賢者の塔 Ⅰ
「……ガラスがありませんな」
案内された部屋をぐるりと見回し、カインがぼそりと呟く。
「申し訳ありません。もともとお貴族様のお部屋ではありませんので、ガラスは冬の間しか填めておりません」
俺たちを部屋へ案内した、栗色の髪の女性は、不機嫌さを隠そうともせずにそう答えた。
一瞬でカインと女性の間に、ピリッとした緊張が走り、俺は慌てて二人の間に割って入った。
「いえ、いいんです。カイン!そんなのどっちでもいいだろ!」
カインもまた、不満気な態度を隠そうとしない。
ウィロットはただ、ハラハラと2人の顔を交互に見返した。
俺たちは謁見のあと、ついにあの牢獄のような豪華な客室を抜け出し、賢者の塔の一室へと居を移すことになった。
俺たちがヴィンストラルドに辿り着いて、もう一ヶ月以上の月日が流れている。
賢者の塔。
魔力の目を持たない俺には、本来全く縁のない場所だ。しかしそれだからこそ、ずっと憧れ続けた場所でもある。
幼少の頃。自分にも魔法と関わる手段があるのではないかと思い、様々な書物を漁った。しかし残念ながら、その全ては徒労に終わる。
それではと望みを託したのが賢者の塔だった。
年を経るごとに、魔力の目を持たない俺が賢者の塔に入ることはできないと理解するものの、諦めきれていたかと言われればそうでは無い。
それが今になって、こんな形で入塔を許されるとは思ってもいなかった。
ヴィンストラルド城が色の濃い石で組まれているのに対し、通称「白い塔」とも呼ばれる賢者の塔は、白みがかった石材で作られている。
客間から見えた賢者の塔は、遠目に見てまるで大聖堂のような趣きだと思った。
実際に入ってみれば、ヴィンストラルド城のような豪華な装飾が施されているわけではなく、それでもアルナーグの城から比べれば幾分豪華……、いや、荘厳と表現すればいいだろうか。
しかし、案内された部屋はお世辞にも立派な部屋とは言えなかった。
「だいぶ牢屋に近づきました。王子が暮らす部屋には思えません」
「それはそちらの王子殿下が、工房と続きの部屋をご所望されたからです」
「これが工房ですか。私は炊事場かと思いました」
カインと案内役の視線が交わり、それが俺には稲光のように見えた。
「カイン!いい加減にしろ!」
「……はっ」
カインはじろりと案内役の女性に目を向けるが、短く返事をして引き下がる。
「カイン様、よく思い出して下さい?カイン様が入った牢屋に比べたら全然豪華ですよ。わたしのオルバートの実家よりも豪華です。それに工房もお勝手も、同じようなものじゃないですか!」
「ウィロット、煽るなよ!」
「えっ?煽ってなんかいませんけど?」
もちろんウィロットにはカインを煽るような意図は無いのだろうが、カインの表情は憮然としたものになった。
とはいえ、カインが言いたいことも理解できる。
板張りの床に、所々石で組まれた柱が剥き出しの壁。窓枠にはガラスがはめられておらず、机の上に立てば手が届きそうに低い天井。
客観的に見て、王族が滞在するに相応しい部屋だとは思えない。
しかし案内人が言う通り、ここは俺が強く望んで手に入れた部屋だったのだ。
「ああ……、やっと工房が手に入った……!」
キラキラと目を輝かす俺に、案内人は奇妙なものを見るかのような視線を向ける。いや、彼女だけでなく、ウィロットやカインも呆れた表情を浮かべていた。
大きな石造りの作業台に、煮炊きができる窯が2つ。壁面の収納には見慣れた工具や、初めて見る工具も整然と並んでいる。
カインたちが言う通り、見方によっては単なるキッチン付きの部屋にも見えなくもない。しかしそれはそれ、ずっと望んでいた工房がついに手に入ったのだ。
謁見の後、ティナードが俺に言った言葉は俺を絶望の縁に叩き落とした。
「王子には賢者の塔の貴賓室を用意します。申し訳ありませんが、部屋からの外出は、禁止させていただきます」
「そっ!それはいったいどうしてですか!?」
「警護上の理由です。外出されたら警護が困難になります。それに、ユケイ王子の情報を隠す為にもしばらくは身を隠しておいて頂きたい……」
彼の言葉は、残念ながら筋が通っている。その上カインもウィロットもそれに賛成しているのだから、俺の意見をねじ込む隙間は全く見えなかった。
それならせめてもの条件として手に入れたのが、この工房なのだ。
どうせ閉じ込められるなら、退屈で豪華な客室よりも見窄らしくも時間を潰すのに事欠かない工房のほうがいい。
しかしこのままでは、カインにせっかく手に入れた部屋をキャンセルされてしまいそうだ。
「とにかく、部屋はこの部屋で問題ありません。ありがとうございます。えっと……」
「あ、申し訳ございません。わたしは研究員のティファニーと申します。イルクナーゼ様より、王子殿下の助手をするように申し受けました」
「助手ですか?」
「はい。左様にございます」
「……そうですか。わかりました、ティファニーさん。よろしくお願いします」
「いいえ、ティファニーとお呼び下さい」
「えっと……、ティファニー……」
「はい。よろしくお願いします」
ティファニーは表情を変えぬまま、スカートの裾を軽く摘んで小さく会釈をした。
年は俺よりもわずかに上だろうか?落ち着いた雰囲気はあるが、おそらく二十歳を超えたくらいに見える。
賢者の塔の研究員ということは、それなりの才能と身分を持ち合わせた人なのだろう。
時折言葉に棘を感じるのだが、俺たちに何か思うことがあるのだろうか。
「それでは、今後研究の際は必ずわたしが同席させていただくことになります」
要するに彼女は目付け役ということだろう。まあ、わざわざそう宣言してくれているんだ。こそこそとされるよりはよっぽどいい。
「わかりました」
「王子殿下、そのような物言いはおやめ下さい。わたしがイルクナーゼ王子殿下に叱られます」
「あ、ああ、そうか。わかったよ」
「はい。それでは本日はこれで失礼します。不自由なことがありましたらわたしに申し付け下さい。あと、後ほどイルクナーゼ王子殿下がこちらにまいられるそうです」
「えっ!?」
正直それは、真っ先に教えて欲しかった。
そしてティファニーが部屋を立ち去った後、まるでそれを見計らっていたかのようにイルクナーゼが部屋へ現れた。




