第14鮫 大統領サメと神たる娘
「サメリカ合鮫国大統領としてここに宣言する」
旧ホワイトハウス――現ホワイトシャークハウスに、合鮫国大統領ケーニッヒ・ワーナット=ブリリストンの宣誓が響く。
美しく仕立てられていた白いスーツは見る影もなく破れ、自慢の髭は焦げて縮み、恰幅の良い体は全身痣だらけ。そんな大統領は右手を挙げ、左手を映画『ジョーズ』の初代レーザーディスク版に乗せている。
その周囲には、100は下らぬ数の飛行サメの無残な死骸が転がっていた。
「吾輩は今ここに敗北を認め、貴女に合鮫国大統領の地位と全権限を譲渡するものである」
「いらないわそんなもの」
大統領の眼前。執務室に据えられた大統領お気に入りのロココ調の豪奢な椅子に悠然と腰かけた少女は眉をひそめて一蹴した。
青みがかった長い黒髪はすらりとした体躯に沿って艶やかに流れ、暮れ泥む空をそのまま纏ったかのような黒と紫と橙の折り重なった薄手のイブニングドレスを着こなし、青白い肌を隠すようにレースの長い手袋とストッキングを身に着けた優雅な姿。
その身体は無駄を削ぎ落したかのように細く、たおやかに肘をつき、口元に手をやりながら黄金色の瞳で品定めするようにケーニッヒ・ワーナット=ブリリストンを眺めていた。
執務室中のあらゆるものが破壊され、飛行サメの血に塗れている中で、ただ少女だけが清浄なまま存在している。
その幼げな顔立ちと、不釣り合いな気品と、否応にも感じられる迫力が、少女の浮世離れした存在感を醸し出す。
「し、しかし吾輩にはそれ以外に貴女に差し出せるものなど何も――」
「そもそもサメリカ合鮫国大統領など、そのほーが勝手に名乗っているだけではないの。僭主の位など、神たるわーには必要ないわ」
「では何故吾輩を襲ったのですか……?」
「神たるわーを差し置き、神の如く振る舞っていたのが気に食わなかった――というのが1つ目の由」
「……では2つ目は?」
「そのほーの『簒奪形質』が欲しいの。ダーナ」
「あいよ」
執務室の扉から、折れた鉄筋を持った猫背の男が姿を現した。
「貴様……ダーナではないか!? H.E.A.D.Sの一員である貴様が何故他人に従っているのだ!?」
「あー、はい、H.E.A.D.Sね。なんかコソコソやってる奴らがいるから情報収集のために誘いに乗りましたけど、俺は初めからこのワガママプリンセスの従者なんで、すんませんね」
ダーナはひょろりと背が高く、手足も細長い。石炭のような艶の無い黒の天然パーマが目元まで伸び、チェーン付きの色付き丸メガネをかけている。フードの付いた黒の上着の下にタートルネックの黒いセーターを着て、ブラックレザーのパンツを穿いている。
とにかく細長く、黒い男だった。
「吾輩が組織した栄光あるH.E.A.D.Sの一員に選ばれるという名誉を賜っておきながら、獅子身中の虫だったとは……!」
「いやいや、そもそも全員目的バラバラ承知の上だったじゃないですか」
「ダーナ、まだなの?」
「はいはい」
ダーナはブリリストンの背中に鉄筋を突き立て、一気に胸へと貫いた。
「ゥグォ……ッ!?」
「【喜びの錬金術師】」
少女の片手に、シンプルながら優美な曲線を描くブランデーグラスが出現。
「【フーズ・ゼア】」
ブランデーグラスが少女の手を離れ、空間を滑るようにブリリストンらの方へ向かう。
グラスが近づいてくるのを待ち、ダーナは鉄筋をブリリストンから引き抜く。痛みに呻くブリリストンの胸に開いた穴から鮮血が流れ出し、グラスを満たした。
グラスは再び元来た道を戻り、少女の手に収まった。
「――香りは及第点すれすれ。かろうじて、といったところね」
グラスをくゆらし渋い評価を下すと、少女は澄ました顔で生き血に口をつける。
こくり、こくりと細い喉が蠢くのを見せつけるように呑み下していく彼女の姿を最期に視界に捉えながら、サメリカ合鮫国大統領ケーニッヒ・ワーナット=ブリリストンの身体はぐにゃりと床に崩れ落ちていた。
ここにサメリカ合鮫国は崩壊したのだ。
「――まるでイノシシの脂肪みたいだわ。飲んだことはないけれど、きっとこんな感じね」
血を飲み干してから文句を言い、少女はグラスをその場に放り投げた。売れば相当な値が付くであろうグラスは床に当たって粉々に砕け散り、サメらの血溜まりと混ざる。
