1話:キラリ☆パンケーキタイム
舞台はバブル時代の面影を残す 純喫茶「若葉の杜」。
詩を書くことから遠ざかっていたミズキと、音楽を愛するカナデ。
「パンケーキと音楽の力でお店を盛り上げよう!」
そんなカナデの提案から、二人の小さな挑戦が始まります。
静かなカフェに響く歌と詩が、やがて聴く人の心を動かしていく——。
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カラン——。
扉のベルが鳴る。
私はカウンターの隅で文庫本をめくりながら、何となくその音に耳を傾けた。
「いらっしゃいませ」
母がカウンター越しに柔らかく微笑む。
入ってきたのは、奥の席の常連——老夫婦だった。
「今日は少し涼しくなりましたね」
「そうですね。朝は冷たい風が吹いてましたし、すっかり秋ですね」
母がそう言って微笑み、その後ろで父が静かにコーヒー豆を挽き始める。
——それ以外の音はない。
かつてこの時間帯は、仕事帰りの会社員や買い物帰りの主婦たちで賑わっていたはずだ。
けれど今店にいるのはこの老夫婦とカウンターの奥で伝票を整理している母、それからエスプレッソマシンを掃除している父、そして私だけだった。
(……お客さん、少ないな)
そんなことを思っていると——。
「……やっぱり、もう閉店しかないのかな」
母の呟きが、店内の空気をわずかに揺らした。
私は、思わずページをめくる手を止める。
母の言葉に、奥の席に座る老夫婦がさりげなく視線を向けた。
週に2回は通ってくれる、長年の常連さんだ。
「まだそう決めたわけじゃないだろ?」
父が静かに言う。
「でも、こうしてお客さんが少なくなっていくのを見てると……ね」
「時代の流れだから仕方ない、って?」
「……ええ」
母は手を止め、カウンターの上に伝票を置いた。
時代の流れ。
確かに、この街も変わった。
この店はおばあちゃんが始めた純喫茶『若葉の杜』。昔は行列ができることもあったらしいが、今はカフェチェーンがあちこちにできておしゃれなスイーツ店も増えた。おまけに近年の急激な物価高が追い打ちとなっていて、近頃母が伝票を見ながら難しい顔をする日が増えていた。
「私もそろそろ引き際を考える時期なのかもね」
母の言葉に父はふっと小さく笑う。
「——だったら、もう少し楽しく終わりにしたら?」
母が「楽しく?」と眉をひそめると、父はカップを拭きながら言った。
「最後だ最後だって暗くなってたら、お客さんだって居心地が悪くならない?」
「……まあ、それはそうだけど」
「それに、まだ本当に終わりが決まったわけじゃない」
「でも——」
「ほら、お客さんも聞いてるぞ」
父が目線を向けると、老夫婦は申し訳なさそうに微笑んだ。
「いえいえ、私たちはこのお店が続くことを願っているだけですよ」
「そうですよ。ここで飲むコーヒーが一番おいしいんだから」
「いつもありがとうございます」
父はそう言って、穏やかに微笑んだ。
——その優しい声を聞いて、私は少しだけ安心する。
母はまだ不安そうだけど、父がいる限り店は簡単には終わらない気がした。
でも、このままじゃいけないとも思う。
何か変えなきゃいけないのかもしれない。
(……だけど、私にできることなんて——)
そう思いかけた瞬間——。
カラン。
二度目の扉のベルが鳴った。
「すみませーん!今日からバイトする佐倉カナデです!」
明るい声が、静かな店内に響き渡る。
私は顔を上げた。
入口に立っていたのは、セミロングの髪を揺らしながら手を振る女の子だった。
制服の袖を少し捲って元気よく店内を見回している。
その様子に母が少し驚いたように瞬きをした。
「あら……いらっしゃい。カナデさんね?」
「はい! 今日からお世話になります!」
カナデはにこっと笑い、パタパタと小走りでカウンターへと駆け寄る。
すると目を輝かせて周囲を見回し、感動したように言った。
「わ〜!レトロで可愛いお店ですね!」
店内のレンガ調の壁や、深い緑色の椅子をじっくり眺めながらカナデは「素敵!」を連発している。
