双頭の蛇 Ⅴ
「ユケイ王子、アルナーグでは皆そう考えるのかい?そうでなければ、もっと色々なことを学ぶべきだ。キミのお父様やお兄様に、多大な迷惑をかけることになる」
イルクナーゼは呆れた表情で俺を見る。
何か大変なことを言ってしまったのか?
いや、周りの空気から察するに、きっとそういうことなんだろう。
アルナーグでは政教分離がなされている。しかし、この時代においてそれは常識ではない。フラムヘイドのように完全な政教一致を唱えている国もあるし、ヴィンストラルド王家やリュートセレン王家、そしてアルナーグ王家もまた聖教徒だ。
前世のローマ皇帝が教皇の任命がなければ帝位を得られなかったように、神の代弁者であるバルボア教皇を蔑ろにすれば、王位というのは危ういものとなる。
そう考えれば、今のは完全な失言だった。
「申し訳ありません、先日まで離宮に閉じ籠っていましたので……。不用意な発言でした。謝罪いたします……」
「王子が自ら謝罪してるんだ。今の話は聞かなかったことでいいよね?」
イルクナーゼは一同を見回す。
「ふん。その言葉がエヴォンの耳に入らないよう、神に祈るんだな」
「ふふふ、兄さんは上手いことを言うね」
「余計なことを言うな」
「僕は兄さんのユーモアを褒めているんだよ?……さて、ユケイ王子はどうして刻死病にこだわるんだい?」
「私はミコリーナの事情を知ってしまいました。先ずは彼女の病気を治したいと思います」
「勘違いをしているかもしれぬが、彼女は平民だぞ?」
アルベルトは理解できないといった様子だ。
「この場合、それは関係ありません。そして私は知りました。彼女のような境遇の人は多く存在し、そして彼女の父のように治療ができずに命を落とす人も多くいるということを。教会の活動で、全ての刻死病患者が救えるのであればいいでしょう。しかし、そうでないのなら、克服の方法は見つけるべきです。次に病にかかるのは、貴族かもしれませんし王族かもしれません。そして聖職者かも知れないのです」
「なるほどね……。刻死病の治療が商売になるという見通しかい?」
「そうではありません。治療に多くのお金がかかるのであれば、それは搾取する者が教会から他に代わるだけです。それでは誰も納得しないでしょう。この事業で儲けを考えるべきではありません」
「……しかしユケイ王子には、魔石顕微鏡と中空針を販売する利益が出るんじゃないかい?」
イルクナーゼはさらりと言葉を付け加えた。
別にそんなつもりはないが、あまりにも無欲では疑いを持たれる。
刻死病がアルナーグで流行しているというのであればともかく、無償の善意というのは人に理解されないものだ。
「顕微鏡と中空針の利益など、微々たるものです」
「儲けないとは言わないんだ。正直だね」
「しかしそれ以上に、国王陛下は多くの称賛を浴びることになるでしょう。私に名声は不要です」
「手柄は我々に譲るっていうのかい……?」
俺の意見はある程度の理解を得られただろうか?
理想を言えば、国王派閥と賢者の塔派閥が手柄を争ってくれればなおいい。それぞれの立場が自分の手柄だと主張してくれれば、それは俺の存在を聖教会から隠すための衝立になる。
最初に口を開いたのは、アルベルトだった。
「ユケイ王子よ。魔石顕微鏡や中空針の利益以外は要らぬというのだな?」
「はい。それ以上はいりません。ただその代わりに、それらの販売と製造に関する権利を認めて頂きたいです」
その言葉にイルクナーゼが反応する。
「権利というが、その道具の需要にユケイ王子が持つ生産力だけで対応できるのかい?」
「そもそも生産力が足りなくなるほど需要は産まれないでしょう。それに私は商人です。需要があるのに商品を作れないなどという愚は犯しません」
「ふふ。キミは王子かと思っていたんだけど、自分を商人だというのかい?しかしそれなら、ユケイ王子の儲けが少ないんじゃないかな?」
「そんなことはありません。注ぎ過ぎた酒は膝を濡らすという言葉があります。それに、商人にとって権利というものは何物にも代えられぬ宝。それ以上に、私の存在が必要であれば私を不慮の事故から皆さんが守ってくれるでしょう。それが一番の利益です」
落とし所としては悪くないはずだ。
