5話 精霊との出会い
太陽が空の真上に昇る頃。病み上がりのお母様はお休みになられ、私はイグルド兄様に誘われてピクニックへ向かった。
2人とも私を気遣ってくれて嬉しい反面、とても恥ずかしい。
私達がいる場所は、屋敷の敷地内にある木々に囲われた小さな泉。敷地と言っても、屋敷から歩いて10分の距離がある。でも、魔物が全く出ない安全な場所だ。
念の為、乳母のルーザとリュカオンともう1人の護衛兵が一緒に来ている。
「ここの泉は、いつもと変わらないな」
お父様似の顔立ちをしたイグルド兄様は、私と一緒に泉を覗き込む。
「そうだね。ここも山から来る水が湧いている筈なのに」
泉は直径2メートルある。深さは20センチほどしかなく、山から流れる川の氾濫を考えれば、こちらも何か影響が出ていそうだ。しかし、周囲一帯の草は水が溢れた事で押し倒された様子も、葉に腐り等の痛みも見受けられない。
何時もと変わらない、そんな風景が広がっている。
「そういえば父様が、この泉は不思議な力があるって言ってたな。そのせいかも」
「不思議な力?」
思わぬ言葉に、私は問いかける。
「大昔に、傷ついた精霊が此処に住んでいた事があるんだって。その時に、お礼に力を残していったんだ」
「へぇ……どんな力だろう」
「なんだろうな。そこまではお父様も知らないってさ。ここの水を飲んだことあるけれど、何もなかった」
「えっ。お腹痛くならなかったの?」
何気なく言うイグルド兄様に、私は目を丸くする。
どんなに綺麗に見えても、自然界の水は病原菌や寄生虫が潜んでいる可能性がある。ろ過しなければ危険だ。
特に兄様の場合、魔物の討伐隊に入りたいならサバイバル能力が必要になって来る。その基礎を家庭教師に教わっている筈。筈なのに。
「全然痛くならなかった。力って、この事かもしれない」
「う、うん。綺麗な水が飲めるのは嬉しいけれど……」
少々複雑な心境だが、兄様が無事で何よりだ。
溢れ出す事は無く、常に一定量湧き続け、飲めるほどに綺麗な泉の水。精霊は実直なレンリオス家らしい力を残していったが、何だかパッとしないな。
「腹減ったなー。ルーザのとこ行ってる」
「あ、うん」
返事をする前に兄様は走って行ってしまった。
一人取り残された私は、地面に膝を着き、泉を覗き込む。湖の底の細かな砂利がゆらゆらと動いている。水が湧きだしているのが良く見える。
その様子を暫く見たあと、手を泉につけ、水を掬い上げる。
イグルド兄様の話を聞き、興味が沸いてしまった。
掬い上げた水は無色透明であり、ほんのりと冷たい。
水を口に含む。特に危険な痺れや酸味は感じない。
このまま一か八か飲んでみようか。もしかすれば、選ばれた人しか力を得られない水なのかもしれない。
どんどんと好奇心が湧いて来た私は、そのまま水を飲み込んだ。
喉を伝い、胃へと流れ落ちて行くのが分かる。
しかし、何も起こらない。
「うーん?」
体から溢れ出す程の魔力や特別な能力は感じない。
やっぱりただの綺麗な水のようだ。手をハンカチ拭こうと思った時、泉から小さな水の塊が現れる。
空中に浮いた水の塊は、スライムの様に見えたが、それにしては臓器が集まった核が見当たらない。
なんだろう?
