賢者の塔 Ⅱ
「やあ、ユケイ王子。突然お邪魔して申し訳ない。けど、なるべく早い方がいいと思ってね」
イルクナーゼは大慌てでもてなしの準備を始めようとするウィロットを、手で制した。
「手間は取らせないよ。今日は挨拶だけだからね。さあ、お入り下さい」
イルクナーゼはそう部屋の外に呼びかけると、一人の女性が静々と部屋の中へ入ってきた。
「イザベラ姫……」
俺はそう呟くのが精一杯だった。
「せっかくユケイが直訴してまで保護を求めたんだから、一刻も早く会いたいだろうと思って連れてきたよ」
イルクナーゼはそう言いにっこりと笑った。
カインが小さく息を飲み、ウィロットはわかりやすく動揺しているが、それも仕方がない。
彼女と顔を合わせるのはわずか数週間ぶりのはずだ。しかしあの華やかな笑顔は消え、目の下には化粧で隠しきれない隈を覗かせている。
すっきりとした顔立ちは変わりないが、どことなくやつれたような印象を持つのは表情のせいか、それとも少しお痩せになったからなのだろうか。
彼女は瞳に俺をとらえると、一度深々と頭を下げてスカートの裾を重そうにつまんだ。
「イザベラ姫……、顔色が優れない様子です。お身体は大丈夫ですか?」
「はい、お気遣いありがとうございます……。ほんとうはもっと早くユケイ様に会ってお詫びをしたいと思っていました……。わたくしの侍従であるローザが、ユケイ様に恐ろしいことを行いました。それなのにローザの減罪を申し出て下さり、その上わたくしの保護までしていただき……。感謝の言葉しかございません……」
イザベラは消え入りそうな声でそう言うと、再び深く頭を下げた。
「イザベラ姫、謁見の後に自由は保証されなかったのですか?」
「謁見の後、わたくしは客間から城へ移されました。しかし部屋から出ることができずにずっと過ごしていました」
俺はイルクナーゼの方をキッと見た。
「それはいったいどういうことですか」
「怖い顔をしないでくれよ。そもそもイザベラ姫のことは僕が預かり知ることじゃない。それに、意地悪をしていたわけでもないからね。あんなことがあったからね、誰も姫の後見人になろうという者が現れなかっただけさ」
「後見人……ですか?」
「わからないのかい?城にいる限りは王の客だ。しかし、そこから出たければ誰かの後ろ盾が必要になるんだよ」
「そんな……」
彼女の立場が良くないということは予想していたが、正直その後も幽閉をされ続けていたとは思っていなかった。
しかしよくよく考えてみれば、後ろ盾になる人物がいなければ、こうなることはわかっていたはずだ。
本人ではなく侍従が起こしたとはいえ、王子である俺を殺害しようとする行為は大罪だ。あの事件がなければ、リュートセレンの大貴族の姫であるイザベラの後ろ盾になりたいという者は山のように現れたであろう。
もしあの謁見の場で、イザベラのことを申し出なければいったいどうなっていただろうか……。
「ユケイ様がイルクナーゼ王子に口添えをいただけなければ、わたくしは死ぬまであの部屋の中にいることになったかもしれません。ユケイ様……、心よりお礼を申し上げます……」
俺はそんな彼女の姿を見て、胸が締め付けられるような思いだった。
「あの、ユケイ様……。助けて頂いた上、誠に厚かましいのですが一つ願いを聞き入れていただけないでしょうか?」
「はい、わたしに出来ることでしたら……」
「ありがとうございます……。ローザがなぜあの様なことをしたのかわたしには全く理解できません。しかし、ローザは処分を受けて当然の行いをしたと思っております……」
「あの、イザベラ姫はローザさんがあの事件を起こした理由をご存知なのですか?」
彼女は黙って首を横に振った。
「アルナーグ王家に個人的な怨みがあるとだけ伺いました……」
個人的怨みというのだろうか。
彼女はイザベラにかかった呪いの元を断とうと、犯行に及んだのだ。
それは逆恨みといえなくもないが、しかし一定の事実を含んでいるのも確かだ。
とりあえず俺は、卑怯にもイザベラの耳にそれが届いていないことに安堵するしかできなかった。
「ユケイ様、お願いです。ローザに手を上げたあの赤毛の侍従。彼女はこのヴィンストラルドに来てから雇った平民だと聞いております。しかも、よりによってローザ自身が選んだと……」
イザベラが言う侍従とは、もちろんマリーのことだ。
「ローザは貴族の身で王族に危害を加えようとしました。それは許されることではありません。そして、平民の分際で貴族に手をあげることも同じです。あの赤毛の女をわたくしにいただけないでしょうか?わたくしが処罰を下したく思います……」
そういうと、イザベラは三度頭を下げた。
俺は目の前が真っ暗になるのを感じた。
手を出すことに許される、許されないというのは、身分の問題ではないはずだ。
イザベラは王族が貴族に、貴族が平民に危害を加えることは良いと言いたいのか?
