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2話:シュガードロップ

【更新スケジュール】

→ 週1回更新予定!(毎週日曜日/全6話)

 カラン、と扉のベルが鳴る。

 カウンターで伝票を整理していた私は顔を上げた。


 五十嵐くんとその友達二人がいつものように店に入ってくる。

 彼らが『若葉の杜』に来るのは、もう何度目だろう。

 今までは一度か二度来ただけだったし、彼らが甘いものを特別好んでいるわけでもない。

 それでも定期的に来る理由はきっと――


(カナデ目当て、だよね)


 五十嵐くんの視線がさりげなく店内を探る。

 カナデの姿を見つけると、ほんの一瞬だけ彼は表情を和らげていつもの席へ向かった。


(ほんと分かりやすいな)


 私は軽く息を吐き、手元のペンを回す。

 別に気にしているわけじゃない。

 ……ないはずなのに、心の奥に微かな違和感が残る。


 カナデはちょうど奥の席の片付けをしていて、背を向けている。

 五十嵐くんは少しだけ表情を和らげ、いつもの席へ向かった。


 私は軽く息を吐いて、手元のグラスを棚に戻す。

 別に気にしているつもりはなかった。

 それなのに、なぜか心の奥が微かにチクリとした。

 

 五十嵐くんは私の中学の同級生だった。

 今の高校ではクラスも違うし、特別親しいわけでもない。

 でも数少ない同じ中学出身の顔として、私はなんとなくシンパシーを感じていた。


(……昔ちょっと好きだったっけ)


 そう思うとふいに記憶が蘇る。


 中学の頃、私は生まれつきの目つきの悪さのせいか引っ込み思案だったため、ひとりで本を読んでいることが多かった。

 クラスには馴染めず、気軽に話せるような人もいなかった。


 そんな私に、五十嵐くんは自然に話しかけてくれた。


 「それ鳴宮さんが書いた詩?なんかカッコいいな」


 何気ない言葉だった。

 でも、クラスの誰もが特に関心を示さなかった私の書くものに彼だけがそう言ってくれた。


 あのとき少しだけ胸が温かくなったことを覚えている。

 それが「好き」に繋がるものだったのかは正直よくわからない。

 ただ私にとって五十嵐くんは、ほんの少し特別な存在だった。

 そして今、彼はカナデを見ている。

 あの頃の私が彼に向けていた視線と同じように。


 私はそっとポケットの中のペンを転がした。


(このままじゃ五十嵐くんが報われないな)


「五十嵐くんたち、今日もパンケーキ食べる?」


 カナデの明るい声が響く。

 私は伝票をまとめる素振りをしながら彼女の方を見た。


 五十嵐くんは少し驚いたような表情をしたがすぐに「うん」と頷く。


 カナデが注文を運んだりお客さんと笑顔で話したりするたびに五十嵐くんの視線が揺れる。


(気づいてないっていうか……考えたこともないんだろうな)


 カナデは誰にでも分け隔てなく接するし、特定の誰かを特別扱いすることもない。

 だからこそ五十嵐くんの好意にもまるで気づいていない。


(本当に何も分かってないんだ、この子は)


 カナデが戻ってくると私と一緒にキッチンへ向かう。

 そこでふと彼女が言った。


「五十嵐くんって、甘いもの好きなのかな?」


 私は思わず言葉に詰まった。


(いや、そういうことじゃなくて……)


 けれど、それを指摘するのも妙な気がして、私は口を閉じた。

 「それにしても今夜のムーステ楽しみだなぁ〜!ルミちゃん、初めてのセンターだし絶対リアタイするぞ〜!」

 (だめだこりゃ……)

 私は頭を抱えた。


 ○

 

 その日のバイトが終わり、私はカフェの片付けをしながら考えていた。


(……このままだと、五十嵐くんが気の毒かも)


 別に彼の恋を応援したいわけじゃない。

 けれど、見ていてあまりに報われなさそうなのはなんとなく不憫だった。


 それに、あの頃の私と重なる部分がある気がして少しだけ他人事に思えなかった。


(もし私だったらどうしてほしかった?)

