神の奇跡と人の奇跡 Ⅲ
日本住血吸虫症
それは前世において、既に克服された病気だった。
克服といっても根絶させたわけではないが、前世の祖国において、それに苦しむ人は稀だ。
それでもその病気の知名度は決して低くない。テレビ番組で何度か特集を組まれた事もあり、Wikipediaの名物記事としてもネットで話題に上った事があったため、俺の記憶にも深く残っている。
日本住血吸虫症と刻死病は当然同じ病気ではない。
しかし、類似点も相当にある。
それは水路に住む巻貝から人間に寄生する吸虫によって引き起こされる。哺乳類の血液を栄養とし、雄が雌を体内に取り込んで雌雄一体になって生活をするという特殊な性質を持っていた。
初期症状は、体に痣のような炎症が現れ、末期には全身に炎症が広がり衰弱して死に至る。
過程の違いはあるがこの点は刻死病と同じといっていいだろう。
「えっと……、虫……ですか?」
「うん、そうだね」
「虫って、あの飛んだり跳ねたりするヤツですよね」
「うん、まあ、そういうのもいるけど……」
ウィロットが不思議そうな顔をする。
その気持ちはわからなくもないが。
「マーフのこと覚えてる?」
マーフとは、俺とウィロットが幼少期を過ごしたオルバート領の屋敷で、炊事場を預かっていた女性だ。
「はい。もちろん覚えてます」
「彼女がサルモネが苦手だってはなしがあっただろ?」
「ああ、はい。サルモネの中の虫がお腹の中で食いつくってやつですよね」
「うん、そうだね。どちらかというとアレに近い虫かな」
「はあ……」
ウィロットはそう言って首を捻った。
この世界においても、アニサキスのような寄生虫による食中毒は発見されている。ウィロットも調理を行うため、実際にその姿を目にしたこともあるだろう。しかし、それとこれとが同じということを結びつけるのが難しいようだ。
この世界では体調不良はだいたい精霊のせいにされる。
体内に宿るとされる精霊のバランスが崩れることにより、さまざまな病変が現れるという考えだ。
病気の中にはそうとしか考えられないものもあるのでそれを否定するつもりはないが、俺にしてみれば虫が引き起こしたという方がよっぽど理解の範疇にある。
「サルモネの中にいる虫が原因でお腹が痛くなるみたいに、他にもいろんな虫のせいで病気になることがあるんだよ。刻死病もそれが原因なのかも知れない」
「どうしてそう思うんですか?」
「それはね、ウィロットとマリーが調べてくれたデータの偏りがその可能性を表れているんだよ。俺が知っているか虫が引き起こす病気に、とても似ているんだ」
俺は二人にまとめてもらった表を机に広げ、一つずつその偏りについて仮説を作っていく。
「例えばどういうことですか?」
「えっと……、例えばこれかな」
俺は資料の中で、マリーが作成した性別と季節による発生数の違いについてまとめたものを取り出した。
集計した結果、春から秋にかけては男女の発生率に差は見られないが、冬場においては男性の発生率が減少しているというものだ。
「世の中には性別によってかかりやすい病気とかかりにくい病気がある。けどこの場合は、性別の違いというより行動の違いが原因なのかもしれない。例えばさ、ムジカ村の周りでは、平地と違って稲作が行われている」
「稲作ですか?」
「うん。つまり水田があるってことだね」
この世界での主食は小麦ではあったが、稲作も少量ではあるが行われている。
前世のように白米を炊いて主食にするというより、リゾットのように煮て調理されるのが一般的だ。
「水田?」
「簡単にいうと、水を張った畑みたいなものかな。稲作は男女に関わらず、春から秋にかけて農作業を行うことになる。水田に水を張るのはだいたい五月くらいで、しばらく水は張ったままだ。水田以外にも、農作業には多くの水を使うだろう」
「それはそうですね。お水がなければ植物は育たないですから」
「それじゃあ冬場はどうかな?」
俺の問いに対して、真っ先にウィロットが答える。
「オルバートでは、冬はずっと冬籠です」
「あそこは冬が厳しいからね。町から出ることはほとんどない。けど、この刻死病が発生している地域はどうだろうか?」
二人はしばらく考え込み、マリーがそっと口を開く。
「この地域は冬でも山が雪に閉ざされることはないはずです。男性は狩りとか……、炭作りでしょうか?」
「うん。ミコリーナはムジカ村で炭焼きをしているって言っていた。彼女の村だけじゃなくて、山間部の農村では冬の間に炭を作って生計を立てることが多い。気温の低い冬の方が品質のいい炭が作れるからね。薪を取ったり狩りをしたり、どれも男性がすることが多い仕事だ。じゃあ、女性はどうかな?」
「女性は内職をして……、あとは家事でしょうか?」
「うん。炊事をしたり洗濯をしたり……」
「冬場は女性の方が水に触れる機会が多いということですか?」
「うん、そうかも知れない。じゃあ次は、この資料と水を合言葉に考えてみよう」
次に取り出したのは、大人と子供の刻死病が発生する場所の分布についてまとめた資料だ。
資料からは、子供は全身に発生が分布するのに対して大人は四肢の先端にまとまって発生しているということが読み取れる。
マリーは広げられた資料を、穴が開くようにじっと見つめる。
「これはもしかして……、水に触れる場所に刻死病が発生しているということでしょうか?」
「その可能性は十分にある」
つまり大人は、農作業により足や手の先端が主に水に触れることになる。それに対して子供は、水遊びなどで全身に水を浴びることがあり、農作業の手伝いをしても体が小さく不慣れなため、全身に水を被る可能性が高くなるのだ。
「ユケイ様、わたしがまとめた資料は役に立ちませんでしたか……?」
ウィロットが寂しそうに、そして少し恨めしそうに俺を見上げる。
「そんなことないよ。きっかけはウィロットがまとめた資料だからね。左右の足で発生率の違いがないのに、左手より右手の方が発生する確率が高いって言っただろ?」
「はい……」
「農作業をする場合、当然利き腕の方が水に触れる可能性は高くなる。それに気がついたのはミコリーナの刻死病が左手にあって、彼女が左利きだってウィロットが言ったからだ」
「それじゃあ……」
「うん。ウィロットがいなければ気づくのにもっと時間がかかっていたはずだ。ありがとう、ウィロット」
ウィロットは恥ずかしそうに体をくねらせ、うふふと聴きなれない笑い声をあげる。
「それでもユケイ王子、虫と水が原因だって言われてもわたしには理解できません。水に住んでいる虫が噛み付いて、病気が起きるっていう意味ですか?」
「それはもっと調べてみないとなんとも言えないんだけど、虫自体が体に入り込んで刻死病の原因になっているんじゃないだろうか?」
「……虫が入り込む?」
マリーが疑問に思うのも仕方がないだろう。
例えば蚤やダニ、毛じらみも寄生虫だ。それらやアニサキスのような体内に寄生するものは理解しやすいだろう。
前世でも、回虫に関してはその発見は紀元前にまで遡る。
しかし、吸虫のように小型で体内に侵入するような寄生虫は、十分な知識がなければ理解し難い。そしてそのようなものはこの世界ではまだ発見されていないため、その知識自体が存在しないのだ。
つまり、俺がたてた仮説は検証することができず、そのための道具も存在しないということになる。
そもそも俺がたてた仮説が正しいという確証はない。ミコリーナの刻死病を治療するのであれば、その証明から行わなければならないのである。
そしてその証明に必要な物は……。
「顕微鏡と……」
「けんびきょう?なんですか?」
「ウィロット、マリー、これから俺が言うものを集めてくれ」




