科学と魔学 Ⅶ
イリュストラの曇りない視線が真っ直ぐに俺を見つめる。
「イリュストラ姫、私は医者でも薬師でもありません……」
「そうでしたの?わたくしユケイ王子はお医者様かと思っていましたわ」
本気なのか冗談なのか、イリュストラは「あら?」と言わんばかりの表情を作り、右手で口元を隠した。
元気にはしゃごうとする彼女に、お付きのメイドが口を挟む。
「イリュストラ姫殿下、よろしいのですか?そろそろ戻らないとアン様に叱られます」
嗜められた彼女は、パクパクと何か言いたげに口を開くがどうやら諦めたようだ。
「ウィロットさん、次のお茶会にあなたを招待したいの。ぜひ参加して下さいませ!」
「えっ?……ええっ!?わたしをですか?」
「もちろんですわ。ウィロットさんはわたくしのお友達ですから!」
彼女はそう言い残すと、ご機嫌で部屋を後にした。
「ゆゆゆ、ユケイ様!お茶会ですって、どうしましょう!」
「落ち着け!冗談に決まってるだろう!」
狼狽えるウィロットを、カインがばっさりと切り捨てる。
「……冗談?」
「当たり前だろう!相手は王女殿下だぞ。平民なんかをお茶に誘うわけがないだろう!」
「そ……、それもそうですよね!」
いや、あのお姫様は本気でそう言っていると思うが……。過去にアルナーグで、ウィロットは王妃である俺の母のお茶会に参加しているのだが、そのことを覚えていないのだろうか?
「それではユケイ王子殿下、本に間違いがなければわたしはこれで……」
予期せぬ足止めを受けたミコリーナが、早々に部屋を立ち去ろうとする。
「ミコリーナ、待って下さい!先ほどイリュストラ姫がおっしゃっていた刻死病とは?あなたは何か病気を患っているということですか?」
「それは……。治療はしていただいていますので、たいしたことではありません……」
「……そうなのですか?」
ミコリーナの反応は……遠慮ということなのだろうか?
確かに病に関しては、第三者が不用意に口を出すべきではない。既に他の者の治療を受けているのであれば尚更だ。見たところ彼女には、不調と思えるような症状は出ていないようだが……。
「刻死病って聞いたことがある?」
俺は従者の顔をさっと見回す。
ウィロットとカインは「はて?」といった感じで顔を見合わせるが、マリーが小さく手を上げた。
「ヴィンストラルドの西方からリュートセレンで稀にかかるという、風土病だと聞いたことがあります。詳しくはわかりませんが、治療をしないと命に関わるとか……」
「えっ!?ミコリーナ、ほんとうですか?」
ミコリーナは返答に悩むが、やがて小さく頷いた。
「はい。その通りです」
「治療をしないと命に関わるということは、ミコリーナは治療をしているから大丈夫ということですよね?」
「それは……」
「違うのですか?」
「刻死病は完全に治ることはありません。治療をし続けなければいけない病気なのです……」
「そ……、そうなんですか……」
そうか。農村出身のミコリーナがヴィンストラルドで生活をしているのは、もしかしたら刻死病の治療のためなのだろうか?
「ミコリーナ、刻死病がどんな病気なのか、教えてもらえないでしょうか?」
ミコリーナは下を向いてしばらく考え込むが、やがて首を縦に振った。
「はい……、かしこまりました……」
彼女は左手を前に出すと、服の前腕部をそっと引っ張った。
真っ白な手首が露わになる。
「あれ?」
つい声を漏らしてしまった。
なぜかというと、つい数日前、ミコリーナに本を返した時に、予期せず同じ場所が見えてしまったのだ。その時その場所に、硬貨大の痣が二つ並んでいたはずだ。しかし今現在痣はすっかりと消えており、同じ場所には小さな黒子が二つ並んでいる。
「前に本を返した時……、確か四日前ですか?あの時そこに、痣が二つあったように見えました」
「お気付きになっていたのですね」
「すいません、偶然見えてしまって……」
「はい、これが刻死病です」
最初に見た時から僅か数日で、痣が消えるという不可解な変化をしている。いや、同じ場所に黒子があるから、小さくなったということだろうか?しかし、本来なら痣が治る時は薄くなって消えるのであって、小さくなっていくものではない。
「わたしの故郷であるムジカ村では、一年に数人、この病気にかかる者がいます。わたしは縁あってここで仕事を与えられ、定期的に治療を受けることができましたが……」
ミコリーナはヴィンストラルド西方の山間にある小さな村、ムジカ村の産まれだという。
ムジカ村はヴィンストラルド周辺より気候が暖かく、豊富な水を生かした稲作を主な生業としている村だった。
「刻死病は西方では珍しい病気ではありません。人によっては罹っても害はないのですが、場合によっては命を落とす事もある病気なんです……」
そう言いながら、ミコリーナは自分の手首を憎々しげに見つめた。
