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第10話


「お願いします、どうか離して…」


 必死の思いで出した私の声は、ひどく掠れていた。震える唇から零れた言葉は、まるで霧のように儚く、消えてしまいそうだ。


 アルベール、どうして? どうしてそんなに辛そうな顔をするの?


 辛いのは、私の方なのに。

 あなたはただ、私を見捨ててくれればいい。そうすれば、私もあなたも楽になれるのに。

 お願いだから、そんなにも辛そうな顔をしないで。あなたの苦しむ姿を見ることが、私にとって何よりも辛いの。


「頼むから、頼むから辞めてくれ、ティア」


 掠れた声が、懇願するように響く。

 彼の手が、私の震える手をそっと包み込んだ。優しく、けれど決して逃がさないように、温かな掌が指先まで覆い尽くす。

 そして、アルベールはそのまま自分の額へと押し当てた。


 彼の肌の温もりが伝わる。額に滲む汗さえ感じられるほど、彼は必死だった。


 何度も震える声で私の名を呼び、懇願するようにすがりつく。

 あの誇り高いアルベールが、こんなにも弱々しく、哀願するなんて。


 振り払おうと思った。

 この手を引き抜いて、全てを終わらせようと思った。


 けれど――できなかった。

 愛している夫に逆らうことなんて、私にはできなかった。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「どうして突然こんなことをしたんだ。何が不満だったと言うんだ? 俺が何か、君を傷つけるようなことをしてしまったのか」


 アルベールは私の細い腕を支えながら、慎重にソファへと座らせる。そして、ゆっくりと問いかけてきた。


「昔君が言った通り、俺にはどうも鈍い所があるみたいだから君の辛さにどうにも気づけないんだ。だから、君が言葉にしてくれなくては分からない」


 彼の青の瞳が、まっすぐに私を捉えて離さない。

 私はただ、静かに肩を震わせることしかできなかった。


「…私はもう、誰からも利用されたくないんです」


 その言葉は、心の奥底から絞り出すように出てきた。

 長い間、家族、そして自分自身に対してさえ、重荷を背負い続けてきた。その疲れは、身体だけでなく、心をも押し潰していた。


「ですが結局、私には父からの命令以外でどう生きればいいのか分からないんです」


 こんな話をしたところで、今までの私が送ってきた人生をまるで知らない彼に何を言っても無駄なことくらい分かっていた。

 私の汚い部分を見せてしまえば、彼に嫌われることくらい分かっていたから。


「ならば、俺を生きる理由にすればいい」


 しかし、アルベールは私を突き放すことはなく、優しく私の手を取った。

 彼の手は強く、暖かく。私の震える指先をそっと包み込みながら、まるで壊れものを扱うかのように、ゆっくりと引き寄せた。


「もしそれでも生きることに息苦しく感じるのなら。……その時は、一緒に逝こう。」


 私を抱きしめたまま、耳元で優しくそう告げたアルベール。


 逝こうって、まさか一緒に死ぬということ?

 私と、一緒に…?


 頭がついていかない。

 彼の顔を見上げると、アルベールの表情はどこか穏やかで、それでいて痛ましいほどに切実だった。


「馬鹿なんですか? 死ぬだなんて、あなたまで一緒になる必要はないはずです!」


 私は衝動的に彼の胸を押し返した。

 けれど、彼の腕はびくともしない。決して手放さないと言わんばかりの強さで、私を抱きしめていた。


「必要はあるさ」


 静かに、しかし確かな声が降る。


「君がいない世界に、俺が生きる理由なんてあると思うか?」

「アルベール…」

「人間なんて、いつ死ぬのか分からないものだ。それなら、妻のために命を懸けてみるのも悪くないだろ?」


 アルベールの瞳は真剣で、私をじっと見つめている。

 私は、返す言葉が出なかった。今、私はなんて返すのが正解なのか? その答えを、頭で探し続けた。

 彼がどれほど真剣に私を思ってくれているのかが、痛いほど伝わってきて胸が締め付けられる。


「…ランカスター家はどうされるのですか」

「我が妹ならきっと優秀な婿を迎えてくれるさ。それに、妹さえ幸せになれるならランカスターもここで終わりを迎えるのも悪くないだろう」


 即答だった。

 誰よりもランカスター公爵家の未来を考えているアルベールの口から、冗談でもそんな話が出るとは思えなかった。


「それは脅しですか」

「そう捉えてくれても構わない」

「私が死ぬなら、あなたも死ぬと?」

「ああ。君が居ない人生なら、死んだ方がマシさ」


 言い切る彼の言葉に思わず涙が出そうになってしまう。

 どうして? どうして、私なんかのためにそんなことを言ってくれるのよ。


「君を愛しているからだ。愛しているから、君には生きていて欲しい」


 まるで、私の心を読んだかのようにそう呟いたアルベール。


「…なによ、それ」


 ああ、あなたは本当に、いつだって私の心を乱してくる。


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