賢者の塔 Ⅵ
「エインラッド様、少し試してみたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「もちろん。されるがままでは退屈じゃろうて」
彼はそう答えると、興味深げに目を細めた。
「えっと、それじゃあ……。ウィロット、ちょっと手伝ってくれないか?」
「……はい、わかりました」
彼女は一応了解はしてくれたが、その表情は明らかに警戒をしている。
「それじゃあウィロットは俺の手を握って、もう片方の手はティファニーと繋いでくれ」
「……はい、これでいいですか?」
「うん。ありがとう」
そして俺はティファニーと再び手を繋ぐ。
要するに、俺とウィロット、ティファニーがそれぞれ手をつなぎ合い、三人で一つの輪を作った状態だ。
誰もが怪訝そうな顔を浮かべる中、エインラッドだけが眼光鋭く見つめていた。
「それじゃあティファニー、もう一度先程と同じ魔法を使ってくれ。できる限り威力を落として」
「はい、わかりました」
ティファニーは一瞬ウィロットに向けて心配そうな視線を送るが、意を決したように呪文の詠唱を始める。
「きゃっ!」
ティファニーの詠唱が終わると同時に、ウィロットが小さく悲鳴をあげて、握った手を離した。
「ウィロット!」
「は、はい。少しびっくりしただけです」
「大丈夫かい?」
「大丈夫ですけど……。こうなるってわかってたら、先に言っといて下さい!」
ウィロットは頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。
「そ、そうだよね。すまなかった……」
「もう!……それより、ユケイ様は本当に痛くないんですよね?」
「ああ、俺は大丈夫」
「そうですか……。それならいいです」
「それで、さっきの魔法をどんなふうに感じたか説明できるかい?」
「どんなふうですか?えっと……、はい……。小さな痛みが……、いえ、痛みというより縫い針で突つかれたような感触ですかね?それがユケイ様の手から入って反対の手の方に通り抜けていったみたいな……」
ウィロットの表現が正確なら、それは感電のような状態を思い起こさせる。
その言葉を聞いて、いち早く反応したのはエインラッドだった。
「なるほど興味深い。つまり、空の精霊の眷属は、繋いだ手を通して二人の体の中を通っていったということかね?魔力に影響しない君の体を含めて」
「はい、おそらくそういうことでしょう」
「確かに興味深い。しかし、それ以上に君はこの実験の結果がこうなると予測できていたように見えるが?」
意表を突いた質問に、言葉が詰まる。
確かにその通りだ、前世の記憶がなければおいそれとたどり着く発想ではないかも知れない。
「これは……、以前アルナーグで、雷に打たれた人と話をしたことがあったのです」
「雷というのは、あの天から落ちる雷かね?」
「はい。その者が急な雨に降られた時、近くに雷が落ちました。命は無事でしたが酷い火傷を負い、しばらく全身が麻痺して動けなかったそうです。状況が似ているのと、空の精霊ということからもしやと思い……」
「なるほどのう……。それでは、ユケイ殿を他の者と入れ替えて同じことを行ったらどうなるのかのう?」
「あ……。それは……、どうなんでしょうか……」
俺はウィロットの方をチラリと見ると、彼女は諦めたような表情を見せ、ため息と共にして黙って手を差し出した。
俺と別の者とを入れ替え、再び同じ実験を繰り返す。
その結果わかったことは、俺以外の人と入れ替えても同じように麻痺の魔法は二人に効果を及ぼすということだ。しかし、ウィロットの体感だと俺と組んで魔法を受けた時に比べて、痛みは半分ほどしか感じなかったらしい。
つまり、この魔法が電流的なものと同じ性質を持つとして、俺以外の人が間に入った場合、それが抵抗になりウィロットが感じた痛みが薄れたということだろうか。
つまり、俺の体は魔力を抵抗なく流すということになるのか?
それを確認するには、俺とウィロットと二人で魔法を受けた時の痛みと、ウィロット一人で魔法を受けた時の痛みの違いを調べればわかるのだが……
ちらりとウィロットの方へ視線を向けると、彼女は頬を膨らませて「もうイヤですよ!」と、声を荒げた。
「ふむ……。ユケイ殿の話が確かなら、空の精霊、もしくはその眷属が司る加護というのは、雷の力ということになるのかのう……?」
「もしかしたらそうなのかもしれません。……あの、エインラッド様。質問をよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「はい、恐れ入ります。司る精霊の正体がわからないままで、加護を受けるということは可能なのでしょうか?」
「ふむ、その疑問はもっともじゃ。本来であれば、精霊への理解がなければ魔法を生み出すことはできぬ。しかし、その魔法を理解して生み出した者から伝授されれば、その限りではない」
「なるほど。ということは、この魔法は誰かから教わったということですか?」
「左様。これはワシが昔、エルフから伝授された魔法じゃ」
エルフ?
