宮廷舞踏会 Ⅹ
「英雄の……墓?ティファニーは荘園は全て引き払ったと言っていましたが?」
「いいえ。それだけを伝えていただければ結構です」
エスティアは首をゆっくり左右に振り、聞き返そうとする俺を静止させた。
荘園は引き払っても、誰か縁者の墓が残っているということだろうか?
それにしては英雄という持って回った言い表わしはなんだろう。
……いや、そんなことが俺が考えても仕方がない。
「……分かりました。必ずティファニーに伝えます」
なんとなく、場の空気が緩むのを感じる。
それは俺がティファニーとの約束を果たせたからだろうか。
それとも、この室内に危険な気配は感じられないと理解したからなのかもしれない。
彼女のいうウェッドランド伯爵から届けられた物が変哲もない花なのであれば、エスティアに危害をくわえることもない。
……ないはずだ。
しかし、なんだろう?
微かに漂う、喉に小骨が刺さったような違和感は……。
「……けど、ウェッドランド伯爵がわたくしに何か危険なことをするなんて考えられませんわ。旧知の仲ですもの。どうしてそう思われたのですか?」
「……いえ、エスティア様にと決まったわけではないのです。ただ狙われている人と条件が一致しているというだけで。実際に誰が狙われているかは、はっきりとわかっていないのです」
「まあ……。どんな条件か教えていただけませんか?」
「それは……、あ……」
俺は思い巡らせ、はたと気がついた。
そうだ。
狙われているのはエスティアではない。
彼女の部屋に届けられた物は花だ。送り主はウェッドランド伯爵。
二人は面識があるから、あの伯爵と呼ばれていた人物がウェッドランドだった場合、「相手の人相がわかっていない」という条件から彼女は外れることになる。
もちろんあの伯爵がウェッドランドではないということも十二分にある。
だとしても、届けられたのが花しかなければそれは「物騒な物」ではない。
「どうなさいました?ユケイ様」
急に言葉を詰まらせた俺を不審に思い、彼女はそっと顔を覗き込む。
「あっ、すいません。失礼しました。申し訳ありませんがその条件をお伝えするわけにはいきません」
エスティアはちょっと不満そうに頬を膨らませると、頬に手を当てて何かを考え込む。
「それじゃあ……。狙われているのがわたくしじゃないとしたら、イルクナーゼ様ということかしら?」
「え?」
不意に飛び出した人名に、俺はぎょっとする。
「ど、どうしてそう思われたのですか?」
「ふふふ、なんとなくです。わたくしとの共通点、つまり今日お会いした大公のお名前を上げただけでございます」
ただ勘が鋭いのか……、いや、彼女も一国の主になりうる人物なのだ。少しのんびりとしているように見えるが、相応に聡明な人物なのだろう。
「ああ、なるほど。申し訳ありませんが、それもお答えできま……」
「それと、ユケイ様も当てはまりますね」
「えっ?」
彼女はにこやかに俺の目を見据える。
「あら、ごめんなさい。冗談でございます」
「いえ……。私は太公の爵位は持っていません」
「あら、そうでしたの?もう成人されてらっしゃいましたよね?」
「はい。私は、その、出来損ないですので。アルナーグの王位継承権は与えられていないのです」
それも全て、俺が魔力の目を持たないからだ。
それを聞いて、エスティアは気まずそうな表情を作る。
「それは……、失礼なことを言ってしまいました。けれどユケイ様が出来損ないだなんて、そんなことありませんわ。イルクナーゼ様から大変優秀だと聞いています。舞踏会場では、太公の爵位をお持ちだと思い話しかけてしまいました。申し訳ありません」
公式の場で貴族間の初顔合わせが行われる場合、身分が高い者から低い者へ声をかけるべきだ。
逆に行う場合は従者を通すのがマナーなため、そのことを言っているのだろう。
しかし、俺は王家の成人男子だ。知らなければそう思うのも当然なのかもしれない……。
「失礼します」
俺の思考を遮るかのように、エスティアの従者が声をかけてくる。
エスティアはそれを見ると、手を小さくあげて何か合図を送り答えた。
「エスティア様、お茶の準備が整いました。お出ししてもよろしいでしょうか?」
「ええ。お願いします」
彼女がそう声をかけると、侍従によりテーブルの上に手早く茶器が並べられていく。
