科学と魔学 Ⅴ
さて、どうしたものか。
謁見が開かれる条件に、この件の解決が含まれていると考えたほうがいいのだろうか?
とはいっても、ヴィンストラルドも俺を延々と放置しておくことはできない。このままでもいつかは謁見は叶うだろう。しかしウィロットが言う通り、これの解明を理由に、再び図書室から本を借りるというのもありだ。
「とりあえず羊皮紙はウィロットの手の届かないところにしまわないとね。燃やされてしまっては大変……」
はたと、小さな可能性が頭を過ぎる。
「どうされました?」
「いや、炙り出しっていう可能性はあるかな?」
俺の言葉に、ウィロットとカインは顔を見合わせる。
「炙り出しってなんですか?」
「炙り出しっていうのは……とりあえずやってみるか。いや、羊皮紙だと難しいのかな?」
羊皮紙は文字通り、羊の皮を嘗めして紙状にした物だ。
火を使って表面を炙る炙り出しでは、表面の繊維が燃えてが変色してしまう。
そもそも炙り出しでは、一度確認できた文字が消えたという説明がつかない。
塩化コバルトを使えば消える炙り出しが作れると聞いたことがあるが。
「コバルトって手に入るのかな?」
その問いにカインが答える。
「コボルトですか?コボルトは洞窟や廃れた炭鉱を棲家にします。捕らえることはできるかもしれませんが、平野で奴等を見ることはないでしょう」
「いや、コボルトじゃなくってさ……」
コボルトは犬に近い顔を持つ妖魔で、山ゴブリンと呼ばれたりもする。ゴブリンと違い人を積極的に襲うことはないが、金属を腐らせるという噂から冶金を生業とするドワーフの天敵とされていた。ゴブリンよりは数が少なく、生活圏も人とはあまり重ならないので、遭遇する機会は少ない。
元の世界でも、コボルトが銀や銅を腐らせて別の金属にしてしまうという昔話があった。コバルトは昔コボルトによって腐食させられた銅だと言われた時期もあったらしい。
「……ってことは、逆にコボルトの棲む洞窟に行けばコバルトが取れるってことなのか?いや、コバルトはコバルトであるはずだから、コボルトに腐食させられた別の金属があるんだろうか?」
そんな俺を見て、カインが不満げにこぼす。
「それはいいのですが……、結局この羊皮紙を調べるということですか?」
「まぁ…… とりあえずね。本腰を入れるつもりはないけど」
「……そうですか。余計な事を招かないと良いですが。でしたら、せめて報酬は先に約束しておくべきです」
「うん、そうだね。……カインはだんだんアゼルに似てくるね」
「……アゼル様にはしっかりとユケイ様を見ておくように言われてますので」
カインはそれでも何か言いたげではあるが、とりあえずおいておこう。
本腰を入れないといっても、他にやることは何もない。暇つぶしにもなるし、単純に技術として興味がある。
「とりあえず、羊皮紙を用意してくれないかな」
マリーが数枚の羊皮紙の切れ端を持ってきて、俺の前に広げる。
切れ端なので大きさや形は様々で、中には書き損じを削って白紙に戻されたものもあった。
「ユケイ様、どうしますか?」
「そうだな……。例えば、魔法でこれに文字や図形を描くことはできるかな?」
「うーん……。わたしはそんな魔法聞いたことがないです。マリーは何か知ってますか?」
「……文字を書くなどの複雑な魔法は、精霊の加護には無理だと思います。魔術の門でしたらそういうものもあるのかもしれません」
ウィロットは両手を組み、首を傾げた。カインは我関せずである。
俺も魔法のことは色々と学んでいるが、マリーの言う通り精霊の加護の範疇ではないだろう。
精霊の加護では簡単な命令で表せる範囲でしか魔法の効果は発動しない。羊皮紙を光らせる、暗闇で覆う、せいぜいその程度だ。
一方で、魔術の門であれば全く事情は異なる。その内容や効果は非常に多岐にわたるのだ。ただ魔術の門とはいえ万能ではない。さらに精霊の加護と異なり誰でも使える物ではなく、眼にする機会もぐっと少なくなる。
では化学的に考えて、消えたり現れたりするインクはどうだろうか?
