賢者の塔 Ⅴ
「ユケイ様、おはよう御座います!」
その日の朝、俺はウィロットの声で目を覚ます。
だいたいいつも、起床の声をかけられる前に目が覚めているのだが、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたのかもしれない。昨日の眠りは思いの外深かったようだ。
それとも不思議な歌声のおかげで普段より心地よく眠りにつけたのかもと、非科学的なことを考えたりもした。
「おはよう、ウィロット。あ……、そういえばさ、昨日の夜何か変わったことはなかった?」
「え?変わったことですか?」
ウィロットは手に持った着替えを丁寧にベットに並べつつ、不思議そうに首を傾げた。
「外から歌が聞こえたような気がしたんだけど」
「歌……ですか?わたしは気が付かなかったです」
「そうなんだ。けっこうはっきりと聞こえてたんだけどな」
「使用人室は窓がないですから。そのせいかもしれないです」
「ああ、そうかもね」
ウィロットは俺の話にさして興味も持たず、淡々と朝の準備を続ける。
「あとは自分でやるから、ここはもういいよ」
「そうですか?それじゃあ失礼します」
ウィロットはぺこりと頭を下げ、寝室を後にした。
彼女が扉を開けると同時に、窓の外から冷たい風が吹き込み、夜の間に淀んだ室内の空気を一掃してくれた。
俺は部屋の窓からヴィンストラルドの街並みを見下ろす。
日が上り間もなくだが、そこには人々が行き交う姿が見て取れる。
それでもアルナーグと比べれば少ないと感じるのは、この賢者の塔が貴族街の一角に位置しているからだろう。
その後カインにも歌声のことを聞いてみたが、彼の返事もまたウィロットと同じ内容だった。
もしかしたら俺は、何か夢を見ていたのかもしれない。
そして朝食を終えてしばらくする頃、意外な来客を部屋に迎える事になる。
「エインラッド様!」
突如部屋に現れたのは、俺の助手を務めると宣言したティファニーと数名の男女を引き連れた賢者エインラッドだった。
露骨に嫌な表情を作るウィロットを、カインが無言の肘打ちで嗜めるのが目に入った。
謁見の場ではエインラッドはヴィンストラルド国王と同じ段に椅子を並べていた。
つまり、国王に次ぐ権力者であることを意味している。
俺はどう対応したらいいのか分からなかったが、とりあえず自分より上位の貴族と対面した時と同様、片膝を突き頭を下げる。
「ユケイ殿よ、ここではそんな畏まった礼は必要ない。頭を上げたまえ」
「……はっ」
そこには先日謁見の間で見かけた時より幾分か柔和な表情を浮かべた賢者エインラッドと、微かに呆れたような表情を見せるティファニーがいた。
「本日はどのような……」
狼狽える俺の問いに、エインラッドは楽しそうに答えた。
「賢者の塔を預かる者として、聡明な人材に興味を持つのは当然じゃろう?それに君は少々変わった特技を持つと聞いておる」
彼の瞳は、好奇心に輝いているように見えた。
謁見の場で見たエインラッドは、政治的立場に重きを置いているような印象を受けた。 しかし今この場にいる彼は、まるで新たな課題を見つけた一介の研究者のようにも見える。
特技と言われ、なんのことかと一瞬思い悩む。
その答えを導くのに少し時間がかかったのは、俺のそれを特技だなどと肯定的なニュアンスで言われたことがなかったからだ。
「それは……魔力の目を持たないということでしょうか?」
エインラッドは顎に手を当て、意外な返事が返ってきたという素振りを見せる。
「それは物の見方次第ではないかの?」
「物の見方……ですか?」
「左様じゃ。もしかしたら其方は魔力の目を持たないのでは無く、別の視点でワシらに見えない何かを見ているのかも知れぬ」
そういいながら、エインラッドは机の上の羽ペンを手に取った。
「例えばこの羽は白い。しかしそれは、人からその色が白だと教えられたからじゃ。しかし、実際に私と君が認識している色が同じだとは限らぬ。私にとっての白は、君にとっての赤かも知れぬし、君にとっての白は、私にとっての黒かも知れぬ」
「色の主観性……ですか」
「その通りじゃ!得てして優れた研究者は概念に名を付けるのが上手いのう。そして、それは君と私の目にも言えることじゃ。そう思わんかね?」
「はい……、思います。同じ世界に生きている以上、全ては世界の表と裏です」
「その通りじゃ!素晴らしい。まずは君が見ている世界、感じている世界を知りたい。君が見る世界が、新たな魔術の門を開くやも知れん」
そう言うとエインラッドは、目を子供の様に輝かせながら手を此方へ差し出した。
彼の手のひらからは、長年生を積み重ねた老いの年輪が刻まれている。それでもその指先から溢れ出ているのは、子供のような純粋な好奇心だと感じた。
