舞踏会前夜 Ⅰ
それから一週間、俺は舞踏会の準備や様々な実験、そして刻死病の研究に明け暮れる。
ティファニーはそんな俺たちの元を律儀に訪れ、日の出から日が沈むまで、文句も言わずに黙々と助手を勤めてくれていた。
最初彼女の言葉や態度には、明確な棘があった。それは彼女の中で何か誤解があったせいなのか、日を追うごとにその態度は軟化していったように思える。
「それでは麻痺の魔法を発動します……」
ティファニーはゆっくりと魔法を詠唱し、手に握った魔石に精神を集中していく。
そして、目の前のある装置にそっと触れた。
「わっ、動いた!すごい!魔法みたい!」
ウィロットが感嘆の声をあげる。
普段から魔法なんていう超常現象の最たるものを目の当たりにしてるクセに、こんな電気の仕掛けでちょこっと動くだけのものを見て驚けるとは。
感覚の違いというかなんというか……。
まあ、実際俺も魔法を直に見ることができたら、同じような反応をとってしまうのだろう。
そう考えながらも、これも間接的な魔法の形だ。魔法による奇跡を目の当たりにでき、微かな感動を覚えなくもない。
「舞踏会の前日だというのに……。こんなことをしている場合なのですか?」
カインは呆れ顔で、ため息をついた。
彼の言うことはわからなくもない。けど、俺なりにこの一週間、舞踏会の準備を一生懸命してきたんだ。
これくらいの息抜きは許してほしい。
「王子殿下、これはどういう仕組みなのでしょうか?」
ティファニーは顔をあげ、微かに目を輝かせてそう言った。
今まで見たことのない彼女の表情に、俺は少し驚く。
「えっと……、どうやって説明したらいいのかな……」
彼女が驚いた装置。それは、真鍮で作られた真っ直ぐな棒を二本平行に並べ、その上に銅で作った小さな筒をのせただけのものだった。
これは本来魔法ではなく、電気を使って行われる有名な実験だ。
左右に並べた真鍮銅製の筒を乗せ、それに直流の電気を流す。そうすれば、その上に乗せた銅の筒を含めて一つの電気の流れが発生する。
それぞれの真鍮には右と左で逆向きの電流が流れるが、それによって発生する磁界の向きは同じ方向になり、フレミング左手の法則で示されるように銅線には奥向きの力が発生するのだ。
現象だけを掻い摘んで言えば、二本の電気を通しやすい物体の上にまたがるように、転がる形状の金属を置く。それに対して電気を流せば、その上に置かれた金属は一方方向に転がって行く、というものだ。
その力はローレンツ力と呼ばれ、この実験は遥か未来において軌道電磁砲を産み出すことになる。
この現象をティファニーに説明するには、電気とは何か?磁力とは何か?を、説明しなければならない。正直なところ、それはかなり骨が折れる話だ。俺はただ魔法とはそういう性質があるとだけ答えて誤魔化す。
彼女は一瞬だけ不満そうな顔を見せるが、直ぐに我に帰り「失礼しました」と小さく呟いてすぐに引き下がる。
まあ、要するに身分差を気にかけてしまったということだろう。
「ユケイ様。そんなことはもう切り上げて、明日の準備をするべきです」
カインが再び水を差す。
「準備って、もうすることは何もないだろう?」
「いいえ、準備をし過ぎるということはありません。もう一度出席者の名簿に目を通すとか、遊んでいる場合ではないはずです」
「遊んでいるわけじゃないさ。名簿は何度も読んだんだから大丈夫だよ。それに俺は、他の貴族たちと交流を持とうなんて考えていない」
「それでもです。万が一名や爵位を言い間違えでもしたら、どんな難癖をつけられるかわかったものではありません。エスコートするイザベラ姫にも迷惑がかかるかもしれません」
「なんだよ、散々イザベラ姫には関わるなって言ってた癖に」
「私がそう思っていることには変わりありません。しかし、もう決まってしまったのですからしょうがありません」
捲し立てるカインに、ウィロットも追随する。
「わたしも本当はとても心配です。身の回りは前室までしか付いていけないんですから、わたしなしでユケイ様がちゃんとやれるのか……」
ウィロットはそう言いながら、心配そうな……、いや、何故だか悲しそうな表情を見せた。
ここ数日感じたことだが、どうやらウィロットもカインも、俺が舞踏会に参加することに対して反対をしているようだ。
もちろん面と向かって異を唱えられたわけではないのだが、歓迎されていないことは態度でわかる。
正直いって、俺が社交に出ることを二人とも歓迎してくれるのではないかと思っていた。
実際に今まで……と言ってもアルナーグに居た頃だが、何度か社交に出ることを勧められた。
それなのに、なぜ今回はこのような煮え切らない態度なのだろうか?
