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才の無い貴族と悪魔王  作者: そんたく
ファージンゲールとコルセット
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科学と魔学 Ⅷ

 翌日、ミコリーナが部屋に現れたのは、正午も回りウィロットがお茶を入れ始めるころだった。

 雨季が近づき、窓から流れる風はべっとりと肌にまとわりつくようだ。

 彼女は一冊の本と数編の紙の束を手にしている。


「ミコリーナ、そちらの紙束は何ですか?」

「これは、その、書庫にありました刻死病に関する備忘録です。何かのお役に立つかと思いまして……」

「メモにも全て目を通しているのですか!?」

「い、いえ!そんなことはないんですけど、これに関してはわたしに関係があることですから……」


 彼女にとって他人事ではないのだ。書物が読めるのだから、当然彼女自身も刻死病について調べるだろう。

 調べる気があるということは、当然彼女も刻死病の完治を望んでいる。先日彼女が口にした、「今のままで十分」という言葉は本心ではないはずだ。


「ミコリーナ、少し聞きたいことがあるのですがいいですか?」

「はい、なんなりと」

「もしかしたら持ってきた資料にも書いてあることなのかも知れません。けど、わたしの質問には本の知識としてではなく、あなたの経験の中から答えてもらいたいのです」

「……は、はい。かしこまりました」


 ミコリーナは緊張で顔を強張らせる。

 俺と彼女の立場を考えれば、そうなることも仕方がない。


「あ、すいません。そんな緊張しないで、ゆっくりと答えてもらっていいですから」

「は、はい……」

「治療の時に癒しの奇跡を使うと言っていましたが、解毒の奇跡の間違いではないのですか?」

「いいえ、癒しの奇跡です」


 双子の神を崇める教会。その地位を絶対的なものとして君臨させる理由の一つが「神の奇跡」と呼ばれる魔法の存在だ。


 万象に存在する精霊の力を借りる魔法「精霊の加護」

 終末の龍の亡骸から授けられた魔法「魔術の門」

 そして双子の神の信徒に授けられる魔法「神の奇跡」


 前世において宗教に関して論ずる場合、まず最初に神の有無についての議論がされるだろう。

 この世界においては「神の奇跡」の魔法自体が神の存在証明になり、教会の力は強大になる。

 それでもヴィンストラルドやアルナーグにおいては、賢者の塔の影響が強いので教会が持つ影響力はさほどではない。しかしリュートセレンや南方のフラムヘイドにおいてはその影響力は強い。その中でもリュートセレンにいる教皇の影響は凄まじく、事柄によっては国王を遥かに凌ぐ権力を持つこともある。


 神の奇跡の中でも癒しの奇跡は最も身近で、教会に寄付をすれば誰でも受けることができる。

 その効果は外傷を癒すもので、骨折や大量の出血を伴う怪我、臓器に及ぶような怪我に関しては効果は限定的だ。

 解毒の奇跡においてはさらに効果が低く、体内における精霊の異常によって引き起こされる精霊病、その他軽度の毒や炎症にのみに効果があるとされている。


 この場合、ミコリーナの刻死病に効果があるのが解毒の奇跡ではなく、癒しの奇跡だというのはどういうことだろうか?