前世では消えるボールペンという物があった。
あれは特殊なインクが使われており、摩擦で発生した熱によってインクが見えなくなるという仕組みだ。鉛筆と消しゴムのように、書いた文字が消えてなくなるのではなく、インクが残っているが見えなくなっているだけである。だいたい60度の温度でインクが無色になり、マイナス10度になれば消えたインクは再び色が出てくる。
「とりあえず温めてみようかな?えっと、アイロンを持ってきてくれるかな?」
「はい」
マリーが木製の取手がついた、鉄の鍋のような物を持ってくる。鍋の中には火がつけられた炭が入っており、鍋の底を当てることによってアイロンの役割を果たすのだ。
「ありがとう、マリー」
「いいえ、危ないのでわたしがやります。どうすればよろしいですか?」
「あ、うん。じゃあ……」
とりあえず用意してもらった羊皮紙で試しを行い、例の羊皮紙の端の方から徐々に中央に向けて熱を加える。本物に何かあってはいけないので慎重にアイロンがけを行ったが、特に目に見えて変化が起こることはなかった。
「ダメか……。それじゃあ逆に冷やしてみようかな?」
とはいえ、この世界で羊皮紙をマイナス10度に冷やすのは簡単ではない。前世だったら冷凍庫に数十分放り込んでおけばいいのだが。
「魔法で冷やすことはできるけど…… 。水を凍らせれるから、零度はできるとして、マイナス10度は可能なのかな?」
問いかけられたマリーはキョトンとした顔をしている。
「まいなすじゅうどとはどのような状態のことですか?」
「あっ、そっか。えっと、物を冷やす魔法は使えないかな?」
俺の問いに対して、一同は首を横に振る。
マリーの反応は当然だ。この世界にはまだ、温度に対し数字を割り振るという概念がない。
まあ、消えるインクである可能性は低いから、とりあえず冷やすのは後回しにしよう。
「じゃあ、文字を書くんじゃなくて、書いた文字を魔法で見えなくするのは?」
俺の言葉を聞いて、カインの眉毛がピクリと動く。
「マリーは確か『姿を消す魔法』が使えただろう?」
カインの問いに、マリーは何も気にすることなく返事をする。
「はい、使えます」
俺はペンを手に取り、マリーが持ってきた方の羊皮紙に適当な文字を書く。
「マリー、それじゃあこの文字を魔法で消して見てくれるか?」
「はい」
マリーは羊皮紙に両手をかざすと、ゆっくりと魔法の詠唱を始める。
おそらく魔法の発動が終わったころ、ウィロットから「ああ、そっか……」と、微かにがっかりしたような声が漏れた。
「どうしたの?魔法は発動してる?」
俺には判別ができないので、ウィロットの目を頼るしかない。
「はい。あの、魔法は発動してるんですけど、文字だけではなく羊皮紙が消えてしまってます」
「ああ、なるほど。確かにそうなるか」
姿を消す魔法を羊皮紙にかけた時、消えるのは文字ではなく羊皮紙だ。
「ユケイ王子、もう魔法を解いてよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ。ありがとう」
「はい。魔法で文字を消せたとしても、羊皮紙を動かせば魔法の効果は消えてしまうと思います。持ち運ぶ羊皮紙に魔法をかけ続けるのは、少し難しいと思います」
俺が理解している『姿を消す魔法』の原理からしても、マリーの言うことは正しいだろう。
「じゃあ、『幻を見せる魔法』で文字が書いてあるように見せるのはどうかな?」
俺の問いに、マリーは少し思案を巡らせる素振りを見せた。
「『幻を見せる魔法』は幻を作るのではありません。魔法を人にかけて、その人に『幻を見せる』だけです。それなら偶然見かけた人が文字を読むということはないと思います。それにその魔法は、精霊の加護の中でも高度な魔法です。そんな魔法が使えるのは、エルフくらいではないでしょうか?」
「エルフか……。まあ、幻を見せる魔法の可能性はないね。俺の目には、確かにそこに羊皮紙があるのが見えているから」
俺は『魔力の目』を持たないから、当然魔法で作られた幻も見えない。
つまり、俺が見ている羊皮紙と皆んなが見ている羊皮紙が一様に白紙であるというなら、今現在なにも魔法は発動しておらず、発動していない状態で羊皮紙は白紙だということだ。
「魔法に騙されないっていうのは、『魔力の目』を持たない人間のメリットだな」
もちろんそれは、大きなデメリットにもなる。
「けど、魔石を使えば変わるかもしれません」
「魔石」とは、魔力を保持する性質があると言われている物質で、魔法自体を魔石に保持しておく、もしくは発動した魔法の効果を保持しておくことができる。
例えばヴィンストラルドへ向かう春を寿ぐ街道でアゼル達が行ったように、「持続光」の魔法を魔石にかけることで、発動した光を長く灯しておくことができるのだ。
魔石には魔力が蓄えられており、発動した魔法を魔石に肩代わりさせることができる。
例えば持続光の魔法を魔石に肩代わりさせれば、魔石内の魔力残っているうちは持続光の効果は続き、魔力が尽きれば効果は失う。
失った魔力は徐々に大気の魔力を蓄えるので、言うなれば、充電可能な魔力の電池のような物だろうか。
「そもそも魔法で何か細工されているなら、どう頑張っても俺には読めないよな」
だとしたら、これは本格的に化学の世界の問題なのだろうか?
であれば、ティナードの言う通り解決には俺が適しているのかも知れない。




