舞踏会前夜 Ⅱ
「ティファニー、きみはグラステップの出身だったのか……?」
彼女の言葉を聞き、様々な考えが頭の中を駆け巡る。
そして最初に口から現れたのが、この問いだった。
「はい、そうです……」
彼女は両手にぎゅっと力を入れ、搾り出したような声でそう答えた。
草原の国、グラステップ。
その国が鉄の国ライハルトと諍いを持ったのは、今から数えて六年前だった。
より正確に言うなら、二国間の諍いが表面化したのはと言った方が正しいだろう。
元々領地の大半が山岳地帯であるライハルトと、広大な草原を持つグラステップだ。両国は隣接部の国境線を巡って終わらない交渉をおこなっていた。
伝え聞く話ではライハルト側からの一方的な要求だったというが、その真偽は俺にはわからない。
そして七年前のある年、ライハルト内に致命的な不作が訪れる。ライハルトを治める悪魔王は、その不作の原因がグラステップが持つある魔導書によるものだと主張し、その魔導書を差し出すか、もしくは公開で破棄しろと要求したのだ。
『草刈りの魔導書』
その中身は多くの噂を呼んだことと裏腹に、厳重な秘密に包まれていた。グラステップはその魔導書を封印し、最終的にその帯が外されることはなかったとされている。
例え封印されていたとしても、草刈りの魔導書は龍の亡骸から手に入れた宝だ。それはつまり、グラステップがかつて破滅の龍と戦った国であることを示す証である。
渡せなどという要求は、当然承服できることではないだろう。
それから両国が、戦争に突入するまでに然程の時はかからなかった。
グラステップの騎士は勇敢で、優れた騎乗技術と弓術を持つ。
そして領内には多くの友好的な騎馬民族を抱えていた。
彼らは古の盟約により、グラステップを脅かす者には鋭い刃となる。
一方ライハルトは、国土から豊富な鉄を産出し、龍の亡骸から手に入れた槌と金床によって鍛えられた槍は、一振りで馬の首を貫き、鎧は振り下ろされる刃を悉く弾くという。
両者の争いは熾烈を極め、グラステップが国の形を保てなくなるまでに僅か二年の歳月しかかからなかった。
それから更に二年の歳月をかけてヴィンストラルド、リュートセレンの連合によりグラステップの国土の一部が奪還され、現在は分割領として三国に統治されるに至った。
その過程でグラステップ王家の多くは命を落とし、その生存については現在何も語られていなかったのだが……。
「その、ティファニーはエスティア様……とは、知り合いなのかい?」
「はい。わたしは子どもの頃、姫様がいらした荘園にいました。わたしの父は、姫様のお母様の護衛騎士をしていましたので……。兄のアレックスはその家で小姓をしていました。姫様が荘園を引き払い王都へ移り住む時、わたしたち家族も一緒に王都へ同行しました」
彼女の平民とも貴族とも違う不思議なたたずまいの正体が、少し理解できたような気がした。
少し変わった雰囲気があると思っていたが、騎士の子だったのか。
騎士は貴族ではあるが世襲権を持たない準貴族だ。もちろん爵位を持つ貴族もいるが、彼女の父は違うのだろう。
そしてそこまでの話を聞いて、なんとなく最初に彼女から向けられていた敵意の正体がわかったような気がする。
「ああ、そういうことか……。俺は初め、きみから疎まれていたような気がしてたんだけど……、それは悪魔王のことが頭にあったからか……」
「それは……、はい。王子殿下の仰る通りです……。申し訳ありません……」
彼女は伏目がちに、頭を下げた。
「いや、まあ、共通点はあるからね。仕方がないよ。そう思われるのは慣れてる」
「エインラッド様はユケイ王子殿下と悪魔王は全く正反対のお人だとおっしゃっていました。わたしも……、そう思います……」
「はは……、誤解が解けて嬉しいよ。で、俺はグラステップ王家の人は行方が知れていないと聞いていた。そのエスティア様がヴィンストラルドにいるというのは確かなのかい?」
彼女はいっそう声を絞り答えた。
「はい……。実は先日、エインラッド様とイルクナーゼ王子殿下が話をしているのを聞いてしまったのです」
小さいがはっきりとした声。俺はその声が、彼女の悲しみと喜びを体現しているかのように思えた。
「あなたが直接二人の会話を盗み聞きしたと言うのですか?」
不意にカインが割って入り、ティファニーに不審な目を向ける。
「それを咎める必要はないだろ?」
「いえ、そういう意味ではありません……!」
俺は口を挟もうとするカインを静止し、ティファニーに向き直った。
「それは……、それだったら、俺なんかに頼むよりエインラッド様に頼んだ方が確実なんじゃないかな?」
「……わたしはお話を盗み聞きしてしまいました。それに……、お話の感じがわたしが聞いていい雰囲気ではありませんでした……」
それはどういう意味だろうか?
二人の会話に、何か企みめいたものを感じたというのだろうか。
しかしこの場合は、ティファニーの判断は正しかったのかもしれない。この封建社会において、知るべきではないことを知ってしまうことが不幸を招くこともある。
「……エスティア様が舞踏会に参加することは確実なのかい?」
「はい、そう仰ってました……」
しかし、行方がわかっていなかったグラステップ王家がヴィンストラルドで保護されていると知られれば、一体どうなるのだろうか?
そもそもエスティアは、いつからヴィンストラルドに身を寄せていたのだろう。
わざわざ舞踏会に出席させるということは、それを世界に公表することに他ならない。
それは旧グラステップの国民にとっては明るいニュースになるだろうが、同時に新たな火種になる可能性も十分にある。
王族の血は濃い。
一部の者には代え難い拠り所になるだろうし、さらに一部の者はグラステップの正統な所有者だと主張するだろう。
「……わたしたちが荘園にいた頃、エスティア様は自分が王家の人だということはずっと隠していたんです。彼女はわたしのともだちであり、大好きなお姉ちゃんでした……。そして、たぶんお兄様の恋人だったんです……。わたしは……王都に移ってしばらくして、エスティア様のおかげで賢者の塔に入ることができました。けど……、その後すぐに戦争が始まってしまって……、なのに……、わたしはグラステップに戻ることも……できず……に……」
そこまで話すと、彼女は両手で顔を覆い嗚咽をあげながら涙をこぼす。
エスティアは多くの人にとって、様々な意味を持つ存在だ。
しかしティファニーにしてみれば、彼女は同郷の徒であり、大好きな姉のような立場の人なのだろう。そしてエスティア本人にとっても、ティファニーを同じように思っているのかもしれない。
「……うん、わかったよ。お声がけできるかどうかわからないけど、それとなく探してみる。エスティア様の特徴を教えてもらっていいかな」
この世界に写真があるわけでもない。
特徴を知らなければ探し出すことは難しい。
俺の返事を聞いて、ティファニーが口を開く前にカインが呆れたような視線を俺に向ける。
「別に機会があればそれくらいいいだろ?同郷の無事が知れるなら、エスティア様も喜ぶさ」
カインはティファニーに向けて、余計なことをしてくれたと言いたげな態度だ。
しかし諦めたようにため息をつくとこう言った。
「……それではエスティア様は私が探します。舞踏会会場へは私も護衛として同行しますから。ティファニー、特徴を教えて下さい」
俺はこの時、カインの言葉に微かな違和感を覚えるも、特にそれを気に止めることはなかった。
そして、ことあるごとに口を挟んでくるウィロットが、終始無言であったということにも全く気にかけていなかったのだ……。