純喫茶らしい落ち着いた空間に「可愛い」という言葉を使うあたり、この子は本当に気に入っているのかもしれない。
私は本に視線を戻し、ページをめくる。
——賑やかすぎる。
母が柔らかく微笑んでエプロンを手渡した。
「じゃあ、早速だけど、制服に着替えてもらえる?」
「はいっ!」
カナデがスタッフルームに消えたのを見届けると、母が小さく息をついた。
「すごく元気な子よね」
私は本に目をやりながら、淡々と言う。
「……うるさいくらい」
母が苦笑する。
「でも、明るいのはいいことよ」
言われて、私は少しだけ目を伏せた。
『いいこと』か。
見た目に恵まれたあの子は小さい頃からこうやって大人や周りからちやほやされてきたに違いない。失敗の経験なんてないからああやって自分は明るいままでいられるんだ。
私にはあんなバカみたいに振る舞うことはできない。
そんなことを考えていると——。
「おまたせしましたー!」
再びカナデの声が響いた。
純喫茶のロゴが入った白いエプロンを身につけた彼女は、満面の笑顔だった。
「うん! 似合ってるよ」
父が穏やかに微笑む。
「ありがとうございます! わたしバイト初めてなんですけど、がんばります!」
「じゃあまずはメニューを覚えようか。ミズキ、お前も手伝ってやれ」
「え」
不意に話を振られ、私は顔を上げる。
カナデは「やったー! よろしくね!ミズキちゃん!」と無邪気に笑う。
(……なぜ、私が)
私は本を閉じた。
カナデがメニュー表を覗き込みながら「わ〜!」と感嘆の声を上げる。
「クリームたっぷりのパンケーキ! ふわふわスフレパンケーキ! ん〜、どれもおいしそう!」
「食べるんじゃなくて覚えるんだぞ」
父が苦笑しながらツッコミを入れる。
「えへへ、もちろんです!」
カナデは笑いながらメニューをめくるが、次の瞬間、何かを思いついたように顔を上げた。
「ねえねえ、ミズキちゃん!」
「……何」
「このお店の一番人気のパンケーキってどれ?」
「一番人気?」
「うん! お客さんが一番よく頼むやつ!」
そんなこと、考えたこともなかった。
メニューにあるパンケーキはどれも評判が良いし、客層によって好みも違う。
だけど——。
「……強いて言うなら、クラシックパンケーキかな」
「クラシック?」
「バターとメープルだけのシンプルなやつ。常連さんもよく頼むし、パンケーキ目当てで来るお客さんもこれを選ぶことが多い」
カナデは「なるほど〜!」とうなずいた。
それから、少し考え込むように視線を泳がせ——。
「ねえ、お店をもっと盛り上げる方法ってないかな?」
その言葉に私は眉をひそめる。
「……いきなり何?」
「だってこのお店すごく素敵なのにもったいないな〜って思って。もっとたくさんの人に知ってほしいよ!」
カナデはキラキラした目で言う。
「それはまあ……」
確かに店を盛り上げる方法があればいいとは思う。
でもそれを考えるのは私じゃないし、そもそもそんな簡単に解決できることじゃない。
「お店のこと考えてくれるのは嬉しいけど、そんな簡単に人が増えるなら苦労しないよ」
私がそう言うと、カナデはうーんと腕を組み何やら真剣に考え込み始めた。
「でも何かできることがあるはずなんだよね……」
その表情はただの思いつきじゃないように見えた。
私よりもずっと本気で考えているみたいで——。
「そうだ!」
カナデが突然手を叩く。
「パンケーキライブ、やろうよ!」
「……は?」
唐突な言葉に私は思わず聞き返した。
カナデは私の反応など気にする様子もなく、キラキラした目で続ける。
「だってここのパンケーキってすごくおいしいじゃん?」
「……まあね」
「それにお店の雰囲気も素敵だし、もっとたくさんの人に知ってほしいじゃん?」
「……だから?」
「パンケーキと一緒にライブをやれば、お客さんも増えるかも!」
カナデは自信満々に言った。
「パンケーキと……ライブ?」
「そう! ほら、パンケーキを焼きながら楽しい音楽が流れてたら絶対ワクワクすると思うんだ!」
(何言ってるんだ、この子……?)