「解毒の奇跡は行わないんですか?」

「刻死病の治療には癒しの奇跡しか効果がないそうです……」

「けど、普通は癒しの奇跡って傷にしか効かないんじゃあ?」

「それはわたしにはわかりかねますが……」


 たしかにそれをミコリーナに聞いても仕方がない。

 それが答えられる人は、俺の周りにはイリュストラくらいだ。機会があれば聞いてみよう。


「ミコリーナの村では刻死病にかかった人は他にもいるということでしたね?例えば、その病気にかかった人に何か共通点はありませんか?」

「共通点……といいますと?」

「えっと、それじゃあいくつか聞きますね。男性と女性、どちらが多くかかりますか?」


 ミコリーナは記憶を探るような素振りを見せる。


「えっと、たぶん男女は同じくらいの割合だと思います」

「それは本を読んだ記憶ではなく、てムジカ村の話で間違いないですか?」

「は……、はい……」

「すいません、詰問するようなことを言って。けど、すごく大切なことなんです」

「はい。申し訳ありません……。ムジカ村のことで間違いありません」


 彼女に謝ることはないと伝えても、身分が上の者が言っても意味はないだろう。


「それでは……、子供と大人で、病気にかかる確率に違いはありますか?」

「それもないと思います」

「そうですか……。では、季節はどうですか?暑い時期に病気が出ることが多いとか、寒い時期に多いとか」

「それは……。一年を通して病気にかかる人はいますが、冬より夏の方が多い気がします」


 子供と大人では、意外と患う病気に違いがある。例えば体力的な違いや、日々の行動の違いによるものだ。

 そして季節も同じである。一般的に暑い時期より寒い時期の方が病気の発生は多くなる。しかしそれは、ウイルスが原因で引き起こされる病気に当てはまる。


「それじゃあ、身分や仕事によっての違いはありますか?ミコリーナの村ではほとんどの人が農業を営んでいますか?」

「はい。ただ、村長さんや相談役様、あとは神官様は農作業はしないと思います。村長さんの奥さんは刻死病にかかったことがあったと思います」

「なるほど……。少し聞きにくいことですが、ミコリーナのように刻死病が二つ現れ、亡くなった人を見たことはありますか?」

「……はい。わたしが村にいたのは十四歳の時までです。その間に五名亡くなった人がいました……。その中には、わたしの父も含まれております……」


 彼女はそう答えると、左手でキュッと胸元を掴んだ。

 

「それは……、辛いことを聞いて申し訳ありませんでした……」

「いえ……。恐れ入ります……」


 恐れ入ります、か……。

 無配慮な質問をしたのは俺の方なのに、なぜ俺が彼女から敬意を示される必要があるのだろう。

 とりあえず、このまま彼女を拘束し続けるのはあまりにも配慮が欠けている。


「わかりました、ありがとうございます。それでは、お借りした本を読ませてもらいます」

「はい、かしこまりました……」


 ミコリーナは深々と頭を下げ、部屋を後にした。


 俺はふうと重い息を吐く。

 もちろんミコリーナの刻死病を克服できればという思いで彼女に質問をした。しかし、なんの知識も権限もない身で、彼女の記憶に土足で入るようなまねをしていいのだろうか。

 最終的に、ミコリーナに期待だけさせてなんの成果もあげられない可能性もある。もっとも、彼女の態度を見ていると俺にはなんの期待もしていないようにも思える。

 要するに、余計なお世話ということだろうか?


 ふと、マリーが何か言いたげな視線でこちらを見ていることに気づく。


「どうした、マリー?何か気がついたことがあるのかい?」

「いいえ、そういうことではないのですが……」

「なんでも言ってくれていいよ」

「ミコリーナ様をお救いになるのですか?」

「救えるだなんて自惚れてはいない。けど、何か助けになれることがあればそうしたいとは思う。なんでそれが気になるの?」

「……普通お貴族様は平民のことなど気にかけません」

「そんなことないよ。いや、確かにそういう貴族もいるかもしれないけど、そうじゃない貴族もたくさんいる」

「そうでしょうか?」

「実際にアセリア……、アルナーグに返された俺の侍従長は、貴族だけどウィロットのことをとても気にかけていた。アゼルだって平民と貴族の立場には厳しいけど平民だからといって軽く扱ったりはしない。……そういえば、ミコリーナもあまり病気が治ることを期待していなかったように見えたけど、マリーは何かわかる?」

「……おそらくですが、刻死病の治療法が見つかったとしても、平民の彼女にはその治療が施されないと思っているのではないでしょうか。病気の治療費はだいたい高価で平民には用意できません」

「……ああ、そういう風に考えるのか」


 いや、それがこの世界では一般的な考え方なのだろう。

 前世のように、身分や貧富に関わらずとりあえず治療を行うという、ヒポクラテスの誓いのようなものは存在しない。

 当然保険などの仕組みも存在せず、高度な医療を受けられるのは貴族だけだ。


「羊皮紙の件よりミコリーナ様のことを優先されるのですか?」

「そうだけど……。別にここから早く出たいなんて考えていないからね」

「そうですか……」

「大丈夫ですよ、マリー。ユケイ様は絶対にミコリーナ様を助けてくれますから!」


 突然ウィロットが会話に割って入る。


「わたしは別に……、いえ、なんでもありません……」


 マリーはそう言うと、ぺこりと頭を下げて奥へ控えた。

 彼女には平民と貴族の立場について、何か思うところがあるのだろう。以前も同じようなことを言われた記憶がある。

 実際、俺自身思うところは多々ある。それは前世の価値基準からすれば当然のことなのだが。


「ユケイ様、それで病気を治す心当たりはあるんですか?」


 ウィロットの表情は心配気だ。

 考えてみれば、彼女も幼い頃に父を亡くして貴族の元へ勤めに出ている。自分の境遇にミコリーナを重ねているのかもしれない。


「とりあえずミコリーナが持ってきてくれた資料に目を通してからだけどね。ただ、普通の病気と比べて風土病はパターンを絞りやすいんだ」

「さすがですね!ユケイ様!」

「……適当に持ち上げるのはやめてくれよ。しばらく資料を見たいから、何か飲むものを用意してもらっていい?」

「はい、かしこまりました」


 そう言ってウィロットは、先に控えたマリーの方へ向かう。


 さて、どうしたものか……。

 とりあえず今までミコリーナから聞いた情報や彼女を観察した結果、一つの可能性が大きく浮かび上がってきている。

 しかしそれは、現在のこの世界の技術では、特定のしようがないものだった。



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