科学と魔学 Ⅲ
ミコリーナが部屋を訪れてから二日後、俺たちがこの部屋に入ってもう一月が経過していた。
ため息混じりにウィロットが愚痴をこぼす。
「ユケイ様。わたしたちはいつまでここにいればいいのでしょうか?」
ウィロットは時折街へ買い物に行くことが許されてはいるものの、随分と退屈な様子である。
マリーとカインは城から出ることもなく、完全に幽閉状態の俺に付き合ってくれている形だ。
「ティナードの話によると国王の謁見がまず最初にあるらしいけど、いったいそれがいつになるのか……」
「えぇー……」
「この後にティナードが来るから、その時に聞いておくよ」
「はい。約束ですよ?」
ウィロットはシンプルに不満を口にする。そんな彼女を見たカインが、声を荒げる。
「いい加減にしろ!ウィロット!アゼル様がいないからといって少しだらけ過ぎだぞ!なんだその言葉使いは!」
「……はい、申し訳ありませんでした」
そう答えつつも、ウィロットの表情は変わらずに不満気だ。
「カイン、そこまで怒らなくてもいいじゃないか……」
「いいえ!ユケイ様ももっと厳しく言って頂かないといけません!まったく、少しはマリーを見習え!」
マリーの働きはもちろん評価されるべきなのだが、それがカインの口から出るとは少し意外だ。マリーもずいぶんと株を上げたものだ。
「まあまあ。ウィロットももう少し我慢してくれよ」
「もう少しってどれくらいですか?」
カインは再びウィロットを睨む。まあ、確かに子どもみたいなことを言ってるとは思うけど……。
「国王への謁見は、アルナーグでも数ヶ月待つからね。イザベラ姫も、俺たちが来た時点で一ヶ月あの部屋にいると言っていたから」
「まったく……!小国だからといってアルナーグを軽く見て……!」
次の悪態はヴィンストラルドへ向く。いや、カインの怒りの大元は、俺がヴィンストラルドから軽く見られていると思っているからなのだろう。
「けどさ、謁見が行われたとしても部屋が変わるだけで俺の扱いは何も変わらないよ。人質である俺に、そもそも自由なんてないだろうし」
「そんな……」
「けど贅沢を言えば、賢者の塔の研究員とかさせてもらえたら嬉しいけどね。あとは書斎と工房があれば文句はないかな」
俺の言葉を聞いて、マリーが不思議そうな顔をする。
「以前もおっしゃっていましたが、工房とはどのようなものですか?」
「ああ、アルナーグの離宮には、工房……っていうか、研究室みたいなものがあったんだ。そこでいろんなものを作ったり研究していたんだよ」
「あの着火フリンジとかですか?」
マリーはそういうと、ポケットの中から彼女に下賜した着火フリンジを取り出す。
「うん、そうだね」
「……なぜ王子様がそのような職人みたいなことをされるのですか?」
「なぜって言われても……。便利になることはいいことじゃないか?」
「ユケイ王子が自ら火を点けることはないと思います。なのに、なぜ火を点ける道具を考える必要があるのでしょうか?」
「えっと、それはね、みんなの暮らしが少しずつ楽になれば、それは全て国の利益になるからだよ。といっても、本当は楽しいからやってるだけだけどね」
「楽しい……ですか」
不思議そうな顔をするマリーに、ウィロットが言葉を付け足す。
「ユケイ様のおかげでアルバートの生活はとても便利になってます!」
「確かに着火フリンジはとても便利な道具ですね」
「それを売って、たくさんお金も入ってきましたしね!」
ウィロットは自分のことのように得意気な顔を見せる。
彼女は俺の成果を俺以上に誇ってくれる。正直少し恥ずかしいが、それが俺の拠り所になっているのも確かだ。
「……教典には労働は神から与えられた罰だと書いてあります。働くのは平民の仕事ではないのですか?」
そんなに信心深い方では無いと思っていたが、マリーが教典の話を持ち出すのは少し意外だ。
彼女は何を言いたいのだろう?しかし時折、貴族と平民の立場を問うようなことを俺に投げかけたりしてくる。