私は無意識に眉をひそめた。
パンケーキを焼く店でライブ? そんなのうまくいくわけがない。
「そもそも誰が歌うの?」
「私!」
カナデは当然のように胸を張る。
「……自分で言うんだ」
「だって歌うの好きだし!」
「好きだからってライブを開けるわけじゃないでしょ」
「でも楽しそうじゃない?」
私は溜息をついた。
その様子を見ていた父がふっと微笑んだ。
「面白い発想だね」
「でしょ! お父さんもそう思いますよね!」
「まぁ、確かにただ待ってるだけじゃお客さんは増えないし、何か新しいことをするのはいいかもしれないな」
「ちょっとお父さんまで?」
私は思わず振り向く。
「お母さんはどう思う?」
父がカウンターの奥にいる母に話を振ると、母は少しだけ困ったように眉を寄せた。
「……ライブって、具体的にどうやるの?」
「それはですね……」
カナデが身振り手振りを交えてライブのイメージを熱弁し始める。
私はそれを聞きながら(ほんとにこの子、勢いだけで生きてるな……)と思っていた。
「……まあ、もしやるにしてもちゃんと準備しないとね。いきなりライブなんて簡単なものじゃないわよ?」
「はい!ちゃんと準備します!」
カナデが元気よく返事をする。
母はまだ半信半疑のようだったが、完全に否定するわけでもなかった。
(まぁどうせ実現しないだろうし……)
私はそう思いながら本に視線を戻そうとした——その時。
「じゃあミズキちゃん、歌詞書いて!」
「……は?」
今日、二回目の「は?」が出た。
「せっかくだから、オリジナル曲がほしいなって!」
「いや、なんで私が?」
「だってミズキちゃん、文章書くの得意そうだし!」
「それとこれとは関係ない」
「でもさ、パンケーキの歌詞って楽しそうじゃない?」
「楽しそうかどうかの問題じゃ……」
「ミズキちゃんの言葉で、私歌いたいな」
「…………」
私は言葉に詰まった。
(……私の言葉で?)
たしかに私は昔、詩を書くのが好きだった。
でもそれはあくまで「詩」としての話であって「歌詞」として書いたことはない。
「……歌詞なんて書いたことないし、無理だよ」
「大丈夫!きっとできるよ!」
「なんでそんなに自信あるの……」
「ミズキちゃんの書く言葉、きっとすごく素敵だから!」
「……読んだことないくせに」
「え?う、うーん?まあ細かいことはいいの!」
(……今、一瞬詰まらなかったか?)
私は少しだけ違和感を覚えたが、それよりもこの流れを断ち切りたい気持ちが勝った。
「……私はやらないよ」
「えー!そんなこと言わずに!」
「断る」
「パンケーキライブのために!」
「パンケーキは関係ない」
「うーん……」
カナデは真剣な顔をして考え込む。
そして——。
「じゃあ、パンケーキおごるから!」
「…………」
父がクスッと笑う。
「カナデちゃん、交渉がうまいね」
「でしょ! ミズキちゃん、どう?」
「…………」
(……この子どこまで本気なんだ?)
なんだか断るのもめんどくさくなってきた。
「……一回だけだからね」
「やったー!」
カナデが両手を上げて喜ぶ。
母は呆れたように微笑み、父は「楽しみにしてるよ」と言った。
私は小さくため息をついた。
(……ほんと、なんでこんなことに)
○
夜、自室の机に向かいながら私はノートを開いていた。
カナデの「ミズキちゃんの言葉で歌いたいな」という言葉がなんとなく頭に残っている。
(……とはいえ、歌詞なんて書いたことないし)
詩を書くことはある程度慣れている。
でも、歌詞となるとリズムやメロディーを考えながら言葉を選ばなきゃいけない。
(そもそも、パンケーキの歌詞って……何?)
