宮廷舞踏会 Ⅴ
「ユケイ王子、恐縮ですがその足元を見て歩くのはなんとかしていただけませんか?」
「えっ?ああ……。すいません、無意識に……」
「そういうところから王子が王子であることに気づかれる可能性がありますので」
暗い室内で、つい歩きながら足元を確認してしまう。
ティナードは要するに、魔法の明かりが見えているふりをしろと言っているのだ。
だったら事前に「盗み聞き」のことを伝えておいてくれと思う。
しかしもしその話を聞いていたら、俺は舞踏会の参加を断っていたかもしれない。
最終的に依頼を受けることになったのだから、結局イルクナーゼの手の上で踊らされているということになるのだろう。
「……それで、何方の元へ行くのですか?」
「それは知らない方がいいでしょう。必要以上の情報を知れば、貴方にも危険が及びます。もし知ってしまっても、その場で忘れることをお勧めします」
ティナードが言うことはもっともなのだが、態度は説明するのが手間だと言わんばかりだ。
カインはティナードを微かに睨むが、言ってること自体は同意見なのか、口を挟むことはなかった。
俺達は舞踏会場の一角にたどり着く。とりあえずそこに陣取るようだ。
少し離れた位置に二つの人影が見えるが、ティナードはそれを気にかける様子はない。
そういえば、この辺りだけ他と比べて燭台の数が多いような気がする。
煌々と照らされた魔法の明かりの中で、小さな燭台の明かりはかき消されてしまう。俺にとっては一目瞭然でも、他の者が、燭台の数の違いに気づくことはないだろう。
人と会話するにあたって、口の動きを見るというのは意外と重要な役割を果たす。
こういう配慮がされているということは、ここで何らかの密話がされるのが事前に分かっていたということなのだろうか?
楽団からも距離があり、内緒話をするのにも、そしてそれに聞き耳を立てるのにも都合がいい場所といえる。
しかしこの広い会場の中で、そうそう相手を上手く誘導することなどできるのだろうか?
そもそも密談するには、この舞踏会場は人が多すぎる気がするのだが……
「ティナード殿、ほんとうにこんな場所で盗み聞くような話をするのですか?あまりにも人が多いと思いますが……」
「ユケイ王子にはあまり馴染みがないかもしれませんが、貴族の行動は逐一見張られています。誰かと誰かが会っていたなどという情報は、すぐ諜報員の耳に入ります。それが有力な貴族であればなおさらです」
「では、むしろこういう場の方が怪しまれないということですか?」
「はい。それに、あの二人は住む領地の関係で直接会うこと自体難しい」
俺もアルナーグからヴィンストラルドに辿り着くのに半月を要した。どの二人かは知らないが、この世界で遠方に位置する二人が、会話をする手段はそうそうない。
「なるほど……。あと、内緒話の秘宝が破られていると警戒する人はいないのですか?」
「それを疑う貴族は、ヴィンストラルドにはいないでしょう。開発された賢者エインラッド様への信頼は絶大です」
「内緒話の秘宝が使われないということは?」
「この場で身を寄せ合ってこそこそと話をすれば、それこそ何かを企んでいると勘繰られることになります」
「ああ、確かに。そうかもしれません」
「貴族であれば、周りに誰もいないとしても聞かれたくない会話であれば秘宝を使います。それはもう呼吸をするかのように。それだけ秘宝は慣れ親しんだ物だということです」
そうなのか……
俺にとっては、内緒話の秘宝の存在を知ったのは極最近のことだ。
アルナーグでは一般的に使われている物ではないが、もしかしたら今まで俺が耳にした会話の中で、幾つかは秘宝によって隠された言葉だったのかもしれない。
ん……?
なんだろうか?微かに何か引っかかりを感じる。
喉の奥に小骨が刺さったかのような、小さな違和感……
何か……、今の話を聞いた上で、俺の記憶が何かに矛盾を感じようとしてい……
「ユケイ王子……」
俺の思考を遮るかのように、ティナードから小さく声をかけられる。
俺はハッと視線を上げ、それに後悔をすることになる。
それと同時に、目の前を数人の集団が横切って行った。
燭台の明かりに薄く照らされた横顔。
年の功は四十をこえたくらいだろうか。
細く鋭い視線は俺の方に向いてはいなかったが、なんとなく彼は俺の存在を意識しているように感じた。
先ほどの俺の動きが、彼らに何か警戒心を与えてしまったのだろうか?
