神の奇跡と人の奇跡 Ⅸ
「ユケイ王子殿下、ご機嫌麗しゅうございます……」
そういうミコリーナの表情は、微かに狼狽えているかのようにも感じられる。
「ミコリーナ、呼び出してしまってすいません」
「い、いいえ……」
「刻死病を治療する方法が見つかるかもしれません」
「……それは、ほんとうですか?」
「はい。ただ今は、まだその原因を探る段階なのですが。原因がわかれば治療に向けて大きく一歩を踏み出すことができます。どうか協力していただけないでしょうか?」
俺の言葉に、ミコリーナの表情は困惑の度合いをさらに深める。
これは……どういう風に解釈すればいいのだろうか?
刻死病の治療は彼女が最も望むもののはずだ。しかし、彼女の様子からはそれを歓迎しているような気配は感じられない。
「ユケイ王子殿下、申し訳ありませんがわたしには治療費をお支払いすることができません。治療は別の方でお願いします……」
彼女はそう答えると、深々と頭を下げた。
「えっ!?ちょっと待ってください!治療費を取ろうなんて考えていません!」
「治療費を取らない?……それでは、わたしに何をしろとおっしゃいますか?」
「何をって……。治療の代わりに何かを要求しようなんて思っていませんよ!」
「それでは、何をお考えなのでしょうか……」
よく見ると、彼女は小刻みに震えているようだった……。
「私はただミコリーナの刻死病が治ればいいと、ほんとうにそれだけなんです。あなたから何か見返りを求めようなんて思ってもいません」
「……そんなことがあるのでしょうか?」
「それくらいの善意は持っています」
「善意……ですか?」
彼女はまるで、善意という単語を初めて聞いたかのように俺に問い返した。
「はい。もちろんそれだけではありません。もしかしたら私は、誰もできなかった刻死病の克服ができるかもしれないという好奇心もあります……。いえ、正直にいえばその方が強いのかもしれません」
「好奇心……」
ミコリーナは、まるで不思議なものを見るかのような視線を俺に向けた。
そんな彼女を見て、ウィロットがくすりと笑い言葉を付け足した。
「ユケイ様は変わってるんです。困っている人がいたら誰でも助けようとしてしまいますし、不思議なことがあると何でも首を突っ込んでいくんです。お人好しでちょっとぼーっとしてるところもあるんですけど、基本的にはとてもいいひとですよ」
ウィロットの軽口を聞いてカインがジロリと彼女を睨むものの、空気を読んでか特に何も口には出さなかった。
彼もだいぶ丸くなったものだ。
「それでも……、わたしは平民です」
「わたしも平民ですよ?けど、ユケイ様はとっても親切でしょう?」
「親切……?お貴族様が……?」
ミコリーナはなおも信じられないといった様子だ。
「ミコリーナ、私は決して無理強いをするつもりはありません。本当に刻死病が治せるとわかったわけではありませんし、治療の過程であなたを傷つける必要もありますから。それに、慎重になることはとても大切だと思います。しかし、あなたは多くの人の善意に恵まれてここにいるのではないですか?そこまで警戒する理由が何かあるのですか?」
ミコリーナは黙って俺の話を聞いている。
そしてしばらく何かを考えた後、一瞬だけ俺に冷ややかな視線を向けた。
「……わたしが産まれたムジカ村は、山奥の本当に寂れた村でした。日々の生活を営むことがやっとで、それでもなんとか父と母とわたしの三人で、貧しいですが幸せな日々を送っていたのです……」
ふとウィロットに目を向けると、彼女は真剣な表情でミコリーナの言葉に耳を傾けていた。
それもそうだろう。彼女自身幼い頃に父親を亡くし、冬籠りのお金を稼ぐために農奴として売られたという過去を持つのだ。
形は違うが、二人の境遇はとても近いものがある。
その後ミコリーナは父を刻死病で亡くし、自らも刻死病にかかったために王都まで雇われて来たのだ。
辺境の村には、癒しの奇跡を行える神官が常駐しているわけではない。
神官もある種の特権階級だ。わざわざ冬の季節を辺境の村で過ごすことなどしないだろう。刻死病の治癒で神官の奇跡を受け続けるには、ある程度大きな街に出るしかないのである。
「村を出たことを後悔しているのですか?刻死病にかかったのは悲劇ですが、村にいては命を落とすのを待つしかなかったのではないでしょうか?」
「それはわかっています……。それでも、わたしはムジカ村に残るべきでした……」
「それは……、死を迎えることになってもですか?」
彼女はぎゅっと強く口を絞り、握り締めた拳は小刻みに震えている。
やがて彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「父は刻死病にかかっても、死の直前までわたしのそばにいてくれました……。それなのに、わたしは母を捨てて一人で逃げてきてしまいました……」
「それは……、お気持ちは察しますが、仕方がなかったのではないでしょうか?」
その言葉に反応し、ミコリーナがキッと俺を睨む。
「仕方がなかった……?仕方なかった……。それで済まされるのでしょうか?わたしは母が今何をしているのか知りません。元気にしているのか、もしかしたらわたしと同じく刻死病にかかっているかもしれません。それに、母からしてもわたしが何処で何をしているかもわからないでしょう……」
「それでも、ミコリーナは無事に生きているではないですか……。それに、立派な仕事をされていると思います」
「確かにこの綺麗に着飾ったドレスを母に見せられればそう思ってもらえるのかもしれません。しかし、わたしが仕事で得たお給金はすべて教会の寄付へと消えていきます。そして、教会の寄付は日に日に高い金額を要求されるようになっています。時には寄付金が足りなくて、望まぬ仕事をしなければいけないこともあります……。ただ寄付金を稼ぐだけで、故郷へ手紙も送れないこんな日々。それは生きていると言えるのでしょうか?この優雅なドレスも、わたしにとっては鳥籠にかけるカバーで、その下のファージンゲールもわたしを捉える鳥籠なのです……」
それでも刻死病にかかって今まで生きながらえている彼女は、相当に幸運だっただろう。それは彼女自身理解しているはずだ。
彼女はその卓越した記憶力により、自分が一生治療を受けられるお金を稼ぐことができる。多くの人は、いずれ資金が底をつき、治療を断念せざるを得ないのだから。
いや、ミコリーナの後悔はそこではない。
ムジカ村での生活はきっと苦しいものだっただろう。それでも彼女は両親の手によって、嵐の中で蝋燭の火が護られるように大切にたくさんの愛を受けて過ごしてきた。しかし時が経ち、彼女を風から護ってきた手の一つがなくなったのである。
片手では風を防ぐことはできない。彼女が嵐の中から旅立つことを、誰が非難できるだろうか?