私はペンを回しながら考える。
甘い香り、バターが溶ける音、ふわふわの食感——
そういうものを言葉にすればいいのか?
(なんだか、すごく軽いな……)
私は無意識に溜息をついた。
詩を書くときはもっと自分の感情を込められる。
でも、パンケーキの歌詞に感情なんて必要なんだろうか?
(やっぱり向いてない……)
そう思いかけた時、ふとカナデの笑顔が浮かんだ。
「みんなで作ろう! 夢のティータイム♪」
——ライブの時、カナデはきっと楽しそうに歌う。
この曲はカナデのための歌だ。
(……なら、カナデの言葉で書いてみる?)
私はもう一度、ノートを開いた。
○
翌日店に行くとカナデがのんびりとカウンターに座っていた。
「おはよー、ミズキちゃん!」
「……何やってるの?」
「うん、昨日ね、いろいろ考えてみたんだけどやっぱり歌詞を書くって難しいかな〜って思って」
カナデは苦笑いしながらペンをくるくる回している。
「だからとりあえず今日はパンケーキを食べながら考えようかなって」
「……なるほど」
私はため息をつきながらカバンからノートを取り出し、カウンターに置いた。
「じゃあもう考えなくていいよ。書いたから」
「……へ?」
カナデは一瞬、きょとんとする。
その後、ゆっくりとノートを開き——
「えっ、もう書いたの!?」
「うん」
「昨日の夜!?」
「うん」
「えええ!? そんなすぐ書けるの!?」
「書いたことないって言ったけど、詩なら昔から書いてたし」
「いや、すごい……! 本当にすごい……!天才だ……!」
カナデは目を輝かせながらノートを覗き込んだ。
「わ〜! ふわふわモチモチって言葉、いいね! すごくパンケーキっぽい!」
「……パンケーキっぽいって何」
「うんうん! これなら楽しい曲になりそうだよ!」
カナデは嬉しそうにノートを見つめる。
○
夕方、店の前に一台の車が停まり、カナデの母親が店内に入ってきた。
「カナデ、準備は進んでる?」
「うん! ミズキちゃんが歌詞を書いてくれたんだよ!」
カナデがノートを掲げる。
「へぇ……どれどれ?」
母親はノートを受け取り、静かに目を通す。
「……テンポ感がいいわね。楽しさが伝わる」
母親はノートを閉じると、私に微笑んだ。
「ミズキさん、はじめまして。カナデの母です」
「あ、はじめまして……」
「カナデがいつもお世話になってるみたいね」
「……いや、むしろ巻き込まれてるだけですけど」
「ふふ、そうかもね」
母親は柔らかく笑った。
「でも、素敵な歌詞だわ。本気でやるなら、ちゃんと曲にするけど……本当にいいの?」
「はい!」
「テストで赤点は取らないことと、半年の期間限定の約束だからね?ちゃんと守れるならお母さんも応援する」
「わかってるよ!」
「よし、それならいいわ」
母親はノートをもう一度見つめ、軽く頷く。
「じゃあ、作曲してみるわね。カナデの声に合う曲にしたいからまた調整することもあるかもしれないけど……それも含めて、ちゃんと一緒に作るのよ?」
「もちろん!」
「……え?」
隣で聞いていた私は、思わず声を漏らしてしまった。
「えっ、あの、お母さんが作曲するの?」
「え? うん、そうだよ?」
カナデが当然のように言う。
私は思わずカナデ母を見る。
「カナデのお母さんって……作曲できるんですか?」
「ええ、一応ね。音楽高校出てるから知識だけはあるのよね〜。今はデザインの仕事が中心だけど、作曲も好きでたまにやってるのよ」
「……すご」
私はただただ驚いた。
カナデはそんな私の反応を見て、楽しそうに笑う。
「ミズキちゃん、意外と知らないこと多いよね!」
「いや、知るわけないでしょ……」
思わぬ事実に驚きつつも、カナデ母がプロの視点で関わることになったことで、少しだけ「本当に曲になるんだな」と実感が湧いた。
(ちょっとだけ、楽しみかも)
そう思ったのは、きっと気のせいじゃない。
○
ライブ当日。
純喫茶『若葉の杜』の店内は、いつもとは違う空気に包まれていた。
普段は静かで落ち着いた雰囲気の店内に、期待とざわめきが広がっている。
カウンターに座る常連の老夫婦が興味深そうにステージを見つめていた。
奥の席では、カナデのクラスメイトらしき女の子たちがスマホを手にして話している。
そして入口付近には——
「佐倉さん、本当に歌うんだね」
少し驚いたような声が聞こえた。
私はそちらに視線を向ける。
そこにいたのは、五十嵐くん。
(……五十嵐くん?)