彼らはそのまま進むと、俺たちの側にいた男の元まで歩みを進めた。
彼等までの距離はおよそ3、4リール程で、周りの雑音があっても普通の声量で会話をしてくれればなんとか聞き取れる。
しかし、わずかでも声を潜ませられたら聞き耳を立てるのは難しいだろう。
集まった五名の集団、おそらく貴族二人とその侍従だろうが、二人は大袈裟に握手を交わし肩を叩く。
「久しいな!丁度去年のこの時ぶりか!」
微かに掠れた声の主、俺たちの前を横切って現れた男は、元々その場にいた青年に話かける。
豪快な声は聞き耳を立てる必要もないくらいだ。
ティナードが言う通り、確かにこの場で身を寄せ合い小声で話すよりは、魔法で声を消す方が怪しまれないかも知れない。
当たり前なのだがこの世界には電話もメールもない。手紙は完全な証拠が残ることを考えれば、直接会って秘宝を使って会話をするというのは合理的なのかもしれない。
「お久しぶりです、伯爵。父がお会いすることが叶わず、申し訳ないと申しておりました」
青年の声が予想より若く、俺は少し意表をつかれる。
おそらく彼は、俺と同じくらいの年だろうか。
それからしばらく2人は、取り留めのない会話を繰り返す。
会話の中から度々出る単語や地名から推察するに、伯爵と呼ばれた年上の男はヴィンストラルド北方の貴族だろうか?いや、分割領を納める貴族かもしれない。
2人の会話は特にこれといって不自然な内容ではなく、魔法で隠されている様子も無いように思える。
やがて楽しそうに続いていた二人の会話が、一瞬途切れた。
「ところで伯爵……」
突然青年の声に、不穏な抑揚を孕んだのを感じた。
その瞬間、俺はティナードに小さく合図を出し、彼は小さく首を振って返す。
俺が彼に出した合図、それは事前に打ち合わせておいた、会話が聞こえるかどうかを問うものだった。
それに対して首を振る、つまり声が聞こえていないという意味だ。
つまり今この瞬間、密話の魔法が発動したということを意味している。
「例の物の捜索はどうなっていますか……?父が心配しておりました……」
「例の物……。さて、なんのことでしたかな……」
「ご冗談を。全て伺っております。父がなんの為に伯爵を分割領へ推薦したのか……。それとも、何か言えない理由がおありということですか?」
若い男の問いに対し、伯爵と呼ばれた男の声が止まる。
分割領というのは、当然グラステップ分割領のことだ。
「理由も何も……。お父上から何を伺ったのかわかりませんが、私は若がおっしゃる意味が全くわかりません。よく確かめになった方がよろしいのではないですか?」
伯爵の言葉に、今度は若い男の方が言葉を詰まらす。
これは密談というより、青年が何かを探っている様に思えるのだが?
しかし現状、青年は伯爵に相手にされている様には思えない。
それとも、今のやり取りの中に何か暗号的なものが含まれていたのだろうか?
「ふん……、まあいい!父には伯爵の態度、しかと伝えるぞ……!」
そういうと、若い男が供を連れ足音を鳴らし、その場を離れようとする。そして伯爵と呼ばれた男は、青年を呼び止めるような素振りは見せない。
……今のでよかったのだろうか?
盗み聞きをする価値がある会話だったのかどうかは分からないが、少なくとも怪しいのは立ち去った若い男の方だ。
このまま盗み聞きを続けるなら、彼を追った方がいいだろう。
しかし、ティナードには会話が聞こえていないのだから、その判断がつかないはず。
俺は視線でティナードに合図を出すが、彼は黙っていろと言わんばかりの視線を送り返してくる。
その時だ。
「ふん……。あれで鎌をかけているつもりか、若造が……」
その声の主は、伯爵と呼ばれた男のものだった。




