな気はしてたけどな」


 ダーナはため息交じりにぼやいた。

 カニサメが進軍する上空、ぷかぷかと空中に浮かぶ椅子が3脚。イナンナのものだけがいつもの豪華さで、ダーナとプリルリはパイプ椅子だ。


「俺はやめとけって言ったのに、あいつらが『頼むから参加させてくれ』って頼んできたから入れてやっただけだからな。俺のせいじゃないぞ」

「だいじょうぶだよ。ヒルがやっつけてくれるから。任せといて」

「ほー、そいつは心強い」


 ダーナは親し気な笑顔をプリルリに向ける。


「ヒレブレヒト・バーナードの、その『超回復』とやらはそんなに強力なのかい?」

「うん! どんなに傷ついてもぜったいに負けないんだよ!」

「へー……それは、普通なら死んでるような怪我でも? 心臓を潰されたり、頭を吹き飛ばされても、それでも彼は立ち上がるの?」

「うん!」


 プリルリの表情には一片の疑いの色も無かった。


「ヒルはわたしの無敵のヒーローだから!」

「そうか――ありがとう」


 ダーナは色付き丸メガネの奥の目を細める。イナンナは脚を優雅に組み替えて背もたれに深く腰掛けた。金色の瞳が逆光の中で怪しく光る。


「それじゃあ実力を見せてもらおうか。『第2班、カニサメが間もなくそちらに到達するぞ。見えてるか』」


 ダーナのトランシーバー越しの確認に、カフカが返答。


『ええ、見えてる』

「『じゃあ作戦通りによろしく』」

『了解。行くよ、作戦開始!』


■□   □■


「それじゃ、行くよ」

「あーい、よろしく~」


 カフカはマリネの胴を背後から抱き、木立よりも高く飛び上がった。


「すっげー! マジで飛んでんじゃん!」

「あんまり持たないから準備して!」


 カフカはカニサメの位置と進路を確認すると、真っ直ぐ進行方向の上空へ向かう。


「いいよ! やっちゃって!」

「オッケー。【アクリッド・マリネード】!」


 突き出した両手から透明の液体がほとばしり、ちょうど真下を通りかかったカニサメの甲羅に降りかかる。

 液体のかかった箇所から泡が立ち、ジュウジュウと白煙が上る。カニサメは苦痛からか家が軋むような叫びをあげて進行を止める。


「よし! やれレヒト!」


 動きを止めたカニサメの脚をよじ登るヒレブレヒト。甲羅の上までたどり着くと、酸で溶けかかった目と目の間をめがけ、エンジンを唸らせたギャストロノウムを突き立てる。

 脆くなった甲羅にサメの歯チェーンが食い込んでいく。


「ギチチシャアアアアアアアア!」


 しかしカニサメが暴れ出し、ギャストロノウムは歯が滑り、ヒレブレヒトはバランスを崩す。危うく落ちそうになったところで、辛うじて右手でカニサメの片方のハサミ――ではなくサメ顎の根元にしがみついた。

 カニサメは彼に構わず、再び走りだした。


「マズい! このままじゃバリケードを――」


 先程よりも勢いを増した爆走で真っ直ぐ粗雑な木組みへ突進するカニサメ。

 バリケードの前で待ち構えていたカチンコチン小鉄が道の脇へ退避し、暴走甲殻類サメはいとも簡単に大木のバリケードを突き破った。


「――かかったな」


 満足気に微笑んだのはカチンコチン小鉄。


「僕の【檻に留め置け我が誇り(パーソナル・スペース)】は鎧を生成する。鎖帷子(くさりかたびら)だって立派な鎧さ」


 カニサメは進行を止めていた。

 バリケードの木組みに仕込まれていた目の粗い巨大な鎖帷子が、鋼鉄の網となってカニサメの脚に絡みついたのだ。


「決めろ! ヒレブレヒトくん!」

「はい……!」


 暴れるカニサメの上で、トゲに掴まりながら先程与えた傷の場所まで戻ってきたヒレブレヒト。しかし足場が悪すぎて立つことができない。


「カフカ!」


 トランシーバーを手に取り必死に声をかける。


「ギャストロノウムを上から打ち込め!」

『分かった!』


 返事を聞くより早く、ヒレブレヒトは後のことは考えず立ち上がってギャストロノウムをカニサメの傷跡に突き立てた。

 すぐにバランスを崩して甲羅の上から落下する――寸前にカフカが天から襲来。


「【鐵撞木(くろがねしゅもく)】ッ!」


 カフカがギャストロノウムの柄を重力を乗せた強烈なキックで打ち込み、巨大なチェーンソーは根元までカニサメの脳天に突き刺さった。


「ギシャアアアアアアアアアア!」


 カニサメは最期に大きく手足をばたつかせ、ズシンと地面に崩れた。


「やった……――あっ、レヒト!」


 甲羅から落ちたヒレブレヒトの許へカフカが駆け付ける――その前に、痛みに動けずにいた彼の頭上にロココ調の豪奢な椅子がふわりと浮かんでいた。


「左脚が折れているわね。痛そう。痛いの?」

「――あ……あなたは……」


 艶のある黒い長髪を絹糸の滝のように垂らして、金色の瞳が爛々と光る。


「見せてくれるかしら。この神たるわーに。そのほーの持つ力を――」


 耳の奥へとろりと流れ込んでくるようなイナンナの囁きは、母カニの恨みの籠った咆哮とキチン質の軋む悲鳴に遮られた。

 カニサメが最期の力を振り絞ってサメ顎を振るった。

 その標的は、目の前でふわふわ浮いていた派手で目障りな椅子の主。


「あら――」

「危ない……!」


 咄嗟に跳び上がりイナンナを突き飛ばそうとしたヒレブレヒト。

 しかし片足では十分な威力が出ず、彼女に覆いかぶさるように抱き着いてしまった。

 その瞬間をサメ顎の殴打が襲う。

 カニサメの死力を尽くしたフルスイングで、椅子に乗った2人は空の彼方へ飛ばされていった。


「レ……レヒトー!!」


 あっという間に見えなくなってしまった2人。カフカはあっけにとられるしかなかった。


『――えー、みなさん』


 トランシーバーから、さすがに焦りの混じったダーナの声がする。


『祝勝会は後で。追加料金払うんで、一緒にイナンナ……様らを探してくれ』

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