「まあいいよ。今日はこれくらいにして、明日に備えるさ。賢者の塔に来ている貴族たちも、みな明日の準備をしているみたいだしね。今日は外が妙に静かだったから」
「あ、あの!ユケイ王子殿下、一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」
不意にティファニーが口を挟む。
「えっ?どうしたの、突然?」
今までティファニーに、そんなことを言われたことはない。
もちろん彼女のお願いを聞く理由はなく、むしろそんなことをしたらカインに何を言われるかわからない。しかし、彼女の思い詰めた表情には、俺に「はい」と言わす気迫が備わっていた。
「……力になれるかわからないけど、とりあえず話だけは聞くよ」
俺の返答に、カインは予想通り露骨に嫌な表情を作る。
「はい、ありがとうございます……。実は明日の舞踏会に、わたしがお世話になった方が出席することになっています……」
「えっ?えっと、それは……。ティファニーは貴族の子だったの?」
「いえ、それは……。わたしは元騎士の娘ですから、今は貴族と呼ばれる立場ではありません」
彼女の表情が微かに歪む。
どうやらその返答は辛い過去と結びついているのだと推察できる。
「ああ、なるほど。余計なことを言ってすまない」
「いいえ、とんでもございません……」
「それで、お願いっていうのは?」
「はい。明日の舞踏会で、その方とぜひ会って頂きたいのです……。そして、ユケイ王子殿下!どうかその方の味方になってあげてください……!」
彼女の視線は振れることなく、真っ直ぐに俺の瞳を捉えた。
それは今まで見てきた彼女からすれば、予想できないほどの強い意思を感じ取れる。
「そ……、それは……。その方が誰かを聞く前に、どうしてそんなことを俺に頼むんだい?俺には誰かを助けられるほどの力はないし、そもそもここからいつ出られるのかもわからない。それを頼むのであれば俺なんかよりもエインラッド様やイルクナーゼ王子にお願いした方が……」
俺の言葉に、ティファニーは黙って首を左右に振った。
そうか。彼女もそんなことは百も承知だろう。
それが分かった上で俺にそう言っているのだから、その願いは俺にしか頼めないという意味だ。
もしかしたらその人は、エインラッドやイルクナーゼと敵対する立場の人物なのかもしれない。
ふと見ると、ティファニーが微かに震えているのがわかった。
それもそうだろう。
彼女の言葉から考えれば、もし俺がエインラッドやイルクナーゼに彼女から頼まれたことを漏らした場合、彼女の身に何か望まぬことが起こる類いの話なのかもしれないのだ。
ティファニーは藁をも掴む思いで俺に打ち明け、そしてその相手は俺のような非力な人間の協力すら望まなければいけない立場の人物だということだ。
「ユケイ様、いけませ……」
「ユケイ王子殿下、どうかお願いします!」
静止に入ろうとするカインを遮り、ティファニーはさらに言葉を続けた。
「ただお話をしていただくだけでもいいのです!その方とお会いして、わたしが無事でいるということをお伝えください!わたしと……、わたしの兄のアレックスも、おそらく無事でいるということだけでも……!」
彼女の表情には、まるで決死の覚悟のようなものが覗いていた。
もし俺がここで、その人の名前を聞いてしまったら彼女の願いを受け入れることになってしまう。
俺がティファニーと初めて会った時、彼女は間違いなく俺たちのことを敵対的な瞳で見ていた。
しかしこの数日、彼女は一生懸命に俺のくだらない実験に付き合ってくれたし、十分に歩み寄ってくれたと思う。
それはもちろんイルクナーゼからの命令によるものだが、多少の感謝を何かの形にしてもいいのではないだろうか。
「今の俺の立場で誰かの力になれるとは思えないよ。けど、もし偶然舞踏会でその人に会うことがあれば、伝言くらいはできるかもしれない」
「王子殿下……!」
ティファニーの顔がパッと輝き、対照的にカインはこれ見よがしに特大のため息を落とした。
「それで、その方っていうのは誰のことだい?」
ティファニーは小さく息を吸い、キュッと手に力を込めてこう答えた。
「鉄の国の悪魔王によって滅ぼされた、草原の国グラステップ最後の王族……。エスティア・グラステップ様です」