彼は同じ学校の男子で、たまに『若葉の杜』にも友達とやって来る。
特別目立つタイプではないが、クラスの中心グループにいて話してみると気さくで普通の男の子だ。
「もちろん! 楽しみにしててね!」
カナデは満面の笑顔で親指を立てている。
「……あ、ああ」
五十嵐くんはちょっと気まずそうに視線をそらす。
(わかりやすい……)
私はそんな様子を横目に見ながら、軽く首をかしげる。
「……五十嵐くん、なんでいるの?」
「え? いや、なんか佐倉さんがライブやるって話、学校で聞いたし……どんなもんかと思って」
「学校で?」
「鳴宮さん、知らなかったの?」
五十嵐くんは少し驚いたように言う。
(……知らなかった……いや待って。それ以前にカナデが同じ学校だったことも知らなかった)
確かに、奥の席にいるカナデのクラスメイトらしき女子たちは「カナデのライブ、すごくない?」と話している。
どうやら、私の学校の中でもそれなりに話題になっていたらしい。
(……カナデの周り、意外と情報回るの早いんだな)
私は少し驚きながら、ステージの準備を整えるカナデを眺めた。
「それじゃあみなさん! お待たせしましたー!」
カナデの明るい声が店内に響く。
「今日は、私がこのお店のパンケーキの魅力をたっぷりお届けします! みんなで一緒に楽しんでくれたら嬉しいです!そしていっぱいパンケーキを食べていって下さいねー!」
拍手が起こる。
カナデは大きく息を吸い込み、目を閉じた。
そして——
「キラリ☆パンケーキタイム、聴いてください!」
あらかじめ準備された伴奏が流れる。
焼けたよ! パンケーキ☆
ふわふわ モチモチ 魔法のスイーツ!
イチゴも チョコも キラキラデコレーション
みんなで作ろう! 夢のティータイム♪
(……えっ)
私は思わず、息を呑んだ。
カナデはただ歌うだけじゃなかった。
可愛い振り付けまでつけて、まるでアイドルみたいに踊っている。
両手をふわっと広げてパンケーキを焼く仕草をしたり、クルッと回ってポーズを決めたり——
曲の歌詞に合わせて可愛いダンスを完璧にこなしていた。
(そこまで考えてたの……!?)
私は驚きつつ、観客の反応をちらりと見る。
——みんな目を見開いてカナデを見ていた。
「みんなー来てくれてありがとー!!」
カナデがニコッと笑って客席に呼びかけると、クラスメイトの女の子たちが「イェーイ!」と手を振った。
「やば、普通にアイドルじゃん……」
「え、何これ、プロのライブ!?」
女子たちがスマホを取り出し、動画を撮り始める。
そして、後ろの席でパンケーキを食べていた小さな子どもが目を輝かせながらカナデの真似をして踊り出した。
(……すごい)
私の書いた歌詞が、カナデの歌声とダンスに乗ってここにいる人たちに届いている。
それはただのカフェライブとは思えないほどの盛り上がりだった。
パンケーキパーティー はじまるよ!
みんなの笑顔が最高のトッピング
焼きたての魔法 心に届け
キラリ キラリ 最高の パンケーキタイム!