 

 あの時なにも行動をしなくて、なにも起きていなくても特に後悔はしていない。でも五十嵐くんがもしあの時私の気持ちに気付いていたら、また違った未来があったかもしれない。

 時間は砂時計のように落ちて進んで行くだけで後戻りはできないから、私たちはできる限り有意義な「落ちて行き方」をした方がいいのだろう。

 

 私は「この考えが『タイパ』か。ああヤダヤダ」などと独り言を言いながら、カウンターの片隅に置いてあったノートを引き寄せた。

 開かれたページにペン先をそっと置く。


 そして浮かんだ言葉を最初の一行として書き記した。


 「シュガードロップ」

 

 ○

 

 バイトが終わり夕食を済ませた後、私は机に向かった。


 ノートを開くとそこには先ほど書き留めたタイトルがある。


 「シュガードロップ」


 甘くて、だけど少し切ない響き。

 五十嵐くんの気持ちを代弁しつつ『パンケーキ・プロジェクト』として歌詞にするならこのタイトルがぴったりだと思った。


 私はペンを取り、最初のフレーズを書き出す。


 ――ふわっと香るスイートな想い

 気づいてほしいのに まだ届かない――


(……こんな感じ、かな)


 頭の中で五十嵐くんがカナデを見つめていた姿を思い出す。

 彼は何も言わなかったけど、あの視線には確かに想いが込められていた。


(「君の笑顔がまた心に刺さる」……)


 手が自然と動き、言葉がノートに並んでいく。

 思ったよりスムーズに書ける。

 むしろスラスラと出てくるのが不思議なくらいだった。


 (……あれ?)


 ペンを止めた瞬間、微かな違和感が胸をよぎる。


 書いた歌詞を見返してみると、五十嵐くんの気持ちを綴ったつもりなのにどこか違和感があった。

 まるで、これは――


(私自身の気持ちでもあるみたい)


 そんなはずはない。

 私はただ、五十嵐くんの片思いを形にしただけ。


 ……だけど、本当にそう?


 ――シュガードロップ 溢れ出す

 抑えきれないこの気持ちを

 言えないままの恋心

 どうか届いて お願い――


 ノートの文字が自分に問いかけているように見えた。


(これ、私の……?)


 胸の奥がざわつく。


 カナデが無邪気に笑っていた姿。

 五十嵐くんの視線にまるで気づかない彼女の表情。

 その光景がやけに鮮明に脳裏に浮かぶ。


(いや、いやいや。そんなわけない)


 私は軽く頭を振って、ノートを閉じた。

 何を考えてるんだろう。


(これは、五十嵐くんの歌詞)


 そう言い聞かせながら私は机のライトを消した。


 ○


 「えっ!!?もう書いたの!?ほんとの天才…!?」


 次の日のバイト前、私はカナデにノートを差し出した。

 カナデは驚きながらページを開き、目を輝かせる。


「わぁ……いいねいいね!なんていうか、『恋してる』って感じ!」

「まあそういうテーマだし」

「へぇ〜?」


 カナデは楽しそうに読みながらふと顔を上げた。


「ミズキちゃんって、誰かに恋したことある?」


 唐突な質問に私は一瞬息が止まった。


(……恋?)


 昨夜書いた歌詞が頭をよぎる。

 まるで自分の気持ちを書いたみたいで戸惑ったこと。

 でもそんなはずないと思い込もうとしたこと。


「……どうだろうね」


 曖昧に答えると、カナデは「ふーん?」と首を傾げる。


 それ以上は追及しないのがカナデのいいところでもあり、ちょっとズルいところでもある。

 

「でもさこれ、ただの恋の歌じゃないよね」

「……え?」

「なんていうか、すごくリアルというか……」


 カナデはノートの歌詞を指でなぞりながら言う。


「本当に片思いしてる人が書いたみたい」

「……そ、そう?」

「うん!だって、この部分とか……」


 カナデはページの一行を指差す。


 『気づかないで、でも少しは気づいてほしい』


「恋をするってきっとこんな気持ちになるんだね!やっぱりミズキちゃんって天才だね!!」

「…………」


 私は息を止めた。

 そう、私は天才なだけ。

 ただ五十嵐くんの気持ちを想像して書いただけ。

 私はただ、それを言葉にしただけ。


(なのに……なんでこんなにドキドキするんだろう)


「ミズキちゃん?」

「あ、うん。まあそうかもね」


 取り繕うように返すとカナデは「だよね!」と笑った。


「よーし!早速お母さんに曲を作ってもらってたくさん準備するぞー!」


 カナデはノートを抱きしめるようにして、満面の笑顔を向ける。


「ライブ、楽しみだね!」

「……うん」


 私が曖昧に返事をすると、カナデは気にすることもなく楽しげにノートをめくっている。


(カナデは迷いがないんだな)