俺はミコリーナの説明を受け、刻死病はまさしく奇病と呼ぶのに相応しい病気だと思った。
アルナーグでも、もちろん前世の世界でも聞いた事がない。
刻死病は、いくつかの段階を経て進行する病気らしい。
その病にかかった人は、ある日突然体のどこかに小さな黒子が現れる。やがてその黒子は徐々に大きくなり、だいたい握り拳程の大きさになると、その痣は消えるらしい。
痣には微かな痛みと痒みはあるが、長くても一か月、短ければ二週間ほど経てば痣は跡形もなく消えるという。その場合は特に治療の必要も無く、生活にも支障をきたすことはない。
しかし稀に、体に複数の刻死病が現れる事がある。
それが離れた所に現れた場合には特に問題はない。それぞれの痣が大きくなり、やがて消えていくだけだ。しかしミコリーナの様に2つが隣り合って発症し、その痣が大きくなった時に重なる程の距離だった場合……。
二つの黒子が大きくなり、その痣がやがて重なる。本来ならある程度の大きさで消えるはずの痣が、その場合のみ大きくなり続けるという。たちまち痣は全身を覆い、それと同時に体は急速に衰弱をしていく。そしてその状態になった者は、ひと月を待たずに命を落とすのだ。
「……今までにその状態の刻死病から治療できた人はいないのですか?」
「例えばわたしの場合、この刻死病が出ている部分を切り落とせば病気はなくなると思います。しかしその手術を行なっても、生きていられる確率は半々だと言われました」
「それは……、そうかも知れませんが……」
医療技術が未熟なこの世界で、手を切り落とすなどという大手術を行えばその通りだろう。
手術自体も命がけだし、抗生剤も存在しないのだから術後の感染症を防ぐ手段がない。
「今行っている治療というのは、どんなことをしているのですか?」
「教会の神官様に癒しの奇跡を施していただくだけです。それだけですぐに痣は小さくなりますので。ただ、数日で痣は大きくなってしまいますので、週に一度は治療を受けなければいけません」
「週に一度教会から奇跡を受けるということは、寄付の量が莫大になるのではないですか?」
「わたしは教会に寄付ができるほどのお金をお仕事でいただけています。ですから、わたしは大丈夫なのです……」
ミコリーナはにっこりと笑う。それは、実に寂しそうな笑顔だった。
確かに彼女の才能は素晴らしく、その能力に見合った給金をもらえているのであれば生活をしていくことは可能だろう。しかしそれでも、その給金のほとんどは教会の寄付に消えているのではないだろうか?
当然田舎にいては、そんな給金をもらえる仕事はない。だから彼女は、故郷を出てここに来ざるを得なかったのだ。
しかし、彼女は十分に給金をもらえているのだろうか?平民の彼女にとって、貴族だらけの城の生活は決して気楽なものではないだろう。状況を考えれば、一時的に故郷へ戻ることも難しいのではないだろうか。そして、望まぬ仕事をさせられたりはしていないだろうか……
「ミコリーナ、私に何か手伝えることはありませんか?」
「……大丈夫です。わたしには神授の技術があります。それでお金をいただいて、十分に生活をしていくことができます。お慈悲はそれで十分です……」
「技術というのは本の内容を覚えるという能力のことですか?」
「はい、そうです。神官様は、これはわたしが刻死病という試練を受ける代わりに神様が授けてくれた技術だとおっしゃっていました」
「しかし、それでは稼いだお金が全て教会に持っていかれてしまうのではないですか?」
「それでもわたしは生きていけます。寄付のお金が用意できずに、命を落とした人を何人も見てきましたから……」
「しかし……」
「いいえ、大丈夫です。お貴族様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」
「そうですか……」
ミコリーナからは強い拒絶の意思を感じる。いや、身分の壁と言ったらいいのだろうか?
彼女が望んでいないのであれば、俺は口を出すべきではないのかも知れない。そもそも、口を出したとしても、俺には何もできない可能性が高い。期待を抱かせるだけになるなら、何もしないほうがいいのだろうか。
しかし……
「わかりました……」
「それではユケイ王子殿下、書物を読み終わりましたらまたご連絡を下さいませ」
「ああ、そのことなのですが、一つ書物を追加していただいてもよろしいでしょうか?」
「はい……。ですが、一度にお貸しできる書物は二冊までとなっています。巻物でもよろしいでしょうか?」
「そういえばそうでしたね。じゃあ、せっかく選んでいただいたところを申し訳ありませんが、一冊本をお返しします」
「かしこまりました。どんな本をお持ちすればよろしいですか?」
「はい。それでは……、刻死病に関する本をお願いします」