「おお……」
ふと、隣で五十嵐くんが小さく呟いた。
友達と一緒に驚いたようにカナデを見ている。
「普通に……上手くね?」
「ていうか……めっちゃ楽しそう……」
「いや、なんか……プロのアイドルみたいじゃね?」
私は彼らの反応を聞きながら、ふっと息をついた。
カナデの歌声とダンスは、自然とみんなを笑顔にする。
パンケーキを食べていた小さな子どもは、リズムに合わせて体を揺らしながらニコニコしている。
クラスメイトたちは「やばい、可愛い!」「バズるやつじゃん!」と盛り上がっている。
五十嵐くんも、最初は興味なさそうだったのに、いつの間にかカナデのパフォーマンスを真剣に見ていた。
(……私の言葉が、本当に人を笑顔にしてる……?)
それに気づいた瞬間、少しだけ胸がざわついた。
ライブが終わった。
カナデがマイクを置くと、店内には大きな拍手が響いた。
その拍手は「最初から盛り上がるために用意されていたもの」ではなかった。
曲が終わり、少しの間静寂があった。
その一瞬の静けさがカナデの歌とダンスが、ただの余興ではなく、確かに何かを残したことを証明している気がした。
(……本当に成功したんだ)
そう思った途端肩の力が抜けた。
カナデは汗を拭きながらステージから駆け降りてくる。
「ミズキちゃん、ありがとー!」
カナデは私の腕をぎゅっと掴み、揺さぶるようにして笑顔を向けてきた。
「すごかったでしょ!? ねえねえ、どうだった!? 私、ちゃんと歌えてた?」
「……うん、まあ」
興奮したカナデとは対照的に、私はまだ実感が湧かないまま曖昧に答えた。
自分の書いた言葉が歌になり、人の前で歌われ、それを聴いた人たちが笑顔になった。
それは間違いなく成功だった。
——でも私は今、どう思っているんだろう?
店内は、ライブ前とは違う空気に包まれていた。
音楽が流れ、拍手が起こり、少しずついつもの会話が戻ってきてもどこか違う。
まるで雨が降ったあと、澄んだ空気の中に水の匂いが残っているような感覚。
舞台の上にはもうカナデはいないのにそこに彼女の存在の余韻が残っている。
観客たちはまだ少し興奮気味に話している。
カナデのクラスメイトたちのグループがスマホを覗き込みながら話しているのが見えた。
「ねえ、これ動画撮った? やばくない? 普通にバズるレベルなんだけど!」
「本当アイドルみたいだったよね!」
「てか、ダンスの振り付けどこで考えたんだろ?」
(……こんなにすごかったんだ)
今までカナデのことを「元気で明るくて、強引な子」だと思っていた。
でも、ライブの間の彼女は「ただの明るい子」ではなく、本当に輝いていた。
五十嵐くんのグループもそんなカナデをまだ見つめていた。
「普通にヤバくね? 俺、佐倉がこんなに歌えると思わなかった」
「わかる、てかあれもう趣味のレベル超えてるだろ」
「本当にアイドルになれるんじゃね?」
「サインもらっとこうぜ!」
五十嵐くんは何も言わず、ただカナデの方を見ていた。
(……これは、完全に落ちたな)
私はそんな彼の横顔を見ながら、心の中で軽くため息をついた。
「ミズキちゃん?」
「え?」
ふと、目の前のカナデが不思議そうに覗き込んできた。
「なんか難しい顔してたけど、どうしたの?」
「……いや、なんでも」
私はすぐに目をそらした。
でも心の中ではまだ、ライブの余韻が消えていなかった。
(……私は、これからどうするんだろう)
カナデは間違いなくこのまま終わらせるつもりはないだろう。
このライブの成功が彼女の中で「新しいスタート」になることは見ているだけでわかる。
(だったら、私は?)