 歌うことも、ライブをすることも、まるで当たり前みたいに受け入れて前を向いている。

 それがカナデらしいと言えばそうなんだけど……


(私は……どうなんだろう)


 作詞をして、カナデがそれを歌って。

 前回のライブでお客さんが私たちの曲を口ずさんでくれたことは確かに嬉しかった。


 だけど――


(この歌詞を書いたときのあの違和感はなんだったんだろう)


 私はふと視線を落とし、カナデの手の中にあるノートを見た。

 自分が書いた言葉なのにどこか他人のもののように感じる。


「ミズキちゃん?」

「え?」

「じゃあ次のバイトの後に少し練習付き合ってくれないかな!振り付け考えてくる!」

「……うん」


 カナデの無邪気な笑顔を見ながら、私は心のどこかに引っかかるものを抱えたまま、小さく頷いた。


 ○


 ライブを明日に控えた放課後、私はカナデに呼び出されて彼女の家に来ていた。

 彼女の性格からしてもっと大雑把な部屋なのかと思ったが、全くそんなことはなかった。ヒノキの家具を中心にまとめられており、教科書や参考書がきちんと本棚に決まり良く収まっている。本棚は参考書が中心だが、音楽に関するような本(『楽典?』)やボイトレの本、ストレッチなどの本も置かれていた。もっとピンクとか黄色とかうるさい部屋だと想像していたが、本棚の教科書たちの色が目立つほどおとなしい部屋である。

 そんな部屋を見渡しながら「意外だな」と考えていると、ルイボスティをもったカナデが部屋に入ってきた。

 

「ミズキちゃん、お母さんがデモテープ作ってくれたんだ!」


 そう言ってカナデは机の上に小さなCDケースを置いた。

 手書きで「シュガードロップ(仮)」と書かれている。

 私は慎重にCDを手に取る。

 この中に、カナデ母が作曲した「シュガードロップ」のメロディが入っているのだ。


「聴いてみる?」

「うん、聴かせて」


 カナデが彼女のノートパソコンに取り込み、再生ボタンを押すと静かに前奏が流れ始めた。


 ――甘く、優しく、だけどどこか切ないメロディ。


 ノートに書いた歌詞が、音になって広がっていくような感覚がした。


(すごい……)


 私は息を飲んだ。

 ただの言葉だったものが音楽になり、形を持ち始めている。


「お母さん、すごいよね!歌詞にぴったりの曲になってる!歌ってて楽しいし!」


 カナデは嬉しそうに言う。


「確かに……すごい」


 私はぼんやりと音の出る方向を見つめながら小さく呟いた。


 「ねえ、ここのリズムちょっと難しくない?」


 カナデがデモを聴きながらノートの一部を指さす。


 ――視線が合うたび 胸がギュッと痛くなる

 

 「あー……確かに」


 曲の流れと歌詞のリズムが微妙にズレている気がする。音楽には詳しくないけど、その部分は聴いていてなんとなくモヤっとした。

 そのままでも歌えるけれど、言葉の響きが少し引っかかる。


 「ちょっと変えてみるね」


 私はペンを手に取り、歌詞の一部を書き直した。


 ――視線がふいに重なるたび 胸がギュッと痛くなるの


 「これなら、スムーズに歌えそう」

 「おー! いいね!」


 カナデは軽く口ずさみながら、リズムを確認する。

 その姿を見ていると、本当に歌うことが好きなんだな、と改めて思う。


「じゃあ、これで決定ね!」


 カナデは大きく頷き、ノートを閉じた。


「お母さんにこの修正を伝えて、明日までに調整してもらうね!」


 私は、そんな彼女の横顔を見つめる。

 自分の歌を作ることに、何の迷いもない。

 当たり前のように、前へ進んでいく。


(私とは違うな)


 そんなことを思いながら、私は少しだけポケットの中のペンを強く握った。


 ○


 

 次の日、カフェの扉を開けるとすでにたくさんの人が集まっていた。

 前回のライブを観に来たお客さんもいれば、新しい顔ぶれも混ざっている。私が考えていたよりもパンケーキ・プロジェクトの話は広がっているようだった。


「今日も楽しみです!」

「前回すごくよかったから、また来ちゃったよぉ」


 そんな声が飛び交う。

 カナデはステージ代わりに用意されたカフェの一角で準備を進めながら、お客さん一人ひとりに明るく声をかけていた。


「ありがとうございます!今日も楽しんでいってくださいね!」


 あの笑顔。

 アイドルみたいな、キラキラとした笑顔。


 私は店の片隅からその様子を眺めていた。

 

