かすみ草
「ユケイ様、お帰りなさい!どうでしたか?」
部屋に戻った途端、ウィロットが主人の帰りを待ち侘びた犬のように飛びかかってくる。
あまりの勢いに、一緒に部屋へ戻ったミコリーナの肩がびくりと震えた。
「う、うん。どこから話せばいいのかな……」
俺は謁見での出来事を、噛み砕いてウィロットに伝える。
「……で、とりあえずこの部屋は引き払うことができるみたいだ」
「そうなんですね。……それで、どういう意味ですか?」
ウィロットは事態が飲み込めていないようだ。呆れたカインが彼女を手であしらう。
「ユケイ様、僭越ですがよろしいでしょうか?」
「僭越って……。まあ、いいよ。なんだい?」
カインとも長い付き合いだ。彼の物言いと表情で、何か苦言を呈したいことは理解できる。
「これ以上イザベラ姫と関わるべきではありません」
「……ああ、そっちね」
「そっちとかこっちではありません!姫はユケイ様を怨んでいることも考えられます。わざわざ同じイルクナーゼ王子に保護を求めるなんて……」
「カイン、わかってるよ。言われなくてもこれ以上、積極的にイザベラ様に関わるつもりはないよ」
「でしたらわざわざ……」
「イザベラ様のことを思ってそうした訳じゃない。大切なのはイザベラ様個人がどう思っているかじゃなくって、リュートセレンとの関係だろ?こうなってしまったんだ。リュートセレンに恩を売っておいて損はない」
「相手が感謝しなければ、恩を売ったとはいえません。あと……」
カインは口ごもり、ミコリーナの方をチラリと見た。
「刻死病の件からも、手を引くべきだと思います……」
その言葉は、室内に重い沈黙をもたらす。
護衛という彼の立場では、そう考えるのは仕方がないと思う。このまま刻死病の研究を進めれば、当然俺に危険が降り掛かる可能性は高くなる。むしろそれだけの言葉で留めてくれたことに感謝をするべきだ。
もしアゼルがあの場にいたら、話し合いの結論は全く別なものになっていただろう。
「あ、あの……、ユケイ王子殿下……」
ミコリーナが消え入りそうな声を発した瞬間、それを遮ったのはウィロットだった。
「カイン様、そんなこと言っても無駄ですよ!わたしやカイン様が昔、どうやってユケイ様に助けてもらったか忘れたのですか?」
「忘れるわけがないだろう……」
「でしたら、それ以上文句を言ってはいけません」
「ウィロットの言うこともわかる。しかし、それで主人を危険な目に合わせるなんてできないだろう!」
「何言ってるんですか?ユケイ様が危険な目に会うわけがありませんよ。だって、わたしが毒見をしてるんですから!」
ミコリーナは両手を腰に当て、どっしりとカインの前に立ちはだかった。
「……そっ、それっだけでユケイ様の身が守れるというのか!」
「わかってますよ。だから、カイン様ももっと頑張って下さい。マリーもアゼル様もいないんですから、ユケイ様を一人で守らなければいけないんですよ?カイン様はマリ……アゼル様と比べて全然弱いんですから」
「お前……、今マリーより弱いって言おうとしなかったか……?」
「そんなことないです。だからミコリーナさんも、気にしないでユケイ様に助けてもらって下さい。ユケイ様がまた沢山の人を幸せにしようとしてるんです。そんな時にわたしたちがすることは、ただユケイ様のお手伝いをして、お守りするだけです」
ウィロットはそう言うと、両手で小さくガッツポーズをとった。
「……しかしウィロットはそれでいいのか?」
「わたしの大好きなユケイ様は、それくらいのことではへこたれませんから!」
そして彼女は、満面の笑みを俺に見せる。
「ウィロット……」
実際、一番危険な位置にいるのはウィロットかもしれない。
俺を殺害しようとする場合、多くの壁と人に囲まれて生活する俺に直接的な危害を加えるのは難しい。であれば、毒殺という方法をとる可能性が高いのだ。
今から十年前。
ウィロットが俺の前に初めて姿を見せたのは、オルバート領での夕食の場だった。
あの時彼女は俺の毒見役として現れ、目の前に毒見用として出されたスープを口に運ぶのに、四半刻の時間を要した。
俺はあの時の、目に涙を溜め震えながら匙を口に運ぶ彼女の姿を忘れることができない。
時が経ち今の彼女は、料理が冷めないようにと間髪をおかずにそれを喉に流し込む。
俺が毒見は必要ないと何度言っても、それを辞めようとはしないのだ。
今まで一度だけ、彼女は毒を含んだ食材を口にして倒れたことがあった。
それでも彼女の手は、恐怖に止まることはないのだ。
彼女は俺を失いたくないと言いながら、毒見を続ける。
しかしそれは、俺にとっても同じなのだ。それでも彼女は毒見を続ける。
ならば俺に出来ることは、彼女に尊敬される主人であり続けることだけだ。
「ウィロット、ありがとう……。イルクナーゼ王子は最大限俺たちの秘密と安全を確保してくれるって約束してくれたんだ。危険が及ぶことはないと信じよう」
「それは信用できるのでしょうか?」
カインが口を挟む。
「信用するしかないだろ?あの王子は、そんなくだらない所では裏切らないさ」
「それはどういう意味ですか?」
「お互いに利用価値があるってことだよ。当たり前だけど、みんな手強いからね。俺は謁見の場で、完全に彼の手の上で踊らされていた。けどさ、踊れているうちはイルクナーゼ王子は全力で俺の味方だよ」
「それでよろしいのですか?」
「とりあえず今回は、俺とイルクナーゼ王子の目的は一致したんだ。それに俺だって、いつまでも彼の言いなりになるつもりはないよ。大丈夫。儲ける手段は考えてあるさ」
「ふふふ、それでこそユケイ様です!」
ウィロットが楽しそうに笑う。
「これで、俺にも多少の自由が認められるだろう。ずいぶんと時間はかかったけどさ、やっと俺もヴィンストラルドの街を堪能することができるよ」
「それはどうでしょうか……。わたしとしては、ユケイ様はずっとお部屋にいてくれた方が楽ちんなんですけど。ユケイ様はかなり巻き込まれ体質ですから」
「いやいや、ウィロットがそれを言うか?ウィロットの方がよっぽどそうだろう?」
「えぇ?そうですか?」
「そうだよ。カインはどう思う?」
急に矛先を向けられたカインは、視線をそらして口ごもる。
「そ……、それは……、そんなことどちらでもいいではないですか。それより、ウィロットの言う通り好きに出歩かれては困ります」
「いや、自分の立場はわかってるんだから、好きに出歩くつもりは無いけど……。カインも俺を巻き込まれ体質だって思ってるのか?」
彼は視線を合わせようとしない。どうやらカインも、ウィロットと同意見のようだ。
そんな俺たちのやり取りを見て、ミコリーナが小さく笑い声をあげた。
「も、申し訳ありません!」
そいう言って頭を下げる彼女は、笑顔のままだった。
それはまるで、山間の朝霧の中から姿を覗かせた、小さな白い花のようだった。