「ダーナ」
「はーい」
ダーナは鉄筋を捨て、サメの間を大股で踏み越えて少女の許へ近づく。ポケットから真っ白いハンカチを取り出し、少女の薄い唇に付いた血液を丁寧に拭き取ってやる。
「ここしばらく不味い血ばかりで厭になるわ。まともな食生活を送っている者はいないの。もっと野菜とか食べるべきね」
「お前が言うな偏食プリンセスめ。で、お目当て通りの『簒奪形質』だったか? イナンナ」
「ええ。【市民は衆愚が望ましい】――あの男を僭主まで押し上げた力。神たるわーが存分に揮ってやるわ。神には無垢なる軍勢が必要だものね」
神を自称する少女――イナンナが指を鳴らすと、隣の部屋から小鳥ほどの飛行サメが数匹飛んできて、大統領の死体をついばみ始める。
「あら可愛らしい。わーの食べ残しをあんなに必死に。ついでにこの椅子も貰っていくわ。神たるわーに座られた方が椅子も喜しいでしょうね」
イナンナはハイヒールを脱ぎ捨て、脚を組んでくつろいだ体勢になる。
彼女を乗せた椅子は先ほどのブランデーグラスのように宙にふわふわと浮かび上がった。
「もう一生歩かなくて済むわね」
「今までも大して歩いたことないだろ」
「でもまだ足りないわ。わーが偉大なる母上の後を継いで神として君臨するには、まだ力が足りない。より強く、美しく、厳かであらねばならないの」
「それで、次の目標は決まってるのか?」
「いいえ、まだよ。また温泉にでも行こうかしら」
「悠々自適なお姫様で結構なことだ――ん?」
窓に何かがコツンコツンと当たる音にダーナが振り向くと、30センチほどの飛行サメが2匹、窓の外にホバリングしていた。
ダーナが窓を開けると、2匹はスイーと室内に入ってきて、デスクの上に書簡をそれぞれ1つずつ落として再び飛び去っていった。
「H.E.A.D.Sの伝書サメか。俺宛のと大統領宛のが一緒に来たんだな」
「ダーナ、さっきから話に出てきているそのヘッズというのは何だったかしら」
「入るとき言っただろ。大統領が提唱した飲み会サークルみたいなもんだ」
H.E.A.D.S――"Harbingers Engaged in Ambition, Destruction, and Survival"(野望・破壊・生存を追い求める先駆者たち)の略であり、大統領が独自の情報網で捜索し接触した、世界規模の野望とそれを実現する強大な力を持つと認められた者の同盟。
ただしそれぞれ目的も主義主張も異なるので、協力して何かを行うというよりは、お互いの目的を達成するまでの一時的な不可侵条約と情報交換のためにある。
「結構な人数に声かけたらしいけども、実際に加入したのは4人か、5人か、多くて6人とか……。で、頭が死んだけど次の飲み会は誰が幹事やるんだか」
届いた書簡は両方同じもののようで、ダーナは片方を開いてザッと読んだ。
「――驚いたな。デリカタでクーデターかよ。あの承認欲求こじらせアラサー女、H.E.A.D.S招聘がえらく嬉しかったみたいで、裏で大統領に小物扱いされて便利に使われて見てて悲惨だったわ。まあ単純な戦闘力というよりは、組織や国家を破壊するのに便利すぎるから仲間に引きこんだだけなんだろうけども――ん……こいつは――おいイナンナ、おい……おい起きろ」
話に飽きて椅子の上で寝始めていたイナンナは不快そうに顔を上げる。
「――何かしら……。どこの宿にするのかもう決めたの」
「残念だが温泉は後回しだ。見つかったぞ。お前の所望する能力が」
「ふぅん……つまりそれは――」
「ああ――『不死身』の男が見つかった」
「うふふふふ……神たるわーが永遠にこの世界に君臨するための力が、とうとう現れたのね。温泉なんか行ってる暇はないようだわ」
イナンナはちろりと薄い唇を舐めた。
「次代の神となるのは、完全なる完成品であるこのわーなのよ」
椅子の上でふんぞり返って嗤うイナンナを放っておいて、ダーナはまだ書簡を見ていた。
添付されていたのは、捕らえられたバブチャンの写真と、クーデターの実行犯として記載された3人の遠方からの写真。
「皮肉なもんだな……今更お前と逢うことになるとは――」




