神の奇跡と人の奇跡 Ⅳ
俺は自分の記憶を辿り、顕微鏡の作成に必要と思われる物を書き出す。
レーエンフック顕微鏡。
前世の一七世紀、オランダの商人であり化学者でもあるアントーニ・ファン・レーウェンフックが作り出した顕微鏡である。
それは現代で使われたレンズを複数組み合わせるような複雑な形ではなく、一つの小さなガラス玉と板を組み合わせただけの単純な構造だった。
しかし彼はそれにより微生物を発見し、後の世に「微生物学の父」と呼ばれることになる。
「えっと……、部品自体は珍しいものではないんだけど……」
俺の手元をウィロットが興味深げに覗き込む。
「ユケイ様、この『ミール』って単位はなんでしたっけ?」
「えっと、ミールっていうのは十分の一シールだよ。百シールが一リール、十ミールが一シール」
確かにこの世界ではあまり聞きなれない単位だろう。ミリ単位の精度を求められることは、職人でもなければそうそうない。
俺の言葉に興味を覚えたのか、今度はマリーがメモを覗き込んだ。
「ずいぶん細かく指定するんですね」
「うん。重要なことだからね。あと、このガラス玉っていうのはできればザンクトカレン製の物がいいな」
「ザンクトカレンですか?」
「うん。あそこのガラスは品質がいいからね。透明度が高くて歪みが少ない物がいい。それでももっと磨かないといけないかもしれないから、そのための道具と磨き粉も用意してくれ」
俺は同じメモを二枚作り、それぞれをウィロットとマリーへ手渡した。
「このガラスの板っていうのもザンクトカレン産ですか?」
「うん」
この時代には、まだガラスを最初から板状に成型する技術はない。
では、どうやって窓に嵌めるような板ガラスを作っているのか?
それは、まず吹きガラスの製法で縦長のガラス瓶を作り、それが冷えて固まる前に切り開いて板状にするのである。
要するにトイレットペーパーの芯に縦に切れ込みを入れ、開いて板状にするということだ。
製法上、ガラスの板にはどうしても縦方向の歪みが発生することになる。それでもザンクトカレンで作られる板ガラスは、非常に歪みが少なく透明度が高いことで有名だった。
メモに書かれた品に目を通し、マリーは怪訝な表情を浮かべる。
「三から五ミールほどのガラスの玉をいくつか、紙ほど薄い鉄の板と普通の鉄板、薄くて透明度の高いガラス板、膠、絹糸、工具類……。ミコリーナ様にアクセサリーでも手作りしてプレゼントされるのですか?」
そう言われて俺は、自分の書いたメモを見返した。
純度の高いガラス玉は宝石のように扱われる。特にザンクトカレン産のものは場合によっては安価な宝石よりも価値を持つことがままあった。
ザンクトカレンには、ヴィンストラルド国内で最大の大聖堂がある。そこに作られたステンドグラスの荘厳さは国内外にも有名で、同時にそれを元にガラス工芸が発展した街だ。
「ははは、確かにそう思われてもしょうがないね」
ウィロットが俺とマリーの間に割り込んでくる。
「ほんとうにプレゼントじゃないんですか?」
「ち、違うよ……」
「ミコリーナ様綺麗な方ですよね。読書好きですし、ユケイ様と趣味も合いそうです」
「病気の検査に使うための道具を作るだけだってば」
「……まあ、別にどちらでもいいですけど」
そんな俺たちのやり取りを、マリーが心底どうでもよさそうな表情で眺める。
いや、そもそもマリーがプレゼントなんて言い出すからこうなってるんだが……。
「……そうか、アクセサリーか」
考えてみれば、マリーの言う通りその材料は全て細工師の工房へ行けば手に入りそうだ。高品質な細工を卸す工房であれば、当然その部品も品質の高いものを使っているだろう。
「細工師の工房へ行けば、部品を分けてもらえないかな?」
「どうでしょうか。ただ、材料は製品より人目に触れさせたくないこともあります。簡単には譲ってくれないかもしれません」