そして俺たちの目の前で侍従が毒味を行い、ティーカップにお茶が注がれた。
「エスティア様、今の合図はいったい?」
「合図?……ああ、内緒話の秘宝を解除できるか聞かれましたの。ユケイ様には必要ないものですが……。いつもの習慣みたいなものです。ご不快でしたか?」
いつのまにか、内緒話の秘宝が使われていたらしい。
カインの様子を見る限り、途中まで会話に反応していたから最初から使われていたということではなさそうだが。
「いいえ、そんなことはありません。あまり馴染みがなかったもので。あの、内緒話の秘宝とは、それほど頻繁に使われるものなのでしょうか?」
「ヴィンストラルドに来て、人と話す時は必ず使うように言われていますので。実はここに来て結構な月日が経つのです。すっかりそれが日常になってしまいました」
「そうですか……」
俺が閉じ込められていた離宮の中では、おそらく内緒話の秘宝が使われていることはなかった。
アルナーグではそんなに頻繁に使われているとは思わないが。
しかし、このヴィンスとラルドでは日常的に使われているらしい。そこはさすが秘宝の開発者のお膝元と言うべきか……。
……そうだ。
ここは秘宝の開発者、エインラッドのお膝元なのだ。当然エインラッドも使っており、それゆえに彼の内緒話を聞くことは俺以外に不可能だろう。
であれば……、どうしてティファニーはエインラッドとイルクナーゼの会話を盗み聞きすることができたのだろうか?
実際にエスティアが舞踏会に出席しているのだから、彼女の言葉は真実だったわけだ。
ティファニーは二人の会話を、聞かれては不味そうな雰囲気だったと言っていた。
実際、エスティアが舞踏会に現れるということはグラステップや鉄の国ライハルトにとって、とても大きな意味がある。
ではなぜ、その話をするときに内緒話の秘宝を使わなかったのだろうか?
もしかしたら、ティファニーが嘘をついている?
彼女は実は、別の手段でエスティアのことを知った。そして、会話を盗み聞きしたと嘘をついて俺を舞踏会へ参加させようとした……。
しかし、内緒話の秘宝が一般化しているこの場で、話を盗み聞きしたという嘘は信憑性があるだろうか?
奇しくもそれに対する理解が浅い俺は、特に違和感なくそれを受け入れた。
あの時を思い返せば、カインがティファニーに本当に盗み聞きをしたのかを確認する場面があった。
それは、このことに疑問を持ったからなのだろう。
つまり、俺でなければカインでも疑う嘘だということになる。
そもそもそんな嘘をついて、彼女にメリットがあるとは思えない。
では逆に、ティファニーが本当に盗み聞きができたのであればそれは何故だろうか?
エインラッドであれば、内緒話の秘宝を発動するのは容易であり、重大な話であれば欠かさずそれを使うに違いない。
その上で彼女が盗み聞きができたのであれば、それは隠す必要が全くない話であったか、あえてその話を流したかのどちらかだ……。
エスティアが用意されたお茶を、そっと口に運ぶ。
「ユケイ様もどうぞお上がり下さい。ただ、気になるようでしたら香りだけでも楽しんでいただけると幸いです」
エスティアはにっこり微笑む。
テーブルの上に置かれたカップからは湯気が立ち上り、彼女の言う通り華やかな香りがたっている。
「ありがとうございます。実は今日舞踏会の前に、飲み物を口にすることができなくって。お茶の準備が間に合わなかったのです」
「あら。そうなのですか?」
「はい。あまり時間がなかったというのもあるのですが、薪が届けられるのが遅れて、湯が沸かせなかったのです」
「まあ。それは災難でしたね」
そう答えると、エスティアは小さく首を振った。
しかしその背後で、彼女の侍従たちが不思議そうな表情をして視線を交わす。
なんだ?今の侍従の動きは。
同時に、脳裏にさまざまな疑問が浮かび上がる。
「どうかされましたか?」
俺の視線を察したのか、エスティアが声をかけてくれた。
「すいません、気になることがありまして。侍従のかたに少しお話を聞いてもよろしいでしょうか?」
「……何か粗相がありましたか?」
「い、いえ!決してそういう意味ではありません!」
「そうですか。でしたら……」
エスティアは背後に控える侍従に視線を送ると、一人がそっと俺の前に歩み出た……。