そして俺は、深く考えずにその手を取ってしまったことに後悔する。
それから数刻の間、俺は苦難の時を過ごすことになったからだ。
まず最初に、たっぷり一刻間、昼食を挟んで質問責めに合う。エインラッドたちは高価な羊皮紙を湯水のように使い、書き込まれた問答が積み上がっていく様は、圧巻だった。
その後はティファニーを含めた彼の弟子達が、俺にありとあらゆる魔法を掛けていく。
要するに人体実験だ。
当然カインは難色を示すが、結局エインラッドの熱意と権力の前に膝を折ることになる。
さすがに魔力の矢で俺を撃とうとするのは、断固として首を縦に振らなかったが。
爛々と目を輝かせ、実に楽しそうなエインラッド。しかしそれとは対照的に、俺にとっては欠伸を堪えるのに苦労するほど退屈な時間だった。
周りの人間が必死の形相で魔法をかけているにもかかわらず、俺にとっては全くの「無」なのだから。
まるで大量の厨二病患者に囲まれているかのような錯覚に陥る。しかし実際のところ、世界から無視されているのは俺のほうなのだ。
結局、大量の時間と魔力を費やして解ったことは、魔力で起きた現象は視認できず、魔法の護りは影響を及ぼさず、魔法による気配も音も感じ取れないということ。
しかし、魔力で直接体を熱したり冷やしたりすることは出来ないが、魔力で点火した炎や冷やした物の冷気は感じることができた。
それらのほとんどは既に俺自身で実験したものだった。
しかしその中で、ただ一つだけ興味深い結果を残したものがあった。
それを最初に言い出したのは、ティファニーだった。
「麻痺の魔法はいかがでしょうか?」
彼女が言葉を発すると同時に、カインがジロリと彼女を睨む。そんな彼を横目に、俺は聞き慣れないその魔法に興味を持った。
「麻痺の魔法?それは身体を麻痺させるということですか?聞いたことありませんが……、魔術の門に伝わる魔法でしょうか?」
カインの視線に気付いたのか、ティファニーを庇うように返事をしたのはエインラッドだった。
「いや、これは精霊の加護に分けられる魔法じゃ。あまり使われることのない魔法じゃが……。ティファニー、やってみてくれ」
精霊の加護に分けられる魔法、つまり自然の中に存在する精霊の力を借りる魔法ということだ。
つまり魔術の門と違い、適性があれば誰でも使える魔法ということになる。
ティファニーはちらりとカインを確認すると、彼が文句を言わないのを確認して俺にこういった。
「それではユケイ王子殿下、手を貸してくださいませ」
俺は右手を差し出すが、それを見てティファニーは首を振った。
「いえ、片手だけではこの魔法はかかりません。両手を前へお願いします」
言われるままに両手を差し出すと、ティファニーは手を握るように彼女の手を左右それぞれにそっと重ねた。
「御姿無き空の王よ、空に使えし七の精霊たちよ、天地を切り裂く怒りを放ち給え」
周りに一瞬緊張が走るが、当然というべきか俺の体には何も変化はない。
「失敗かの?」
エインラッドが顎を撫でながら、ティファニーに問いかけた。
「いえ、魔法はちゃんと発動してます」
「ふむ……」
エインラッドは結果について何か考えているようだが、俺は少し違うことが気にかかった。
「ティファニー、聞いてもいいかい?これは体を麻痺させるという魔法なんだよね?なのに、加護を受けるのは命の精霊ではなく空の精霊なのか?あと、片手ではなく両手が必要っていうのは?」
例えば体の力を向上させたり、相手の能力を減退させたりするような場合、加護を求めるのは人の命を司る精霊が一般的だ。
例外として前にマリーが使った遠見の魔法。あれは光の精霊の加護を利用するというものもあるのだが、このあまり聞き慣れない空の精霊というのはなんだろうか?
「これは……、体の状態を変化させて麻痺させるのではなく、空の精霊の力を体の中に走らせて麻痺を引き起こす魔法です。だから、片方の手から精霊の力を入れて、胴体を通ってもう片方の手から外に出さないと……いわれています……」
ティファニーはそう説明するが、なんというか言葉に理解が追いついてないような印象を受ける。
おそらく彼女自身も、明確な答えを持っていないのではないだろうか?
「片方の手から入って、もう片方の手から抜ける……」
その言葉に、なんとなく既視感を感じる。
麻痺の魔法……。
何かが体の一方から入り、もう一方へ抜けていく。
その結果、体に麻痺という状態が引き起こされる。
「それってもしかして……」
もしかしたらこの魔法は、スタンガンなどと原理を共にするものではないのだろうか?
ということは、魔法の詠唱に出てくる空の精霊の眷属が司っているものは……。