「確かにマリーの言う通りかもしれない。多少お金がかかってもいいから、ヴィンストラルドで一番の工房で部品を探してきてほしい。念のため王家の紋章も持っていってくれ。けど、くれぐれも相手の要望にそって買い取ってきてくれよ?立場を利用して無理矢理奪うなんてことは絶対にいけない。あとは部品でアクセサリーを作って商売をしないということを約束してきてくれ」
「はい、わかりました」
マリーはぺこりと頭を下げ、ウィロットは後ろから見てもわかるほど頬を膨らませていた。
翌日、マリーは城の護衛と連れ立って職人街へと出かけた。
本当は昨日のうちに使いを出したかったのだが、大金と王家の紋章を持たせるのだから護衛をつけないわけにはいかないだろう。その調整に一日が必要となった。
職人街と聞くだけで胸が躍るが、俺がそこを訪れる機会はそうそう来ない。
ウィロットにも一緒に出かけるように勧めたのだが、彼女は頑なに俺の側から離れようとはしなかった。理由は聞かなかったが、おそらくローザとの一件が彼女の胸に影を落としているのかもしれない。
その間彼女は部屋に残り、城から借りた蒸留機で蒸留酒からアルコールの生成を行ってもらう。
そして夕方部屋に戻ったマリーは、しっかりと俺が望む物を手にして帰ってきた。
「ユケイ王子、いかがでしょうか?」
机の上に並べられた品物を一つ一つ確認する。
それらの多くは概ね俺が望む基準に達していたが、プレパラートに使おうと思っていたガラスの板だけは厚みがありすぎて使い物にはなりそうにない。
おそらくこの世界の技術では、プレパラートのような薄さのガラスを作ることは不可能だろう。
「うん、十分だよ。ありがとう。よくこんな短期間で全て集めることができたね?一応確認だけど、工房に無茶なお願いなんかはしていないよね?」
「最初は全く話を聞いてもらえそうなかったのですが、紋章を見せた途端にすごく親身に対応していただきました」
「え?そうなんだ」
「それはそうだと思います。細工師たちはお貴族様相手の商売です。お貴族様からの依頼でしたらよっぽどのことでない限り断られることはないでしょう」
「ああ、確かにそうかもしれない。けど、こんなにすぐ集まるなんて思ってなかったよ」
「ユケイ王子のメモどうりのものが工房にありましたから、その中から質が良さそうなのを選んでもらっただけですので。新しく作ったものは一つもありません」
「そうなんだ……」
それならいっそのこと、設計図を渡して細工師に作ってもらった方がよかったのではないだろうか?
部品が既に揃っているということなら、すぐにでも生産が開始できるということだ。
「これって商売になるかな……」
「なんですか?」
「あ、いいや、なんでもないよ」
そもそも今の時点では設計図が存在しない。
それに、現時点では需要がないだろう。
あくまで現時点ではだが。
レーエンフック顕微鏡は前世で俺が小学生の頃、理科の実験で作った。
用意されたガラスの玉と、穴を開けたペットボトルの蓋を組み合わせるだけで完成だ。
あの時作ったのは、拡大倍率がせいぜい10倍程度のもので、髪の毛や葉の葉脈を観察した記憶がある。
しかし、今回はそんな程度の倍率では全く足りないはずだ。
なんせ体組織内の寄生虫を発見しなければいけないのだから。
最終的にレーエンフック顕微鏡は倍率が三百倍にも達したそうだ。それを目指すには、俺自身が試行錯誤する必要がある。
「それで、これらをどうするのですか?」
「うん。作らなきゃいけないのは顕微鏡と注射器だ」
マリーは後学のため、俺の言葉を書き留めていく。
「けんびきょうとちゅうしゃき?」
「うん。顕微鏡っていうのはね、小さい物を大きく見えるようにするための物だよ」
「えっと、それは「遠目の魔法」のようなものでしょうか?」
「うーん……。効果としてはとても近いけど、目的が違うって感じかな?」
「目的ですか?」
「遠目の魔法は遠くのものが近くに見える魔法で、顕微鏡はとても小さなものがとても大きく見える道具……かな?実際のところは遠目の魔法がどう見えるのか分からないから、違うのかもしれないけどね」
俺の答えを聞いて、マリーは首を捻った。
「注射器っていうのは……、まあ、とりあえず作ってから説明するよ」