俺はわずかではあるが権利と身の安全を得て、ヴィンストラルド側は名声を得る。そもそも刻死病の問題が解決すれば、国にとっては大きな利益となる。
「それでは不十分だ!」
その声はアルベルトのものだった。
欲張り者は身を滅ぼすというアドバイスは、彼の耳には届かないらしい。
「刻死病に関する技術を他国より先に手にするべきだという意見はわかった。しかし、それをリュートセレンや聖教会に理解させるには、エヴォンの協力が不可欠だ。今のままではあまりにもエヴォンにうまみがない」
彼の言葉は、要するに第二王子にも何か利益を提供しろということだ。
そんなことそちらで考えてくれよと思うが、ここは首を縦に振るしかない。
「私がお役に立てることがあれば、何なりと申し付け下さい……」
しかし、先ほどからアルベルトはエヴォンのことをやたらと気にしているように見える。一方のイルクナーゼは、エヴォンに対しての対応は冷ややかだ。
まあ、国王派閥としては教会勢力と賢者の塔の均衡を取りたいと思っているのだろうか?それにしては、先ほど教会を蔑ろにするような発言もあったということだが。
一方賢者の塔側とすれば、教会側の勢力は削れる時に削っておこうという考えなのだろう。
「まあ良い。仔細はまた後ほど詰めるとしよう。それではユケイ・アルナーグ王子、其方は第一王子である俺の客人として迎えよう」
「兄さん、ちょっと待ってくれよ。ユケイ王子は僕の客人として迎えるべきだ」
「……何故だ?」
アルベルトの宣言に、イルクナーゼは間髪を入れずに異を唱えた。
「ユケイ王子には刻死病の研究をしてもらわなければいけない。だったら、賢者の塔で預かるべきじゃないか?」
「そんなことは城でもできるだろう」
「城でもできるかもしれないが、急ぐのであれば賢者の塔で行った方がいいんじゃないかな。設備も人員も揃っている」
「……それでは、城から賢者の塔へ通わせればいい」
「そんな危険を犯すべきじゃないよ」
「賢者の塔では十分な警備はできないだろう」
「そんなことはない。それに、兄さんの客人が賢者の塔に受け入れられると思うのかい?」
「ぐっ……、それは……」
アルベルトは分かりやすく言葉を詰まらせる。
どうやらアルベルトは賢者の塔に良く思われておらず、彼自身それを自覚しているようだ。
「ユケイ王子よ、其方はどう考える」
「それは、私ごときが口にすることではありません。全てはバイゼル王陛下の命に従います。しかし、許されるのであれば一つだけお願いしたいことがございます……」
「なんだ。申してみよ」
バイゼルが重い口を開いた。
「リュートセレンのイザベラ姫にも、同様に手厚い保護をお願いしたく思います」
「リュートセレンの姫?」
アルベルトは何のことだと言わんばかりの表情を見せる。
「兄さんはいなかったけど、先日謁見しただろ?」
「ユケイ王子がなぜその姫のことを気にするのだ」
「イザベラ姫はユケイ王子の従兄妹になるんだよ」
イルクナーゼはそう答える。
少なくとも俺は、イザベラと自分の関係をここに来るまで知らなかったのだが。
「ふん。そんなことか」
「そんなことってことはないんじゃないかな?血の繋がりは大切だよ。……それじゃあ、ユケイ王子もイザベラ姫も、両方とも僕が客人として受け入れよう。もちろん費用も僕が二人分負担をする。兄さんはお金をそんなことに使っている場合じゃないんじゃないかな?」
「それくらいの金、何の問題でもない」
「そうだろうね。けど、研究にも莫大な費用が必要だよ?」
「……イルクナーゼにはそれがあるとでも言うのか」
「いいや。けど、出資者には心当たりがある」
「……ふん。手柄をお前の物だけにはさせぬぞ」
「それはもちろんだよ。それにユケイ王子はきっと、兄さんの悩み事にもきっと知恵を貸してくれるさ」
「……勝手にしろ」
アルベルトは最後にそう吐き捨てると、先んじて一人謁見の間を後にした。
これで良かったのだろうか。
結果的には俺はあの忌々しい客間を出て、賢者の塔に移るということか?
イザベラのことも刻死病のことも認められ、全ては望み通りになったと言える。
しかしこの謁見を振り返れば、終始イルクナーゼに導かれるままだったのではないだろうか?
ふと彼と目が会う。
彼は俺に、旧知の友に向けるかのような笑顔を見せた。
その笑顔は俺に、蛇の口から伸びる真っ赤な舌を連想させた。