しかし彼女の母にしてみれば、極寒の中で暖を取る手段もまた、小さな小さな蝋燭の火だけであったのだ。
彼女がそれに気づいたのは、ヴィンストラルドの本に囲まれた牢獄に入ってからだった。
「ミコリーナは、ここに来たことが間違っていたと思っているのですか?」
「……わかりません。わたしがした選択が、正しかったのかどうか、わからないんです……」
彼女の肩は小刻みに震え、絞り出すように発するその声には慟哭にも似た嗚咽が混じる。
彼女は俺と同じだ……。いや、俺だけじゃない。ウィロットとも同じであり、カインとも同じである。多くの人が、望んで今立っている場所にいるとは限らないのである。
しかしそれでも、精一杯生きるしかないのだ。
「ミコリーナ、あなたの気持ちがすべて分かるとは言いません。人生は常に何かを選択し、同時に何かを切り捨てなければなりませんから。しかし、選択自体が人生でしょうか?正しい選択をしたとしても、その後で何もしなければその選択は結果を産まないでしょう。間違った選択をしたとしても、その後で必死にもがくことによって、間違った選択が正しかったと思える時がくるかもしれません。あなたが刻死病にかかった時、残りの人生をムジカ村で母と穏やかに過ごすという選択肢がありました。しかし、あなたは一人で村を出ることによって、私と出会い新しい可能性が産まれたのです」
「新しい可能性……?」
「はい。あなたの刻死病が治せれば、全ての人の刻死病が治せるということです。もしかしたらあなたの刻死病は治せないかもしれません。それでも、もしかしたらあなたが最後の被害者で終わるかもしれません……」
ミコリーナはグッと俯いて、俺の言葉に耳を傾けている。
「子はいつか、親の元を離れます。それにはいろいろな形がありますが、いつか絶対に例外なくその時は訪れます。幸福な別れ、不幸な別れがあるでしょう。あなたが一番望んでいなかった別れは、お父様との別れのような死によるものだったはずです。であれば、あなたのお母様も同じように考えていたのではありませんか?」
「それは……」
「きっとあなたのお母様も、目の前であなたがただ弱っていくのを見守るより、離れていてもどこかで無事に生きていることを願ったはずです」
「……はい」
「一緒に刻死病の研究を行いませんか?あなたからはお金は一切いただきません。当然です」
「当然……ですか?」
「だって、刻死病の治療法が見つかれば、あなた以外の人からたっぷりとお金を稼ぐことができるんですからね」
「まぁ……」
俺の軽口に、ミコリーナはぐしゃぐしゃな泣き顔のまま小さく笑った。
もしかしたら彼女は、俺が貴族の立場で何か無理な注文をしてくると思っていたのだろうか。
先程彼女が言った「望まぬ仕事」がどんなものなのか詮索するつもりもないが、身の上を思えばそう考えるのも致し方がない。
「大丈夫ですよ。ユケイ様はそんなことをいってもお優しい方ですから。きっとお金持ちからお金を稼ぐ方法を考えてくれます」
ウィロットが口を挟んできた。
「わたしもアルナーグでユケイ様にお仕えするようになって、もう何年も家族と会えていません。けど、それは後悔しないようにしてるんです。ユケイ様にお仕えすれば、きっとこの世界のみんなを幸せにしてくれると思うので」
「世界のみんなって……、それはずいぶんと大きな話だな……」
「そうですか?ユケイ様のおかげで、わたしの生まれ故郷はとても豊かになりました。ユケイ様のおかげで、アルナーグの街は水車がとても安く使え、商隊もとても賑わっていますよ?」
「まあ……、それはすべてたまたまだよ」
「そんなわけないじゃないですか。ミコリーナ様も、病気を直してユケイ様にお仕えすればいいと思います。きっといつか、ムジカ村にも連れてってくれると思いますよ」
ウィロットはそう言って、ミコリーナにニカっと笑いかける。
「わたしの友だちが、コルセットをつけているとすぐに体調を崩すんです。それでも友だちはコルセットを外そうとはしないんですよ。それで、わたしが彼女になんでそれを外さないの?って聞いたら、なんて答えたと思います?」
ミコリーナは黙って首を横に振る。
「ファージンゲールとコルセットは、自分にとっての鎧だからだと言っていました。鎧なのか鳥籠なのか、人から見れば呪いかもしれないですけど、わたしから見れば全部同じに見えます」
その友だちとは、言うまでもなくイリュストラ姫のことなのだろう。
一国の姫を友だちだと言い切る彼女に、末恐ろしいものを感じる。
しかしミコリーナは、そんなウィロットの言葉を聞いてにっこりとうなづいた。
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