「緊張する?」


 カナデの方へ歩み寄り、控えめに尋ねるとカナデはケラッと笑った。


「全然!むしろ楽しみ!」


(やっぱり……)


 私は苦笑する。

 緊張よりも楽しさが勝っている。


「ミズキちゃんは?」


「私は、まあ……」


(なんだろう、この気持ち)


 ただの作詞担当なのになんとなく落ち着かない。

 それはライブの成功を願う気持ちなのか、それとも……。


「それじゃあ、行ってくるね!」


 カナデがマイクを握り、ステージへ向かう。

 

「本日はご来店ありがとうございます! これからパンケーキライブを始めます!ぜひ楽しんで行って、パンケーキやお茶も召し上がって行って下さいねー!!」


 彼女の明るい声が響くと、拍手が巻き起こる。


 カナデがステージに立つと、空気が変わる。

 さっきまでのカフェのざわめきがゆっくりと静まり、誰もが彼女に注目する。

 私は店の隅からその光景を眺めていた。

 前回のライブよりも、明らかに「ライブらしく」なっている。

 観客はただのカフェの客ではなく、音楽を聴きに来た「観客」としてそこにいた。


「まずは、みんなと一緒に楽しめる曲からいきます!」


 そう言ってカナデが歌い始めると、店内の空気が一気に華やいだ。

 最初に披露したのは、アップテンポなカバー曲。

 カナデの明るい声とリズミカルなメロディに合わせて、客席の何人かが手拍子をし始めた。


「カナデちゃん、めっちゃいい!」

「前よりパワーアップしてるね!」


 そんな声がちらほら聞こえる。

 (前より……確かに)

 カナデは前回よりも自信を持ってステージに立っている。

 笑顔が弾けていて、楽しそうに歌いながら、観客との距離を縮めている。


 そして3曲ほど歌い終えたところで、カナデはマイクを持ち直しふっと息を整えた。


「次は、新曲です!作詞はバイト仲間のミズキちゃんです!」


 その言葉に客席がざわめく。

 名前を呼ばれ、息が止まりかけた。

 カナデは私を探すように視線を向け、にっこりと笑った。


「とっても素敵な歌詞なのでぜひ聴いてください!」


 その言葉とともに、スピーカーから静かに前奏が流れ始めた。

 カナデのお母さんが作ったメロディ――どこか切なさを含んだ音。


(……始まる)


 私は小さく息を飲み込む。


 カナデはマイクに一歩近づき、深く息を吸い込む。

 そして――


 「ふわっと香るスイートな想い

 気づいて欲しいのに、まだ届かない」


 歌声が空間に溶けていく。

 カナデの歌声は明るくて柔らかくて、でもどこか切なかった。

 この曲の持つ甘さと、どうしようもない片思いのもどかしさを、彼女の声がすくい上げていた。


「シュガードロップ 落ちていく

 ゆらゆら揺れる想いの粒」


 観客たちは静かに聴き入っている。

 さっきまで手拍子をしていた人たちも、今はじっと耳を傾けていた。

 私は歌詞を書いた本人なのに、カナデの歌声に引き込まれていた。まるで目の前で「物語」が生まれているような気がした。


(五十嵐くん……)


 窓側の席を見ると、五十嵐くんが真剣な表情でカナデを見つめていた。

 その目は明らかに「特別な何か」を見ている目で私はまた胸の奥がぎゅっとなった。


 『シュガードロップ』を歌い終えたこのカフェはさっきとはまた違う空気に変わっていた。みんな嬉々として口々に感想を言い合い、どこか浮き足立っているようなふわふわした空間になっていた。


 (上手く……いったのかな)


 私は歌ってる訳でも準備をたくさんした訳でも無いくせに「上手くいかなかったら」と無自覚に心配していたことにこの時気が付いた。

 

「次が最後の曲です!みんな一緒に楽しんでください!」


 そんな事を思っていると、カナデが明るい声で告げ、軽快なイントロが流れ始めた。『キラリ☆パンケーキタイムだ』


 前回のライブで歌った、パンケーキ・プロジェクトの始まりの曲。

 盛り上がるリズムに合わせて観客が自然と手拍子を始める。最前の席にいるおじさんたちが何語かわからない掛け声を小気味よく叫んでいる。


「焼けたよ!パンケーキ☆」

「ふわふわモチモチ魔法のスイーツ!」


 カナデの声が響く。

 さっきの「シュガードロップ」とはまったく違う雰囲気――楽しくて、明るくて、まるで本当にパンケーキをみんなで食べてるみたいな不思議な空気。


「みんなで作ろう!夢のティータイム♪」


 最後のフレーズが終わると観客から大きな拍手が巻き起こった。


「最高だった!」

「やっぱりこの曲楽しい!」


 カナデは大きく手を振りながら、笑顔で応える。


「ありがとう!また来月、次のライブで会おうね!」


 そうして、2回目のライブは前回よりもずっと盛り上がったまま幕を閉じた。


 ○


 ライブ後の手伝いながら、私はふと客席を見渡した。


(……あれ?)