私は「一回だけのつもりで」作詞を引き受けた。
でも今こうして拍手が響いて、笑顔があふれているこの光景を見てしまったら——
(……もう一度、やってみてもいいのかもしれない)
そんな考えが一瞬心のどこかに生まれた。
けれどそれを口にする勇気はまだない。
私はただ、静かにカナデの笑顔を見つめていた。
「ミズキちゃん!」
カナデが私の腕をぐいっと引っ張った。
「何よ」
「お礼にパンケーキ奢る! どれがいい?」
彼女はメニューを広げ、嬉しそうに色とりどりのパンケーキを指差している。
さっきまでライブをしていたとは思えないくらい元気いっぱいだった。
「ほらほら〜!クリームたっぷりのやつもあるし、チョコバナナもおいしそうだし——あっ、やっぱりクラシックがいいかな?」
「いや、いらない」
「ええっ!? なんで!? ライブ成功したお祝いだよ?」
「……甘いのはそんなに得意じゃないし」
「そうなの!!?」
嘘だった。
パンケーキは普通に好きだ。
でも、今はどうしてもそれを「ご褒美」として受け取る気になれなかった。
(だって、まだ終わってない)
私はさっきのライブの余韻を思い返す。
観客の笑顔、拍手、カナデの歌声——
そして「私の書いた言葉が、人を動かしていた」ことへの不思議な感覚。
(これで終わりにはできない)
気づけばそう思っていた。
「……次、どうするの?」
「え?」
「次のライブ」
自分で言った言葉に、私自身が驚いた。
カナデが目を丸くする。
「ミズキちゃん、もしかして……やる気になってる!?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ……次の歌詞、書いてくれる?」
カナデが、真剣な顔で私を見つめる。
「……まあ」
「やったー!!!」
カナデがまた私の腕を掴んで振り回す。
「ねえねえ!どんな曲にする!? 甘酸っぱい恋の歌とか!? それとももっとキラキラした感じ!?」
「……まだ決めてないけど」
「でも書くんだよね!?うわぁ〜楽しみだな〜!!」
まるで子どものように目を輝かせるカナデを見て、私は小さくため息をついた。
(こんなに喜ばれるとさすがにもう「やめる」なんて言えないじゃん)
否定しかけて私は口をつぐんだ。
「私たちの『パンケーキ・プロジェクト』だね!」
カナデが笑う。
本当は自分でもわかっていた。
私はもう「やらない」とは言えなくなっている。
それはきっと、あの何にも変えられないワクワクを知ってしまったから。
○
カナデとのやり取りが終わり、私はカバンを肩にかける。
ライブの熱気が残る店内をゆっくりと歩きながら、ふと手元にあるノートに目を落とした。
このノートに私は久しぶりに言葉を綴った。
ずっと白いページのままだったのに、久々にペンを走らせたらカナデの歌になった。
そしてその言葉は歌になり、人の前で響いて、誰かに届いた。
観客の笑顔、拍手——
ステージの上でカナデが私の書いた言葉を歌いながら踊っていた姿。
その光景を思い出した瞬間、胸の奥がふっと温かくなる。
指先で、ノートの表紙をそっと撫でた。
(……また、書こう)
いつもと変わらないはずのノートが、少しだけ違って見える。
まるで、新しい扉の向こうに続く鍵みたいに。
小さく息を吸い込むと、空気が軽くなった気がした。
そして私はそのまま、重く閉ざされた扉を押し開けた。
++++++++++
『キラリ☆パンケーキタイム』
作詞:鳴宮ミズキ
作曲・編曲:MIDORI
焼けたよ!パンケーキ☆
ふわふわモチモチ魔法のスイーツ
イチゴもチョコも キラキラデコレーション
みんなで作ろう!夢のティータイム♪
朝の光に包まれて
ジュワっと広がる甘い香り
くるっとひっくり返して 成功!
ほら、笑顔がこぼれるね
焼けたよ!パンケーキ☆
ふわふわモチモチ魔法のスイーツ
ミルクもハチミツ トロリとかけて
みんなで笑おう!楽しいティータイム☆
バターが溶けて 幸せの香り
一緒に作るからもっと楽しい!
少しだけアレンジ加えたら
みんなのパンケーキ完成!
パンケーキパーティー はじまるよ!
みんなの笑顔が最高のトッピング
焼きたての魔法 心に届け
キラリキラリ 最高のパンケーキタイム!
焼けたよ!パンケーキ☆
ふわふわモチモチ魔法のスイーツ
ミルクもハチミツ トロリとかけて
みんなで笑おう!楽しいティータイム☆
++++++++++
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
【もし楽しんでいただけたら…!】
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また次回もお楽しみに!!