そもそもマリーがローザに攻撃を仕掛けたのは、あくまで身を守るためだ。
ローザがリッドを犯人に仕立て、処刑台に送ったこととは全く意味が違う。
以前のイザベラは、このようなことを言う人間だったのだろうか。
それとも一連の事件が、彼女をこうしてしまったのだろうか。
もしマリーがこの場にいても、俺は当然彼女を引き渡すつもりはない。しかし俺とは根本的に常識が違うイザベラは、俺がそうしないことを理解できないだろう。
おそらくあの時、イザベラがいた室内からは、マリーがローザに危害を加えたところしか見えなかったのだろう。しかしその前に、ローザに剣を投げつけたのはカインだ。
それを彼女が知ったら、どういう態度に出るのだろうか。
「イザベラ姫……、ご容赦ください……」
俺はそう答えるのが、精一杯だった。
「どうしてですか?代わりの侍従でしたらわたくしが用意して差し上げます」
イザベラの表情を読み取ると、俺の言葉が心底理解できないといった様子だ。
彼女にとって、平民などその程度の存在なのだろう。
当然そんな貴族ばかりではない。
平民だろうと、良き隣人として接する貴族も沢山いる。
しかしイザベラの言葉を非難すれば、少なくとも貴族連中の一定数は、俺に奇異な視線を向けることとなるだろう。
「マリーという侍従は、部屋から金品を盗んで逃走しましたよ」
言葉を失っていた俺に、イルクナーゼが横から口を挟み込んだ。
「まぁ!やっぱり!あのような奇妙な身のこなしの女、普通ではないと思っておりました……!ユケイ様もお気の毒に……」
そういうイザベラは、心底納得した様な、そして微かに嬉しそうな表情を浮かべた。
彼女は何が言いたいのだろうか。
ほらみろ、所詮平民は下賤なものだとでも言いたいのか?
そんなことはない!
そう彼女に言いたくても、彼女はそう教えられて今まで育ってきたのだ。
この世界の貴族として、異端なのは俺の方なのだから。
「イザベラ姫、ユケイ王子のメイドは僕にとっても大切なものを盗んでいったんだ」
「まぁ、イルクナーゼ王子……。そうでしたの?」
「ああ。だから、姫のいう赤毛のメイドは僕の方で裁きにかけるよ」
「……はい。かしこまりました。早く見つかることを祈っております」
「ありがとう。さあ、挨拶も済んだし、そろそろお暇しようか」
立ち去ろうとするイルクナーゼたちを、俺は呼び止める。
「イルクナーゼ王子、イザベラ姫は今後どうされるのですか?」
「心配はいらないよ。貴族街に小さいころ僕が過ごした屋敷がある。そこでのんびり過ごしてもらうさ。生活を制限するものは何もない。もちろん多少の仕事はしてもらうが、賢い姫であれば難なくこなせるさ」
「そうですか……」
とりあえず俺は胸を撫で下ろす。
「忘れてもらっては困るが、僕は君の後見人でもある。ユケイ王子には力を貸して欲しいことが沢山あるが……、それ以上に、僕は君の良き友人になりたいと思っているんだ。よろしく頼むよ」
そう不吉な言葉を言い残し、二人は部屋を後にした。