「俺は聖職者じゃないから何とも言えないけど、自ら行う労働はそうではないと思っている。貴族でも平民でも、働かなければ生きていけない」
「そうでしょうか?働かずに搾取するだけのお貴族様もたくさんいます」
「うん、それはそうかもしれない。けど、そんな家は長く続かないよ」
確かに教典には労働は神が与えた罰だと書いてある。しかし、日本の古事記には、神は高天原で農業を営んだとも記されている。その差は宗教の違いというより、解釈の違いではないだろうか。
働くことは罰ではない。
もし本当に労働が罰ならば、より働かなければいけないのは貴族のはずだ。
「ユケイ様、ティナード様がみえました」
「ああ、うん」
ウィロットの声を聞いて、マリーはぺこりと頭を下げて奥へ控えた。
一方ウィロットは、雄弁に語る目で俺を真っ直ぐに見据える。彼女の目は、ティナードに早く謁見の場を作れと催促しろといっているのだろう。
「わかってるよ……」
「わたしは何も言ってません」
ウィロットはカインの視線を気にする様子もなく、奥にお茶の準備に向かった。
形式的な挨拶を交わし、俺とティナードはテーブルを挟んで向かい合う。
彼は今日、手荷物を持った見慣れない文官を引き連れていた。なんとなくだが……、嫌な予感がする。
「結論を申し上げますと、ローザ婦人はリュートセレンに帰されることとなりました」
「ああ……」
決して彼女の刑が無くなったわけではない。しかし、その裁きがヴィンストラルドではなくリュートセレンで行われるということは、彼女にとって有利に働くだろう。
とはいえローザは、国内で多くのものを無くすはずだ。それでも、きっと命を失うようなことはない。
「それで、イザベラ姫は?」
「彼女も近日に謁見が決まっております。今後は貴賓として、ある程度の自由が認められるはずです」
「そうですか。よかった……」
とりあえずほっと胸を撫で下ろす。
最後にイザベラを見た時、彼女はすでに限界を迎えていたように思えた。
これで少しは彼女の気が紛れてくれればうれしい。
しかし、イザベラは俺を怨むだろうか。
ふと視線を逸らすと、そこには心配気な目をしたウィロットがまっすぐにこちらを見ていた。
彼女が言いたいことはわかるし、なぜ今それを言い出したのかもわかる。
彼女の目には、今の俺があの時限界を迎えたイザベラのように映っているのだろう。あの少し生意気な言い方も実は照れ隠しで、彼女は常に俺のことを考えてくれているのだ。
「正直なところ、イリュストラ姫の件は藁に縋る思いでした。しかし、ユケイ王子にお願いして良かったと思っています。呪いの件だけでなく、イリュストラ姫も、プリオストラ王子も、とても……、とても力強くなった気がします」
「そうですか。それは良かった……。お力になれたのであれば幸いです。それで、国王陛下と私の謁見はどうなっているのですか?」
「それはもちろん考えています」
「……考えている?いつまでも此処にいろとおっしゃるのであれば、私もそれなりの態度に出ざるを得ません」
俺は少し声に怒気を含ませる。
これでティナードが萎縮するということは無いが、彼も優秀な人間だ。きっと俺の意図を理解してくれるだろう。
「……本当は、もう間も無く謁見が行われる予定だったのです。しかし、少し想定外のことが起きまして……。そのせいで予定が少し遅れてしまったのです」
おそらくそれは嘘だろう。いや、方便と言った方が正しいのか。
彼は今さっき、イザベラの謁見は決まっていると言った。その想定外のせいで俺の謁見が遅れたというのであれば、イザベラの謁見に影響がないのはどういうことか。
しかし、それを指摘してもどうしようもない。彼女の謁見を延期されても困る。
そもそも彼が今日ここに来たのは、わざわざイザベラたちの近況を伝えようという親切な目的ではないのだろう。その「想定外なこと」が本題のはずだ。彼が文官を連れてきことがそれを物語っている。
「ユケイ王子、こちらをご覧いただきたい……」
ティナードが後ろに控えた文官に目で合図を送ると、彼は手にした包みを解き、机の上に一枚の羊皮紙を広げた。




