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31 告白

「貴方は覚えておられないでしょう。街の片隅の愚かな男のことなど。けれど、俺にとっては忘れがたい出来事でした。あの言葉で、俺はここまで来ることが出来た」


 牢屋の中でルディは独白した。

 俯いていた男の顔が上がり、その翡翠の瞳が鋭くジュリアを射貫く。


「ジュリア、俺は貴方のその信念、思想、考え方、態度、魂とも呼べるようなその在り方に、心から敬服し、尊敬し、敬愛し、そして……」


ルディの手が、鉄格子の合間を縫って伸ばされる。

それは、惚けているジュリアの頬に柔らかく触れた。

ルディは、微笑む。

それは心底愛しくて堪らないとでも言うような、あまりの熱情に溶け出すような笑みだった。


「心を囚われているのです」


 その声はかすれたささやき声だった。

 けれどしっかりとジュリアの鼓膜に突き刺さる声だ。

 ジュリアは、動けない。

 しかし信じたりはしない。そんなことがあるはずがない。


「私、知っているのよ。貴方、夜な夜な屋敷を抜け出して、何かしているでしょう」


 ルディは目を見張る。


「気づいておられましたか」


 ほらごらんなさい、ジュリアは思う。

 彼の言葉は真っ赤な嘘だ。愛される努力をしてこなかったジュリアに、そんな言葉を吐く人間が現れるわけがないのだ。


「お恥ずかしい。本当は、隠していたかったのですがなかなか理想通りのものが見つからず、何度も抜け出す羽目になってしまいました」

「なぁに、潔いじゃない。自白?」

「ええ、白状します。本当はもっとちゃんとした形で貴方に渡すつもりだった」


 ジュリアは目を見張る。


「私に……?」

「ええ、貴方に」


 そう言って彼は懐から何か小さな物を取り出した。

 薄暗い室内でわずかにそれは輝きを放つ。

 それは、指輪だった。

 シンプルな乳白色の石が付いた、木彫りの指輪だ。

 それを取り出したのと同時に弾みで出てきてしまったのか、大量の小さな何かが転がり落ちて地面に散らばった。

 それらはすべて様々な模様の色々な形をした木彫りの指輪だ。

 手に持つ指輪と異なるのは石が付いているか付いていないかという差だけだった。

 ルディは恥ずかしげに目元を赤らめて目線を伏せる。


「その、不器用で……、たくさん失敗してしまいました」


 しかし、意を決したように勢い込んで顔を上げる。

 翡翠の双眸がきらきらと星をはらんで瞬いた。


「でも! これは成功ですから! 素人にしては綺麗に出来ましたから! その……」


 再びその翡翠が伏せられて見えなくなる。

 物理的に頭が下げられたせいだ。

 彼は跪き顔も伏せてうなだれた状態で、指輪を握った手だけをジュリアに差し出して言った。


「お手を……、どうか、この指輪をはめさせていただきたいのです」


 その、薬指に。


 手を差し伸べたのは、ほとんど無意識だった。

 ルディはその指先が伏せた視線に入ったことに驚いて、弾かれたように顔を上げた。

 花がほころぶように一気に破顔する。

 そのまぶしさに、ジュリアは目を細めた。

 指輪にはめられた宝石などかすむほどに、美しく思えたのだ。

 ぼんやりとそれに見とれるジュリアにも気づかずに、ルディは喜び勇んでその手を取った。

 指輪をはめて、そして途端に落ち込む。

 指輪はぶかぶかだった。

 分厚いジュリアの指でもまだ隙間が余るほどの太さだ。


「あ、すみません、作り直します」

「いいわ」


 思わず笑みがこぼれた。


「大丈夫よ。私がもっと太ればぴったりだわ」

「そうですね」


 そうですね、じゃないだろう。

 何を同意しているのだ。


ジュリアは笑ってしまう。

あまりにもおかしかった。

散々ジュリアや周りの人間が、この目の前の男にいったいどんな魂胆があるのかと勘ぐって煙たがっていたというのに、その下にはなんの下心もなかったのだ。

 裏でこそこそと一体何をしているのかと思えば、こんな指輪を作っていただなんて。

 こんなものをちまちまと手作りしているだなんて、なんて純粋な男だろう。

 ジュリアは自分自身がひどく汚い者に思えた。

 いいや、そんなことは何年も前から自覚していたはずだった。けれど長い年月でうっかり忘れていたのだろう。

 薄汚れた人の好奇とさげすみの中を泳いで生きてきた。

 その汚らしい液体を、自身の身体から分泌して人に吐きかけてやったこともあったというのに。


「貴方は、死なせないわ」


 ジュリアは笑いを収めて告げた。


「貴方、ねぇ、貴方みたいな優しい人が死んで良いはずがないのよ」


 それはジュリアの心からの願望だった。


「貴方みたいな人間が、罪を背負って処刑なんてされて良いはずがないのよ」


 誰かのために生きられる人間が、一体この世にどれほどいるのだろう。

 誰かに心から感謝をして、それを持ち続ける人間が、一体どれほどいるのだろうか。

 それが良いとか悪いとかの話じゃない。

 ただ、ジュリアにはそんなことは出来ないのだ。

 感謝をしたってその気持ちは時間とともに薄れていくし、自分以外の誰かのために真剣になることだって、自分ではそのつもりでも出来ているのかどうかわからない。

 彼には出来るのだ。そんなことが、こともなげに。

 なんて、ひたむきな人だろう。


「そんな人間が、こんな理不尽な理由で殺されていいわけがないのよ」


その時ジュリアの心に生まれた彼に対する感情は一体なんだっただろう。

言葉ではうまく言い表せない熱い何かがじゅくじゅくと心を侵食して、気が狂いそうだった。

しいていうのならばそれは、『尊敬』という言葉に近い感情なのかもしれなかった。

ジュリアは確かに、その時、彼の純粋さに敗北し、ひれ伏したのだ。

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