第15鮫 悪者サメとわたしのヒーロー
この人がわたしのヒーローなんだと思った。
ずっと一番そばで、いっしょにいたいと思った。
わたしは自分が生まれた場所の名前を知らない。
おとうさんとおかあさんの名前も知らない。
自分が愛されてないのは知らなかった。
ずっと同じ部屋の景色しか知らなかった。
最初に覚えた言葉は、たぶん「エサ」だったと思う。
でも口にするとおかあさんに「サイソクするな」って殴られるから言うのはやめた。
おとうさんはあんまり見たことなかったけど、いつも酔っぱらってた。
たまに機嫌がいいと、どこかで拾ってきた本や新聞をくれた。
「字くらい読めるようになれ」って。
「読み方を教えて」っておねがいしたら、「俺が読み書きできねぇのをおちょくってんのか」って殴られた。
でも他になにもなかったから、少しずつ少しずつがんばって読んだ。
ある日、おとうさんが持ってきたのは古いヒーローコミックだった。
びっくりした。
こんな人がいるのかと。
その人は筋肉ムキムキで、すごいパワーを持っていて、とっても強い無敵のヒーロー。
でも孤独で、たくさん辛いことがあって、いつも自分以外の責任まで背負って戦う。
どんなに傷ついても、必ず立ち上がって、絶対に負けない。
何度も何度もコミックを見返した。
ずっとヒーローを見ていたかった。
いつかこのつまらない部屋の壁をパンチで打ちこわして、太い腕でわたしを抱き上げて、外の世界へ連れ出してくれたら、コミックの続きも間近で見られるのにって思った。
「買い手がついた」っておとうさんが言った。
連れ出されたわたしは、はじめて自分が生まれ育った家と村を見た。
ヒーローの足ぶみだけでくずれそうな、ゴミをつみあげたようなところだった。
ヒーローにたおされる悪いやつらみたいなのから、おとうさんはお金をもらってた。
手をしばられて、悪いやつらに連れていかれた。
コミックは持ってこれなかった。
「どこにいくの」ときいても、「だまってろ」としか言われなかった。
そのまま何日も狭いトランクの中でちぢこまっていた。
とつぜん争う声がして、叫び声や悲鳴が止んだあと、トランクが開けられた。
太い腕がわたしを抱き上げて、太陽の下へ連れ出した。
この人がわたしのヒーローなんだと思った。
ずっと一番そばで、いっしょにいたいと思った。
だからわたしは、ウソをついた。




