科学と魔学 Ⅵ
「ユケイ様、ミコリーナ様がおみえです」
あれから俺は、羊皮紙の件を理由に、追加で書物を借りる許可をティナードからもらった。
実際には羊皮紙の調査というのは言い訳である。少なくともそれぐらいのメリットを与えられなければ積極的に取り組む理由がない。
ミコリーナには以前借りていた本を返し、その日のうちに俺が望む本を持ってきもらった。
前世でも図書館をよく利用していたが、本の検索はもっぱら備えてあるPCを使って行っていた。
希望の書物のニュアンスを伝えるだけで的確に本を選んでくれるというのは、司書の本来の業務だがミコリーナの優秀さにも起因するのだろう。
今更ながら、前世でももっと司書を活用するべきだったと思う。
「ユケイ・アルナーグ王子殿下、ご機嫌麗しゅうございます……」
「ありがとう。ミコリーナもご機嫌よう」
「ご要望はこちらの書物でいかがでしょうか?」
「はい。少し目を通していいですか?あちらにかけてお待ち下さい」
俺はソファーの方を指し示す。しかし案内されたミコリーナは、困った表情を浮かべてその場を動こうとはしなかった。
俺はそんな彼女を不思議に思ったが、ウィロットが彼女に声をかける。
「ミコリーナ様、大丈夫ですよ。今のユケイ様の従者はみんな平民ですから」
「えっ!?そうなんですか!?」
よほどびっくりしたのか、ミコリーナの声は今まで聞いてきた声量の、数倍はあろうかという程だった。
ああ、そういうことか。
本来なら王子の従者が平民のみというのは、考えにくいだろう。
ミコリーナにしてみれば、貴族であろう従者が立っているのに平民である自分が座るわけにはいかない。しかし、王子は着席を求めている。いったいどうすれば……と、いうことだ。
そうか。そういうことも考えなければいけないんだな。
「ほんとうはお貴族様の従者もいるんですけど、今はちょっと離れているんです。わたしは元農奴ですしカイン様は元罪人です。マリーはいろいろと謎ですけどわたしの後輩ですから。ミコリーナ様はどうぞ遠慮なく座ってください」
「俺は元罪人じゃない!あれは冤罪だぞ!」
ウィロットの口上にカインは反論し、マリーは謎呼ばわりされても興味はなさそうだ。
そんなやり取りを見て、ミコリーナは左手で口元を隠し、くすりと小さく笑う。
「ありがとうございます。わたしも小さな村の農民の出ですから、席を勧めていただける立場ではございませんが……」
「ユケイ様はそんなこと気にしませんよ。気になるようでしたらわたしも一緒に座りましょうか?」
「ウィロット!お前は立っていろ!」
ウィロットとカインが再び火花を散らす。
「すいません、俺が不用意に席を勧めたから。けどどうぞ、気にせずに座って下さい」
「……はい、ありがとうございます」
ミコリーナはそう言うと、遠慮気味に浅くソファーに腰掛けた。
マリーが何かを言いたそうにしている気がするけど……、まあいいだろう。
俺がミコリーナに頼んであった本は、インクや紙に関する技術書、そして幻術や透過に関連しそうな魔法に関する資料だった。そして彼女が持ってきたのは2冊の本と2本の巻物だった。
俺はそれらに、さっと目を通す。
書物にも当たり外れはある。系統だった編集方法が確立されておらず、一冊の本の中でも文法や表記が統一されていないなんてことが頻繁におこる。中には、最初に書かれたことが後になって全く別の結論として書かれたりすることもあるくらいだ。
彼女が選んだ本は、どれもとても良くまとめられているようだ。全ての本が頭に入っているというのも、信じてもいいように思える。
彼女の膨大な知識を頼れば、もしかしたら今回の件も簡単に解決するのではないだろうか?
「ミコリーナ、少し聞いてもいいですか?」
「はい。何なりとお聞き下さい」
とは言ったものの、流石にミコリーナに羊皮紙を見せるわけにはいかない。あまり突っ込んだ話になると、彼女に迷惑がかかる可能性もあるし……
「えっと……。例えば、文字とか絵とか、書かれているものを消す方法で何か特殊なものは思い浮かびますか?」
「書かれているものを消す方法ですか?それは……、何に何で書かれているかにもよると思いますが……」
「そうですよね。例えば羊皮紙に書かれてるとします」
「……はい。羊皮紙でしたら使うのは没食子インク、油絵の具、水彩、炭でしょうか。消すには削るとか塗り潰す、洗うという方法があると思います。油を使って洗うと綺麗になると読んだこともあります。そちらの本にもそのことは書いてあります」
「そんな細かいことまで頭に入っているのですか?」
「は、はい……。お仕事ですから……」
「他に何か変わった例はありませんか?」
「そうですね……」
ミコリーナは下を見てしばらく考え込むが、はたと何か思い浮かんだのか、面を上げた。
「とても特殊な例ですが、体に刃物で刻むというのを読んだことがあります。奴隷の背中に刃物で暗号を記し、傷に神の奇跡を施してそれを消したというお話がありました。けど、これは物語の中に出てきた一節ですので、実際にどこかで使われたとか、そういった資料は見たことはありません」
「なるほど、流石の記憶力ですね。司書の仕事をされるというのも納得です」
ミコリーナは俺の言葉に微笑み返すが、その表情はどことなく寂しげなようだった。
もともと記憶力が良いのだろうが、彼女の能力はきっと努力の賜物だろう。遠方の村の出身だということだが、城に召し抱えられるのも納得がいく。
しかし、どうやって彼女は在野の身から発掘されたのだろうか?農村出身であれば、そのような能力を発揮する場はあまりないようにも思えるが。
「ミコリーナは何がきっかけでお城に勤めることになったんですか?」
「そ……、それは……」
とたんにミコリーナの表情が曇る。
しまった。踏み込んではいけないことだったのだろうか?
