第9話
「フロンティア様、お手紙です。」
「……また、お父様からなのね?」
シルバーが差し出す手紙を見るたび、胸が重くなる。
もう、何通目になるのだろう。毎日のように送られてくる父からの手紙。開ける前から、その中身がどんなものか分かってしまう。『情報をよこせ』『アルベールに近づいて聞き出せ』『家族のためだ』
毎日、毎日、毎日。
ぎっしりと埋め尽くされた文章に、読んでいるだけで頭がおかしくなりそうになる。
こんなもの、全部燃やしてしまいたい。
けれど、捨てることすらできない私は、まだ父に縛られているのだろうか。
そんな惨めな自分が嫌になる。
ふと、シルバーが一瞬、不審そうな目で私を見た。
それも仕方のないことだろう。
頻繁に届く手紙。何かを隠していると思われてもおかしくない。
もしかして、アルベールも私のことを疑っているのかしら……?
その考えが頭をよぎった瞬間、心臓が締めつけられるように痛む。
ランカスター家でのすべてが壊れるなんて、考えたくもない。
……いい加減に許してよ、お父様。
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「ティア」
目の前に、ぱぁっと明るい花が飛び散る。
「キャッ…!」
空中を舞う花々に、私は一瞬何が起きたのか理解できなかった。しかしすぐに目の前にいるアルベールの仕業だと分かった。
「中々良い反応だな」
彼の口元がわずかにほころんでいる。彼の笑顔が私の心に温かい光を灯すようで、思わず胸が温かくなる。
「もう…。アルベール、これは魔法か何かですか?」
気づくと私は手を伸ばして、空中に浮かぶ花を一枚掴んでいた。その花が柔らかく手のひらに収まり、温かい光を放っているように感じる。
「いいや、魔法なんて優れた者じゃない。これはただの嘘、手品さ」
アルベールは小さく笑うと、軽やかな足取りで私の前に歩み寄り、手をひらひらと振った。
「手品ですか……意外ですね、手品だなんて興味がなさそうですのに」
「確かに俺は手品なんて柄じゃないかもな。これはただ、妹を喜ばせようと思って昔に練習したんだ。しかし、あの子は俺の手品なんかよりも、君のことの方を気に入ってしまったみたいだけどね」
困った、困った、と眉をひそめて笑うアルベール。
…本当に優しい人。
近頃落ち込んでいる私を気遣って、わざわざ手品をして見せてくれたの?
アルベール、ごめんね。
私みたいな悪い女と結婚していなければ、あなたはこんな思いをしなくて済んだのに。
私が、あなたと結婚しなければ。
私はこんなに苦しい思いはしなくて、済んだのに…。
普段のように愛らしい淑女として完璧な笑みを浮かべようとする。だけど、何故か上手くいかない。特技なはずだったあの嘘の笑みが、どうにも出来ない。
そんな私に気づいたのか、アルベールは私の前で片膝をつき、しゃがみ込むと私と目線を合わせた。そして、そっと私に向かって手を差し伸べる。
「元気を出してくれ、ティア。……君には、笑顔が一番だから」
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「ごめんね、ごめんねアルベール」
静かな夜、隣で眠る夫にひっそりと声をかける。彼の安らかな寝顔を見ながら、私は必死に涙を堪え、掠れるような小さな声で別れを告げた。
そっと彼の頬に、キスを落とす。冷たい涙が頬を伝い、私の心は静かに壊れていく。
「ランカスター公爵夫人は頭がおかしくなっていた。だから、自分で自分の首を切って死んだ。……シナリオはこれで完璧。遺書だって書いた。大丈夫、夫や義妹に迷惑をかけることは無い」
私は、アルベールを愛してしまった。そして彼もまた、私を愛してくれた。
私は本当に幸せだった。何もかも手に入れて、不自由なことなんて何一つなかった。
だけど時々、夢に出てくるの。お父様の命令で、私が地獄へ突き落とした親友が。彼女は、『お前だけが幸せになるなんて許さない』そう言い、私の腕を掴み、アルベールから引きはがそうとする。
もう、耐えられないの。ごめんなさい。弱くて、本当にごめんなさい。
垂れた目元に吊り上がった眉。私を呼ぶ、その甘い声。この世界であなただけが私をティアと、愛称で呼ぶ。全部、全部、あなたの全て大好き…。
だけどあなたを愛する分、私は辛いの。愛するあなたが、いつか私の元から離れることになったことを想像する度、吐き気が押し寄せた。
いつか私が自分の理性に耐え切れず、本能のままに父の命令に従うことになったなら。私があなたを裏切り、そのことにあなたが気づいた時。
あなたが私を軽蔑した目で見てくる様子を、つい想像してしまう。
その瞬間、私は生きる意味を失うだろう。
きっと、あなたは二度と私に触れようとはしない。あの暖かい手で私を抱きしめることも、名前を呼ぶことも、優しく微笑むこともなくなる。
あなたの目に映る私は、愛する妻ではなく、ただの裏切り者となる。
そうなる前に、さっさと死んでしまおう。そうすれば、あの子だって私を許してくれるはずよ。
震える手で、静かにナイフを持ち上げる。刃先をそっと首元に押し当てると、ひやりとした冷たさが肌に触れた。
――やっと私は、解放される。
ゆっくりと力を込めると、ぴりっとした痛みが走った。
赤い血が、静かに首筋を伝い落ちる。温かく、そして驚くほど鮮やかな赤。
覚悟を決めて目を閉じた、その瞬間。
――バンッ!!
突如、扉が乱暴に開かれる音が部屋中に響き渡った。
反射的に目を見開いた直後、私の頭に響く力強い大きな声。
「何をやっているんだ、フロンティア!!」
鋭く、低く、それでいて震えるほどの怒気を孕んだ声が空気を裂く。
次の瞬間、強い力が私の手を掴み、刃を無理やり引き剥がした。
私は呆然と、目の前の男を見上げた。
「アルベール…」
そこにいたのは、この世の何よりも愛する夫だった。
…そう言えば、初めて私がランカスター公爵家にやってきた日も。木から落ちそうになった私のことを、あなたは助けてくれた。
いつだって、あなたは私を守ろうとする。
私はそのあなたの優しい所が凄く好きで。本当に、嫌いだった。
次で完結です。
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