 ライブの間、カナデの友達グループの中にいたはずの女の子が一人、いつの間にか消えていた。


「あの子いつ帰ったの?ほら、髪巻いてるあの子」


 何気なく聞くと、カナデは「え?」と少し考え込んでから答える。


「あ!(みお)ちゃんね!そういえば途中で見なくなったかも。最後の方は顔見えなかったし……」

「そっか」


 私はなんとなく視線を落とす。


(途中で帰った……?)


 カフェの中は、ライブの余韻でまだざわついている。

 みんなが楽しそうに話しているこの雰囲気の中で、澪だけが途中で姿を消した。


 理由は分からない。


 だけど——


(なんか嫌な感じがする)


 ライブは成功したはずなのに、胸の奥に小さな違和感が残った。


 ○

 

 「いや〜それにしても楽しかったな!」


 片付けをしながらカナデが大きく伸びをする。

 まだライブの熱が冷めていないのか、声も弾んでいた。


「ミズキちゃんどうだった?いい感じだったでしょ!」

「……うん、すごかったと思う」


 嘘じゃない。

 ライブは成功したし、観客の反応もよかった。


 でも――


(私、なんでこんなに落ち着かないんだろう)


 さっきの「シュガードロップ」を思い返す。

 カナデの歌声、観客の静まり返るほどの集中、そして五十嵐くんの真剣な表情。


 ひとつひとつが、私の中で引っかかっていた。


 ふと前を見るとカナデが目を丸くしてこちらを見ていた。


「なに」

「ミズキちゃんが褒めてくれて嬉しかったの!」カナデは偽りのない笑顔でそう言った。


「佐倉さん」


 声がして振り向くと、そこには五十嵐くんがいた。

 彼はカナデの方を見つめながら、少しだけ照れくさそうに口を開いた。


「今日のライブ、すごくよかった」

「ほんと!?ありがとう!」


 カナデは嬉しそうに笑う。


(五十嵐くん……)


 私は少しずつ二人から距離を空け、彼の表情をこっそりうかがう。

 彼の目はいつもより少しだけ真剣に見えた。


「『シュガードロップ』、すごくよかったよ。なんか……なんていうか……すごく」

「えへへ〜!でしょ〜!でもそれはミズキちゃんの歌詞がいいからだよ!」


 カナデはすぐにこちらに来て私の肩をぽんぽんと叩く。


「えっ、あ……」


 私は言葉に詰まる。


(今、それをこっちに振る……?)


 五十嵐くんの視線が今度は私に向いた。


「……作詞、鳴宮さんがやったんだよね」

「う、うん」

「なんかさ、実際に片思いしてる人が書いたみたいで。なんか……やばかった」


 その言葉に私は息を呑んだ。


 (実際に片思いしてる人が書いたみたい)


 カナデも言ってた言葉だ。


 私は、ただ五十嵐くんの気持ちを想像して書いただけのはずなのに――


(……なんでこんなにドキドキしてるの?)


 違う違う。


 でも心臓の鼓動が早くなるのを止められなかった。


「ミズキちゃん?」カナデが心配そうで顔を覗き込む。

「え、あ、うん。そんなことないよ。ただ、想像で書いただけ」

「そっか」五十嵐くんは私の言葉に深く突っ込むこともなく、「いい歌詞だった」ともう一度だけ言って去っていった。


 その背中を見送りながら、私はカウンターに手をついた。


(……なんか、疲れた)


 ライブが終わったばかりなのに、頭がいっぱいだった。とにかく残念なことがあるとするならば、五十嵐くんの気持ちはカナデには伝えられなかったことだ。


 ○

 

 店の片付けが終わると、私はエプロンを外してカフェの裏口から外に出た。

 

 夜の風が頬を撫でる。

 熱気に包まれていた店内とは違い、ひんやりとした空気が肌に心地よかった。


(……疲れた)


 ライブが終わったばかりなのに、身体よりも頭のほうが疲れている気がする。


 ポケットの中のスマホを取り出すと画面には何の通知もなかった。

 別に誰かから連絡が来るのを期待していたわけじゃないのに、なぜか気が抜ける。


 五十嵐くんの「実際に片思いしてるみたいだった」という言葉が頭をよぎる。


(ただの想像で書いただけなのに)


 そう思うのに、なぜか胸の奥がざわつく。

 ライブが成功したのに、すっきりしないのはなぜ?