予想外の答えが飛び出し、俺は一瞬言葉を失う。
「エルフとは、あのエルフですか?」
「あのがどのかわからぬが、エルフはエルフじゃ」
存在は知っていたが、人の口からその名を聞いたのはどれだけぶりだろうか。
人の前に姿を現すことはほとんど無い、人種と精霊の間に立つと言われる存在。
人より遥かに長い命を持ち、精霊と直接対話をして多くの魔法を操ると聞いたことがある。
ほとんどの人間がエルフに会わずに一生を終えると思われ、当然俺も会ったことはないし、会ったという話も聞いたことが無かった。
「エルフ……。お会いしたことがあるのですか?」
「昔の話じゃ……」
そうつぶやくエインラッドの瞳は、なぜか悲し気に見えた。
「エインラッド様は、エルフと交流をお持ちなのですか?」
「今は人と交流を図ろうなんて奇特なエルフはおらぬよ。もしくは、帝国に連なる者であればそういうこともあるやもしれぬ……」
「帝国……。ああ、グラステップの……」
俺とエインラッドの会話に、ウィロットが首を突っ込んできた。
「ユケイ様、『ていこく』ってなんですか?」
「えっ?ああ、帝国っていうのは、複数の民族を束ねる国のことをいうんだ。」
「なるほど、そうなんですね。それじゃあ『民族』っていうのはなんですか?」
「民族っていうのは、同じ言葉を話す人のまとまりを指してそういうんだよ。あとこの世界では、エルフやドワーフなんかも、一つの民族として数えられている」
「この世界では?」
「それは……、言葉の綾だよ。いちいち突っ込むな。……で、昔グラステップは、東部民族たちと精霊の森に住むエルフたちも統治関係にあったんだよ」
俺の言葉を聞いて、エインラッドは満足そうに微笑む。
「なるほど、ユケイ殿は噂に違わぬ博学ぶりじゃ。其方であれば、いずれ物珍しさで好奇心旺盛なエルフがひょっこり尋ねて来るかもしれぬのう」
「そ、それはぜひ尋ねていただきたいですが。ただ、エルフはあまりそういう種族ではないと聞いています」
「なに、全てのエルフがそういうわけではない。仲には珍しいものを好む者もおるのじゃよ」
そう言うとエインラッドは、まるで過去を思い出すかのように目を細めた。
「さあ、今日はなかなか貴重な成果もあったが、これくらいにしておこう。さて、せっかくの機会じゃ。ユケイ殿のことをいろいろ聞きたいが、よろしいかの?」
「は、はい」
俺はウィロットに目配せをすると、彼女はさっとお茶の準備に取り掛かる。
「お嬢さん、ワシの分もお茶を頼めるかね?」
「はい!もちろんです!」
戯けたエインラッドの言葉に、ウィロットは満面の笑みを返す。
「あ、わたしも手伝います」
ティファニーは慌ててウィロットの後を追った。
「さて、ワシも愛用しておるこのガラスペンじゃが、其方の商会で商っておると聞いたが、それはまことか?」
「はい……。お陰様で好評をいただいております」
「そうじゃろうて。一度これを使えば、なかなか羽ペンには戻れまい」
「あら、わたしは羽ペンも好きですよ。折ってしまっても、あまり気になりませんから!」
ウィロットはそう言いながら、毒見を済ませたお茶を俺たちの前に並べる。
「ユケイ殿が聡明だということはよくわかった。ミコリーナの血を抜いたという話を聞いた時は、正直邪教の秘術か何かかと疑ったが……。なるほど、魔法に頼らなければ人とはそういう知恵を持つのやも知れぬな」
「……恐れ入ります」
「しかし……。かの悪魔王とやらも其方と同じ目を持つというが、それに関してはどう思う?」
エインラッドは細めた目で、真剣に俺の眼差しを見据える。
微かに覗く彼の瞳は、老いても十分に鋭い光を纏っていた。
「……私は彼に会ったこともないので、なんとも申し上げられません」
「……ふむ。それもそうじゃの。ワシが思うに、其方と悪魔王は全く別の生き物じゃ。同じ目を持つからといって、決して気心がわかると思わぬようにな」
「はい、もちろんです……」
要するに彼は、俺に悪魔王の元へ行こうなどと考えるなと言いたいのだろう。
俺のことを認めて、どうでもいい人間だと思っていないという、エインラッドなりのアピールに思える。
そんな言葉が、正直俺はとても嬉しかった。
微かに重くなった空気を払拭するように、エインラッドは話題を変える。
「ところでユケイ殿、まもなくおこなわれる初夏の宮廷舞踏会はどうなさるのかね?春の舞踏会では君の姿は見かけなかったと思うが?」
「舞踏会ですか?いえ、わたしはそのような身ではありませんので……」
この世界では王侯貴族の舞踏会は一般的であり、王族主催の宮廷舞踏会は定期的に行われるのが習わしだった。
それはこのヴィンストラルド王家に限ってではなく、アルナーグ王家でも同様に行われている。
しかし俺は、一度もそれに出たことはなかった。
「そのような身というのは、人質の身でという意味かね?」
そう言うと、エインラッドは意地悪そうな笑みを浮かべた。
もし彼の言う通りであれば、俺はアルナーグで既に舞踏会デビューを果たしていただろう。
「いえ、決してそういう意味では……」
「アルナーグの王子に資格がないわけではないだろう。イルクナーゼからは何も言われておらぬのか?」
「はい、特に出席するようなどとは言われておりません」
「そうか……。それは残念だ。それに、今からでは衣装の準備は間に合わぬか。国からは持ってきてはいないのかね?」
「衣装も何も、わたしはまだ社交の場に立ったことがありません」
「なんと!?」
「魔力の目を持たないわたしと結婚をしようと思う者はいないでしょう。社交界に出る意味がありません……」
この世界では、社交界に出るということは結婚に向けてのお披露目の意味合いが強い。
ならば、俺がその場に出てもどうしようもないのだ。
「そうか。ワシはてっきり、リュートセレンの姫をエスコートして舞踏会に参加するのかと思っておった」
「あっ……!」
「ユケイ殿にその気は無いのかも知れぬが、イザベラ姫はヴィンストラルドの社交会にデビューさせた方が良いのではないかの?今の彼女をエスコートできるのは、従兄である其方しかおらぬと思うのじゃが……」
エインラッドの言う通りだ。
イザベラの今後を願うのであれば彼女を社交の舞台へ立たせることは必須で、それができるのは俺だけしかいない。




