第13鮫 無邪気なサメと胸の炎
「もう出発するのかい。もっと居てくれてもいいのに。慌ただしいのう」
「いやー、これ以上お世話になるわけにも……」
バブチャンとの戦闘から5日。
圧政から解放されたデリカタ住民は、アンダウン・モーテルからの帰還者も合流して大騒ぎだった。解放の英雄として散々連れ回され、乾杯に付き合い、飲み食いを勧められ、住人たちが耐え続けた2年間分のエネルギーを受け取った気分だった。
「本当に残念ですよ~。アタシはまだ食べられるのに」
「さすがに遠慮というものを覚えろお前は」
もうベルトが閉められなくなっただっぷんだぷんの腹をぺちんとはたく。
カフカは出された料理を出されただけ全て食べ尽くすので、住人たちが面白がってあれもこれもと食わせまくった結果がこれである。
「それ以上体重増えたら荷馬車に乗れないからな。置いてくぞ」
「はーい。食料もいっぱい貰っちゃったし、あとは道中で楽しむとしますか」
「旅の食料なんだからな? 食い尽くすなよ?」
「分かってるって。半日は持つって」
「やっぱ荷馬車から降りろお前」
カフカは何も返さず、荷台に寝っ転がって口をとがらせている。
爆破して大炎上したピックアップトラックの代わりとして、集落の商人が古い荷馬車を譲ってくれたのだ。残念ながら自動車はすぐに動くものが残っていなかった。
幸いにも荷馬車を引くウマサメは生き残っており、2頭が繋がれている。
「右のがセンパー、左のがパラタス。どっちも良い馬だ」
「シャークヒヒヒーンサメー」
ダビドフが首筋を撫でると、センパーが癖のある嘶きをした。
「そういえば今度、デリカタの新しい長を決めることになっての」
ついでのように言うダビドフ。
「バブチャンのような者が出ないよう、選挙とか議会とか、まあなんか上手いことやれたらいいなぁという感じだそうだ」
「ふわっふわですね」
「まだ酒の席でしか話とらんからのう。で、バブチャンの処遇が決まるのはその後ということになった」
「そうですか……」
「殺せと言う者もおるし、それすら生ぬるいと鼻息を荒くしとる者もおる。ただ……奴がああなった経緯は多くの者が知っとるし、同情がないわけではない。特に今の姿を見ているとのう……もはや奴は、目も能力も何もかも失った廃人同然。これ以上奴から何を奪えるというのか、悩みどころではある」
ダビドフは顔を伏せ、呟くように零した。
「――まあ、我が娘と、息子になるはずだった男の命を奪った奴を、ワシが赦すことは生涯無いだろうがな」
「ダビドフさん……」
バブチャンに暴行され命を絶った酒場の看板娘がダビドフとヤホールの一人娘だったことは、宴会中に住人に聞かされた。
彼らの心中がどれほどのものだったのか、この2年間どのような気持ちで生き延びてきたのか、ヒレブレヒトにはとても推し量れなかった。
「暗い話ついでに、あァたに言っとかなきゃいかんことなんだけどね」
プリルリの頭を撫でて身だしなみを整えてやっていたヤホールが、ヒレブレヒトの方に近づいてきた。
「前に訊かれただろ? 人間の生き残りについて知らんかって。あれなァ、知り合い連中みんな当たってみたけども、やっぱり誰も知らんとさ。すまないね」
「いえ……そこまでしていただいてありがとうございます」
「それでな、ひょっとして……あァた、その人間なのかい?」
咄嗟に言葉に詰まる。
彼の首に巻かれていたボロ布は爆発のときに燃えて無くなった。それからヒレブレヒトは、首元を隠すのをやめていた。
「――はい。僕は人間です。名前はヒレブレヒト・ブルース・バーナード。生き別れた家族と、他の人間を探しています」
「分かった。もし人間と出会うことがあったら、あァたのことを伝えとくよ。それとね、実はもう1つあるんだが――」
ヤホールはちらりとプリルリの方を見た。
プリルリはちょうど、あのアクセサリー売りの男にファイアオパールのペンダントを差し出していた。
「あの、これ――」
「ああ! いいのいいの! お嬢さんにプレゼントしちゃう!」
男はカフカに蹴り飛ばされて肋骨と右手と右脚を折っていたが、包帯グルグル巻きにもかかわらず元気そうだった。
「君らのおかげでいくらでもオシャレを楽しめるデリカタになったからね、これからアクセサリーもバンバン売れるはずさ! そのお礼だよ。良かったらまたウチに立ち寄って買いに来てよ。最高の逸品を揃えてまってるからさ!」
プリルリは嬉しそうにペンダントを付け直し、男は拍手している。
「――お嬢ちゃんの生まれ故郷のプラムシャーって村なんだがね」
ヤホールが声を抑えて話すので、ヒレブレヒトは腰をかがめて聞いた。
「大陸中を西から東まで行き来しとった商人連中に訊いて回ったんだがね、誰一人そんな名前の村は聞いたことがないと言うんだよ……」
「えっ……? まさかそんな――」
「誰も知らん秘境の村とか、移住者がここ最近作ったとか可能性はあるがね――仮にも2年前までは交易都市だったデリカタの商人が言うんだ。プラムシャーという村はこの大陸には存在せんと考えた方がええかもしれん」
ヒレブレヒトは呆然としてプリルリの方を見た。
――彼女の『ヒーロー』であり続けなければ死ぬ。
そう知ったとき、いつかプラムシャーにたどり着いたら、果たしてどうするべきなのか悩んでも答えは出ず、その時が来るまで考えるのをやめることにした。
とにかく今は『ヒーロー』であることに全力を尽くそうと。
彼女の生まれ故郷を探すことに集中しようと。
それが守るべき家族もいない自分の、現在の存在意義の1つだと思っていた。
しかし、本当にプラムシャーが存在しないのだとしたら――
「――プリルリが、嘘をついていた……? まさか……どうしてそんな――」
胸にファイアオパールのサメの歯を輝かせて、プリルリが笑顔で手を振ってくる。
不格好な笑顔で手を振り返すヒレブレヒト。
――君は、一体何者なんだ……?