 歌詞を書いて、それをカナデが歌って、観客が反応してくれて。

 本来ならそれだけで満足できるはずなのに。


(私、なんで……こんなに落ち着かないんだろうな)


 ポケットの中のペンを指で転がしながら、ゆっくりと深呼吸する。


(あの歌詞を書いたとき、五十嵐くんの気持ちを想像していたはずなのに)

 

(でも――本当にそれだけだった?)


 自分に問いかけるように、夜空を見上げる。

 澄んだ空気の向こうに、無数の星が瞬いていた。

 その中でひときわ明るく輝く月を見つめながら、私はポケットの中のペンを指でなぞる。


 ライブは成功したはずなのに、私はまだ何かを考え続けていた。


(私、何を悩んでるんだろう)


 心の奥のざわつきを、どう言葉にすればいいのか分からない。

 五十嵐くんの言葉、お客さんの感想、カナデの無邪気な笑顔——全部が頭の中をぐるぐると巡る。


 ふと、星々の光をぼんやりと眺めながら、私は何気なく呟いた。


 「カナデが好き」


 その言葉が夜の静寂に溶けていく。


 ——言った瞬間、自分でも驚いた。


(……え?)


 ポケットの中のペンをぎゅっと握る。


 思わず口にしたその言葉が、思いのほかしっくりきてしまった。

 

 私は、カナデが好き。


 そう言葉にすると、不思議と胸のざわめきが落ち着いていく気がした。


(ああ、これだったんだ)


 恋とか憧れとか、そういう区別はまだつかない。

 でも、少なくとも私はカナデを特別に思っている。


(だからこんなにカナデのことばかり考えてたんだ)


 理由を探していた気持ちがひとつの言葉に収まったことで、ほんの少しだけ楽になった。


 私は空を見上げたまま、小さく息を吐いた。


 ポケットのペンをもう一度指で転がす。


 カナデが好き。


 それが答えなら――また歌詞が書けるかもしれない。


 でも今までのように簡単に言葉が出てくる気はしなかった。


 今日のライブで自分の書いた歌詞がどれだけ人の心に届くのかを知った。

 そして、それが自分自身にも向けられるものだったことに気づいてしまった。


(私は……本当に、これを書いてもいいんだろうか)


 いや、また書こう。


 そう思うのに、今度は簡単にペンを走らせることができない気がした。


 でも――


(だからこそ、書かなきゃいけないのかもしれない)


 胸の奥にあるこの気持ちを、もっと自分自身の言葉にできるように。


 私が求められてるのなら――


 私はポケットのペンをぎゅっと握った。


 ――きっと、今までで一番の歌詞が書ける。


 夜空の星が、まるで私を導くように静かに瞬いていた。

 

  ++++++++++

『シュガードロップ』

作詞:鳴宮ミズキ

作曲・編曲:MIDORI


ふわっと香るスイートな想い

気づいてほしいのに、まだ届かない

 

放課後のカフェで隣の席

君の笑顔がまた心に刺さる

スプーンでそっと混ぜたミルク

甘さよりも苦さが残る

 

視線がふいに重なるたび

胸がギュッと痛くなるの

どうしていつも君は

そんなに無邪気なの?


シュガードロップ 落ちていく

ゆらゆら揺れる想いの粒

甘くて切ないこの気持ち

飲み干せないよ どうして?


窓際の席から見える景色

君がいるだけで色が変わる

さりげない声が優しすぎて

涙になりそうで下を向いた


届かない想いの欠片を

そっと隠したこのポケット

気づかないで、でも

少しは気づいてほしい


シュガードロップ 溶けていく

じんわり広がる恋の味

ほんのり残った甘さだけ

忘れられない もう一度


シュガードロップ 溢れ出す

抑えきれないこの気持ちを

言えないままの恋心

どうか届いて お願い


ふわっと香るスイートな想い

気づいてほしいのに、まだ届かない


  ++++++++++


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