首を傾げつつ、私は水の塊に触れてみる。
その瞬間、視界が揺れた。
意識が遠のき、体の中から力が抜けて行く。
倒れる。思わず目を瞑ってしまったが、痛みが一切ない。
「……?」
不思議に思いゆっくりと目を開けると、そこには水で構成された人の形をした存在がいた。
「え? あ、あなたが助けてくれたの?」
その存在は頷くと、私を元の姿勢へ誘導してくれた。
水に触れられていたはずが、服は一切濡れていない。とても不思議な現象だ。
「ありがとう……その、あなたは誰?」
恐る恐る問いかける。
『精霊と人は呼ぶ』
口は動いていないが、声は聞こえる。体を震わせ音を響かせる事で、声として発生させているようだ。
「精霊……? 人の世から消えたって本で読んだよ」
ゲーム上を含めて、精霊王を除いた《精霊》に纏わる内容は記述されていない。私が読んだ800年前の伝承を記した作者が、精霊についてまとめた一冊ある程度だ。これまで研究する学者は多くいるが、精霊は発見されていない為、その一冊よりも詳しい事はいまだに解ってはいない。
精霊は、世界を巡る魔力の集合体。魔力は星の息吹と言っても過言ではなく、精霊はそれを円滑に世界に満たす役割を担っている。その為、人と接触することは一切ない。例外であったのが、均衡が崩れた800年前の戦争。そして、終戦後には精霊は再び人々の前から消えた。
『人との交流を辞めただけであって、我々は存在する』
人の形をしていた水の塊は、私の手のひら程に小さくなる。大体、3センチ位だろう。
「それは、そっか。人が認知していないからって、消えたなんて失礼だよね」
私は精霊の話に、納得する。
絶滅したと思われていた動物や植物が、実は山の奥地で生きていた。そんな話に似ている。
人間は思っているよりも視野が狭く、世界は広い。認知できないから、存在しないとは繋がらない。
「交流を辞めたのなら、あなたは何故ここに?」
『ミューゼリアを待っていた』
「どうして?」
名指しされるとは思わず、再度問う。
『紺色の髪と青い瞳を持った娘が生まれたら、約束を果たす。そう言われた』
「約束……? 誰に?」
『分からない。多くの記憶が欠落している』
精霊は少し悩まし気に言う。
『けれど、先ほど君が触れた事で二つ判明した』
「どんなこと?」
『私の記憶は君の中にある。記憶と共に力も取り戻すことが出来る。以上の二つだ』
ゲーム上の設定では、精霊を階級があり最下級は光の玉の様な形状をし、上位になる程に人に近しい姿となる。目の前にいる精霊は、先ほどまで水の塊であったが、私の触れた事で人の形になった。
とても強い精霊なのかもしれない、と期待してしまう。
『今回、世界に関する一部の知識を思い出せた。君には、私の記憶を取り戻す手助けをして欲しい』
「だったら、もっと私が触れれば」
『今はやめなさい。君の生命維持に関わる』
手を差し出しかけた時、精霊は強い声音で止めてきた。
『先程、倒れかけただろう』
「あっ……」
好奇心に駆られていたが、体に力が抜け意識が遠のいた事を思い出し、私は即座に手を引っ込める。
『君もある程度察しているだろう。私が一時的に人型へ成れたと言う事は、それ相応に力を持っている証拠でもある。だが一気に開放しては、弱っている私には扱いきれずに暴走する。それだけでなく、君の魂に大きな傷をつけ、死よりも恐ろしい事になりかねない』
本には、精霊は一説では死神であると書かれていた。魂は魔力に近しいものであり、精霊は生命の尽きた魂を肉体から引き剥がし、世界へと還すとされる。精霊は、生物の魂に触れることが出来るのだ。本には辺境の村の言い伝えとして書かれているが、それが事実ならば、魂が傷ついた時に何が起こるか未知数だ。植物状態になる事も考えられるだろう。
『君の魂に刻み込まれた私の記憶を取り出すには、それ相応に負荷が掛かる。私の中に記憶が定着し、君の心身が安定し尚且つ安全が確保できる時にのみ、触れて欲しい。協力してもらう代わりに、何かあれば可能な限り力を貸そう』
「つまり、契約を結ぶんだね!」
契約を結び、精霊を召喚する。他のゲームで見た事を自分が出来るようになると思わず期待してしまう。
『残念な事に、契約の術式を作り出す力すら、現時点の私には無い』
「そ、そうなんだ。まぁ、長い付き合いになるし、後ほどにしよう」
『そうしてもらえると助かる』
すぐさま期待が外れてしまったが、大きなチャンスをものにしたと思う。
今は弱っているが、いずれは強力な存在となる精霊が協力してくれる。可能性がぐっと広がり、未来に一点の光が射したようだ。
『私の名前はレフィード。精霊だ』
だが、ここで油断してはいけない。そう私は自分自身に言い聞かせる。
精霊が完全に記憶を取り戻すには時間が掛かり、全てを思い出すのはいつになるか分からない。精霊の存在が周囲にバレれてしまえば、何かと目を付けられ、自由に動くことが出来なくなってしまう。
木を隠すならば森の中。今は皆から好奇心旺盛な少女と思わせつつ、大衆と変わらない動きをして、8年後の為に準備が必要だ。
「私の名前はミューゼリア。よろしく。レフィード」
私はにっこりと笑顔でそう言った。