コンコン
不意に扉がノックされる。
ノックの音に驚いたかのように、ミコリーナはソファーから立ち上がり左手でスカートのひだを整える。マリーがさっと近づき、ミコリーナのそれを手伝った。
誰だろう……?と思わなくもないが、事前の約束もなく現れるようなことをする人物に心当たりはそう多くない。おそらくこの訪問者はあの奔放なお姫様だろう。
「イリュストラ姫、今日はどうされたのですか?」
「ユケイ王子、それはあんまりですわ。わたくしは用事がなければ命の恩人に会いに来ることもできないのですか?」
今日の彼女は司祭服を身に纏っている。つまり、元気いっぱいの方のイリュストラだ。
「命の恩人なんて……。私は何もしていません」
「あら、ユケイ王子は勘違いしていますわ。今日はウィロットさんに会いに来ましたのよ。オルステッドの命の恩人ですから!」
「オルステッド……?あ、ああ……」
おそらくオルステッドというのはあの時ウィロットが救った白猫のことを言っているのだろう。
「うふふ、冗談ですわ。わたくしユケイ王子にいろいろとお話したいことがありますの……」
そしてイリュストラは、彼女自身とプリオストラ、そしてシャルロッテやオルステッドの近況を怒涛の如く話し始めた。
気の毒なのはミコリーナだ。突然前触れもなく現れた王女に、退室することもできず石のようにその場に留まることしかできずにいる。
「……それで、他の子たちはもう目が開いているのに、オルステッドだけまだ目が開きませんの。だいじょうぶかしら?」
「まだ産まれて一週間、本来でしたら目が開くのにはもう少し時間がかかります。何もせずに待っておくのがいいでしょう」
「それを聞いて安心しましたわ。プリオストラも最近少し元気になってきていますの。ユケイ王子がおっしゃるとおり、プリオストラには猫があまり良くなかったみたいですわ……」
「そうでしたか……。猫好きのプリオストラ王子には気の毒ではありますが、将来体質が変わることを信じて我慢するしかないでしょう」
「ええ、わかっていますわ。ユケイ王子に教えていただけなければ、いつまでも猫を隠し続けるところでしたわ!……あら?あなたは確か……」
ふと、イリュストラの視線がミコリーナを捉える。
ミコリーナはさっと膝を曲げ、イリュストラに向けて腰を落とした。
「イリュストラ・ヴィンストラルド王女殿下、ご機嫌麗しゅうございます……」
「ありがとう。ああ、そうですわ!司書さんでしたわね!プリオストラがあなたのことをとても褒めていましたわ!」
「ありがとうございます、王女殿下。ミコリーナと申します。先日は子猫の件でせっかく声をかけていただいたのに、お受けすることができずに申し訳ありませんでした……」
そういえば以前、猫の里親に誘われたと言っていた。
とりあえずこれで、彼女も退室するきっかけを得ることができるだろう。
「いいえ、わたくしもあなたのことを知らずに声をかけてしまい、ごめんなさい。その後、お体の調子はいかがですの?」
「はい、神のお慈悲をいただき無事でございます」
「もしかして刻死病のことをユケイ王子に相談されたのですか?」
「いいえ、ティナード様のお使いで……」
「そうですか。よろしければ癒しの奇跡を施しましょうか?」
「とても有難いお申し出ですが……、あの、司教様に怒られてしまいますので……」
「まぁ。……それもそうですわね。司教様はお金がお好きですから。余計なことを言ってごめんなさい」
「いえ。お気遣いありがとうございます」
刻死病?聞いたことのない単語が現れる。黒死病と言葉の響きは似ているが、ミコリーナを見る限り重篤な病気に感染しているようには見えない。そもそもであるなら、このように出歩くべきではない。
「そうだわ!ミコリーナ、刻死病のことをユケイ王子に相談されてはいかがかしら?ユケイ王子はお医者様でもいらっしゃるのよ!」




