第11話
あの日から、一年の月日が経った。
アルベールは、私を楽しませるために本当に色々なことをしてくれた。
ランカスター公爵邸に美しい庭園をいくつも作り、花が好きな私のために、四季折々の花が咲き誇る光景を見せてくれた。
温かな陽の下、心地よい風に揺れる花々の中を散策する時間は、まるで夢のようだった。
ドレスや宝石といったプレゼントを惜しみなく贈られた。
ドレスは繊細なレースと刺繍が施され、どれも私の肌に似合う色合いが選ばれていた。宝石はまるで夜空の星を閉じ込めたかのように輝き、指輪も、ネックレスも、どれをとっても息を呑むほど美しかった。
それらは確かに魅力的で、私は心から喜んで受け取った。
だけど、どんなに高価な贈り物よりも、アルベールが私を深く思ってくれているという事実が私はなによりも嬉しかった。
肝心の悩みの種であった、父からの手紙は彼に打ち解けたあの日から届くことは無くなった。
ただ、アルベールがシルバーに私に渡すなと命じただけなのかもしれないが少なくとも私の手元には届くことはなくなった。
そのことについて彼に問いただしたこともあったが、アルベールは静かに微笑むだけで、答えをくれることはなかった。も、彼が意図的に手紙を遮断していたとしても、それは私を守るためのものだったのだろう。彼は、私が家族からの言葉に再び傷つくことを恐れていたのかもしれない。
しかし一度だけ、社交界で顔を合わせた兄が私に突っかかってきた。
『お前は俺たち家族が困っている時に、助けの一つも出せないのか!』
アルベールが席を外している時を狙って話しかけてきた兄さんに、私は淡々と言った。
『兄さんが言ったのではありませんか。私のことをアルティアス家の一族であると認めたことは一度たりとも無いと』
兄の顔が怒りと焦燥で歪む。口を開きかけるが、私のまっすぐな視線を受け、何も言えなくなったようだった。今まで私を道具のように扱ってきた兄が、こんな時だけ『家族』を盾に何かを要求してくることが、実に滑稽に思えた。
兄さんは最後に何かを言いかけたが、結局、乱暴に舌打ちをして踵を返した。その背中には、貴族としての誇りを保とうとしながらも、追い詰められた男の哀愁が漂っていた。
婚約者の令嬢から丁度婚約破棄を申し出られたばかりだと聞いたから、きっと気が立っていたのだろう。
焦った兄さんたちは片っ端から事業に手を出した。しかしどれも、ことごとく失敗したという。
アルティアス家の没落は、もはや誰の目にも明らかだった。
資金繰りに窮した彼らは、高利貸しに手を出し、財産はみるみるうちに目減りしていった。使用人は次々と辞め、屋敷は荒れ果て、かつての栄華を知る者たちは皆、口を噤んだ。
そのうえ、アルティアス家は前々から皇帝陛下に目を付けられていたらしい。
アルティアスは今まで多くの悪事を働いてきた。政敵を陥れるための裏工作、違法な取引、隠し財産の運用……。長らくの間目を瞑っていた皇帝陛下も、ついにしびれを切らしたのだろう。それとも、自分に火種が跳んでくる前に、持ち駒を捨てたというわけか。
だから父は私に皇帝の助けとなれるように、皇帝を引き留めるための駒としてアルベールの弱点をよこせと言っていたのだろう。
父にとって、私はただの切り札にすぎなかった。家のために生かされ、家のために利用されるだけの存在。
けれど、今は違う。私はアルベールの妻だ。
この人がくれた穏やかな時間、そして本当の意味での『家族』の温もり。
それを捨ててまで、私はアルフィアス家に尽くすつもりなど微塵もない。
それでも父は私が何も知らず何も考えず、ただ従順に動くと思っていたのだろう。
…本当に、滑稽な話だわ。
私はそっと目を閉じ、心の中で呟いた。
「あなたのおかげで毎日が楽しいです」
私はそっと微笑みながら、向かいに座るアルベールに声をかけた。
暖炉の炎が揺らめき、私たちを穏やかな光で包み込んでいる。彼は膝に乗せた本から目を上げ、驚いたようにこちらを見つめた。
「…ああ。」
アルベールは短く答えたが、その一言には彼の優しさと深い愛情が伝わってくるようだった。
「どうお礼をすればいいのか分かりません。本当に、幸せなんです。」
私の声は、嬉しさと感謝で自然と震えていた。過去の私が知るはずもなかった穏やかで優しい日々。こんなにも安心できる時間が続くとは、思いもしなかった。
アルベールは微かに笑い、そっと手に持っていた本を閉じる。
「それなら、俺に褒美でもくれるか? なんて……」
軽く肩をすくめながら冗談めかして言った彼に、私はすぐに頷いた。
「いいですよ」
そう返事をすると、私は彼の背丈に合うようにそっと立ち上がり、彼の元へ歩み寄った。
アルベールの瞳が一瞬驚いたように見開かれる。
私はゆっくりと彼の肩に手を添え、そっと背伸びをして、その唇に静かに口づけた。
ほんの一瞬。だけど、それは私の心を込めた褒美だった。
彼の身体が一瞬だけ強張り、すぐに緩む。そして、静かに息を吐いた。
言い方からして、きっと彼は冗談のつもりだったのだろう。でも私は、いつだって彼に対して本気なのだ。
褒美がキスだなんて、少し甘すぎるかしら? 甘いものが苦手なあなたはどう思うか分からないけれど、甘党の私には大好物よ。
唇を離すと、彼は何も言わずに私を抱き寄せた。
強すぎず、けれどしっかりと包み込むような抱擁。
私はそっと彼の胸に顔を埋める。彼の心臓の音が聞こえてくる。それは穏やかで、安らぎを感じさせる鼓動だった。
暖炉の火が静かに燃え続ける。窓の外では夜風が梢を揺らしている。
私のことを、この世の何よりも愛してくれる人。
どうしてこんな駄目な私を、こんなにも素敵なあなたが愛してくれたのかは分からない。
家族からの愛を求め続け、ダラダラと感情に流されていた面倒な私を、あなたは突き放すことなく抱きしめ、励まし続けてくれた。
私は、何度もあなたの手を振り払おうとした。愛される資格なんてないと、臆病に言い訳を重ねてきた私を、それでもあなたは受け入れてくれた。
愛する夫から愛される方法なんて、私には分からないと思っていた。……だけど、今なら分かる。
私はゆっくりと手を伸ばし、アルベールの頬にそっと触れる。彼は驚いたように瞬きをしたあと、静かに目を細めた。
「アルベール、ありがとう……」
小さく囁いた声が、夜の静寂に溶けていく。
どこまでも穏やかで、どこまでも温かい家族愛。
私は、愛する夫と共にこれからも生きていく。
短編を引き伸ばしたものだったので、駆け足で完結まできてしまいました。
この物語の主人公、フロンティアちゃんは愛を貰えずに育った子共です。(作中では18→20)いくら勉学に長けていても彼女は子供なので、誰かに助けを求めるということが分からず自分で全てを終わらせようとしてしまったんですね。
何かが欠けている訳アリなフロンティアちゃん。彼女はこれから先、自身の罪と向き合い、夫と共に前を向いて生きていくことでしょう。
世界史先生が薔薇戦争の話をしていて、ふとこの作品を思いつき、授業中に書き上げました•̀.̫•́✧
親にトラウマを抱える女の子のシンデレラストーリーが題材でした( •̀ •́ゞ)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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