第4話
「こっち!」
「は、はい…!」
外に出ると、庭園の方向へ向かって私の手を引き走り出したチェルシー。
「もしかしたら噴水の中に落ちてるかも!うぅ、どうしよう……」
『お前が入って見ろ』とでも言いたげに私を見つめるチェルシー。
ああ、はいはい、わかりましたよ! 公女様のためなら噴水でも叢でも沼地でも飛び込ませていただきますとも!
ためらいながらも、私はヒールをそっと脱ぎ、静かに噴水へと足を踏み入れる。冷たい水が足元を包み、ふと現実の重みを感じさせる。
「うーん、ありませんね…」
額から流れる汗を拭おうと顔を上げたその瞬間、視界の端で何かが煌めいた。
木の枝に引っかかっている赤い光。まさしく、ルビーの光…!
「ありました、チェルシーさん! あそこです、木の枝に引っかかっています!」
「私のブレスレット! …でもどうしてあんなところに? 私、あんなところ行ってないのに」
「ここは自然豊かな場所ですからね。小鳥やリスなどの小動物が見かけられましたし、もしかすると動物があそこまで運んでしまったのかもしれません。」
「そんな…」
「チェルシーさんはここで待っていてください。私が取ってきますから。」
心配げに私を見つめるチェルシーに、私は微笑んで答える。そして、私は木に足をかけると、慎重に登り始めた。
負けず嫌いの性格がここに出てしまっているな、と心の中で思いながらも、公女様のチェルシーが見ている前で今更引き下がるわけにもいかない。
「あと、もう少しで……よし、取れました! ……きゃっ!」
私の手がブレスレットを掴んだ、その瞬間。バキッと鈍い音が響いた。それは私が乗っていた木の枝が折れた音だった。
驚く暇もなく、私の身体は重力に引き寄せられるように地面に向かって落下する。
「フロンティアお姉さま!!」
チェルシーの声が遠くから響くが、私の意識はその声に反応する暇もない。
胸が締め付けられるような恐怖に包まれ、痛みに耐えるように覚悟を決めてギュっと目を閉じた。
…しかし、私が痛みを感じることはなかった。
「一体、何をしているんだ…」
そこには無いはずの誰かの声が聞こえ、恐る恐る目を開ける。するとそこには、先ほど出会ったばかりの私の夫、アルベールの姿があった。
「…アルベール公爵様」
気づけば、私はアルベールの腕の中にいた。落ちる瞬間、どこからともなく現れたアルベールが私を抱きとめてくれたのだった。
アルベールは私を見つめ、深い息をつく。その顔には、心配と同時に少しばかりの怒りが垣間見えていた。
「……どうしてこんな危ない真似をしたんだ」
「えっと、ブレスレットを取ろうとして、木から落ちてしまって…」
アルベールの視線が鋭く、その視線が私を困らせる。
あぁもう、そんな怖い顔で見ないでよ…。
「ど、どうしてお兄様がここに…」
「…チェルシー」
アルベールに名前を呼ばれ、チェルシーはビクッと体を揺らす。
「どうして、お前がここにいるんだ?」
「お兄様、聞いて、その、私がなくしものをして、一緒に探してもらっていて…」
チェルシーが必死に言い訳をしようとするけれど、アルベールの冷徹な表情は変わらない。その態度に、チェルシーが怯えたように身体を縮めてしまった。
「そうか、ならばこれはお前が引き起こしたことだったんだな」
アルベールの声は冷たく、責めるような響きを帯びている。その言葉に、チェルシーが今にも泣き出しそうな顔をするのを見て、私は心苦しく感じた。
「お兄様っ……」
涙をこらえるチェルシーを見かねて、私は思わず口を開いた。どんな形でも、この不安そうな彼女を見ているのは辛い。面倒ごとは避けたかったけれど、今だけは彼女を守りたかった。
会ったばかりの公女様に、そこまでの情があったわけでもない。ただ、この光景を見ていると、兄から責められ今にも泣きそうな顔をするチェルシーと、私自身を重ねてしまうのだ。
「落ち着いてください公爵様。私は大丈夫ですから、どうか怒らないで上げてください」
チェルシーは目を潤ませながらも、ブレスレットを探すのに必死になった証でもある汚れてしまったドレスを、小さな手でぎゅっと掴んで必死になって涙をこらえている。
「公爵様、公女様!! フロンティア嬢!! ご無事ですか!!」
その時、気まずい沈黙を破るようにシルバーの声が響いた。
「うぅっ、シルバー!!」
チェルシーは、その姿を見つけた瞬間、堰を切ったように泣きながらシルバーの方へ駆け寄る。
「公女様! ご無事でしたか…」
シルバーは片膝をついてチェルシーを受け止め、優しくその背を撫でた。その仕草には、幼い少女を安心させる温もりがあり、チェルシーはしゃくりあげながらも彼の胸に顔を埋める。
「うぅ…」
「公爵様。まずは公女様を着替えさせましょう。こんなに汚れていていらっしゃいますし、何より一度落ち着いた方がよろしいかと」
「しかしシルバー…」
シルバーは公爵に向かって静かに提案するが、アルベールは不満げな様子だった。
「うわあぁん! もう嫌! お兄様なんて大嫌いっ!」
突然、チェルシーは泣きながら叫んだ。信頼している執事のシルバーが来て安心したのか、我慢していた涙が溢れだしてしまったようだった。チェルシーにシルバーは優しく声をかける。
「そんなことを仰らないでください公女様。さぁ、このシルバーと共に公女様のお部屋に戻りましょう」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたチェルシーは、シルバーに引かれるようにして公爵邸へと戻っていった。
私は、アルベールと二人きりになった。
「………。」
「……えへ…。」
いや、シルバー。私も一緒に連れて行ってよ!!
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