エピローグとプロローグ
その後、イリュストラとプリオストラはアンにこってりと絞られたことは言うまでもない。
どうやら彼女は、たびたび食事や間食を着服し、シャルロッテに餌として与え続けたらしい。
先日のお茶会でマリーが拾い、ウィロットに食べますか?と聞いていた焼き菓子。どうやらあれも、猫の餌にしようとスカートに忍ばせ落としたようだ。
そもそも猫はそんなものは食べないし、食べさせるべきではない。シャルロッテがアンに発見されたことは、何をおいてもシャルロッテにとっての幸運だっただろう。
で、その中でも一番アンを怒らせたのは猫の捕まえ方だった。
イリュストラは乾燥させたまたたびの虫こぶと魔法を使って猫を酩酊状態にし、スカートの中のファージンゲールに括り付けて部屋まで運び込んだのだ。
間違いなく淑女がやって褒められることではない。
アンに叱られるのもやむなしだ。
それより、乾燥させたまたたび。それは木天蓼という前世でも有用に使われていた漢方薬だ。それは血行を改善し、冷え性、リュウマチ、神経痛や腰痛の薬として使われる。そして猿梨の根から作られる藤梨根という漢方薬と合わせて、子宮癌などの抗がん剤としても使われるのだ。
もちろん今のままの知識でイリュストラがそこに辿り着くことはないだろうが。
そういえばプリオストラが何か商売になるものはないかと探していた。
もし今後、彼らとの縁が続くのであれば、勤勉で心優しい双子の手伝いをしてみるのもいいかもしれない。
さて、とりあえずこれで……
「では、姫殿下の体調不良はコルセットが原因だったということですか……」
ティナードはやれやれと言わんばかりに首を左右に振り、メイドが用意したお茶に軽く口をつけた。
「一言でいえばそうなります」
「なるほど、人騒がせな話ですな……」
人騒がせ……?
全くくだらないとでも言いたげな態度である。
しかしそれは、今彼にお茶を出したメイドさえも抱えている辛さであり、イリュストラは幼さ故にそれに耐えられなかったのだ。
その苦しみを理解しようともしないティナードに、俺は明確な怒りを覚えた。しかしそれは、無知で無配慮な自分への怒りでもある。
俺はイリュストラに、立場を利用してコルセットを外すことを提案した。
しかし彼女は、俺の提案を受け入れようとはしなかった。
そうだ。それが常識であるこの世界において、そんなことは許されないのである。
世界は封建社会の真っ只中だ。
身分制度により、そして男女差別により、生まれながら明確な格差が設けられている。
平民は貴族のために存在し、女性は男性のために存在する。貴族社会において、男女差別はより顕著だ。
男に手を回されるために細く絞り上げられたウエスト。まさに男権社会の象徴ともいえる、女性を縛り付ける鎖だ。
イリュストラは司祭として務めることにより一時的にその鎖から解放される。ウィロットから聞いたのだが、アセリアも武装商隊と同行している時はコルセットを付けていなかったらしい。
もしかしたらアセリアが好んで商隊遠征に同行したのは、それが理由の一つにあったのかも知れない。
「ユケイ王子殿下、どうされましたか?」
「……いいえ、なんでもありません。それで、イザベラ姫とローザの件は約束通りお任せしてもよろしいですね?」
「……余計なことかも知れませんが、イザベラ様より他に望むべきものがあるのではありませんか?」
「いいえ、それだけで十分です」
「……かしこまりました」
そしてティナードは部屋を後にした。
扉が閉まる音と同時に、溜まった思いと共に大きなため息が落ちる。
「……ユケイ様、お茶を淹れますね」
「あ、うん。ありがとう、ウィロット」
考えてみればイザベラもローザも、封建社会の被害者といえる。
結局、俺は恵まれているのだ。
魔力の目がないということは、俺の立場があれば大した問題にはならない。むしろ、今までそれがメリットに働いたこともあったのだから。
それに、俺には前世で得た知識が備わっている。それは、この世界においては圧倒的に有用な力だ。今まではそれを、身の回りのこと以上に活用しようとは思わなかった。
しかし俺には、それを使って救える人がいるのではないだろうか……。
ウィロットの手によって、机にお茶が並べられていく。
漂う華やかな香りが、鼻腔をくすぐった。
「ユケイ様、ご判断に反対するわけではないのですが……、ローザ様のことは本当に宜しかったのですか?」
カインがポツリと呟いた。ふと彼の顔を見ると、明らかに「しまった」というような表情を浮かべている。
おそらく無意識に口から出てしまったのだろう。彼は言ってしまったものは仕方はないと言わんばかりに、表情を整えて俺をしっかりと見据えた。
顔には出さないものの、ウィロットやマリーも俺の返答を窺っているようだ。
カインは一貫してイザベラたちに情けをかけることに反対をしている。マリーも直接ローザに手をかけたのだ。表情から察すれば、彼女もローザの処分を望んでいると思われる。そして、アゼルがいれば、断固として二人の処分を望むはずだ。それでは、ウィロットはこの件について、どう考えているのだろうか……。
「俺は彼女たちに、同情しているわけじゃない。アルナーグは小国だ。リュートセレンの後ろ盾は失うわけにはいかない。アルナーグとリュートセレンの関係を崩さないためには、必要な配慮だよ……」
それに対して返事を返したのは、マリーだった。
「それは、イザベラ様やローザ様がお貴族様だから助けるということですか?」
彼女の目には、明確に非難の色が浮かんでいる。
「そうとも言える……。けど、言っても信じてもらえないかも知れないが、俺は助けられる人がいれば身分に関わらず助けてあげたいと思ってる……」
俺がそう思っていることには嘘偽りはない。
しかし、過去には俺が犯罪を暴いた結果、処刑になった人物もいた。彼とローザを比べれば何が違うのか、今は明確に説明することはできない……。
「マリー。私もウィロットも平民だ。そして、二人ともユケイ様に助けていただかなったら命はなかっただろう」
「いや、それは元々俺に関わったから二人は危険な目に遭ったんだ。義務を果たしただけで助けたなんて思っていない。それに……、今回に関して言えばもっと単純な理由があるんだ……。俺はこれでやっと、お母様への手紙に返事が書ける」
重苦しい沈黙があたりを包む。
それを破ったのはマリーだった。
「ユケイ王子、出過ぎたことを言って申し訳ありませんでした」
「いや……、いいんだ」
マリーはぺこりと頭を下げると、何事もなかったかのようにティナード来訪の後片付けを始めた。
ウィロットはそんなマリーをチラリと見て、俺にそっと耳打ちをする。
「あの、ユケイ様……。ローザ様もイザベラ様も、わたしにはお優しかったです……」
「うん、知ってるよ。大丈夫……」
ローザがウィロットを朝市に連れ出してくれた時、それは彼女の計画の一部ではあるのだが彼女は身分を超えて十分に丁寧にウィロットへ接してくれていた。
イザベラへの態度を見ても、彼女は十分に優しい人間だ。ただ、俺への恨みがそれに勝っていただけで……。
その日の夜。
俺は母に向けて手紙を書き、そして深い眠りについた。
心には多くのわだかまりが残ったままではあったが、一応の結末をみたおかげか、ぐっすりと朝まで目を覚ますことはなかった。
その結果、深夜に起きた事件については、翌日の朝にマリーから聞かされることとなる。
「ユケイ王子、昨晩お城に泥棒が入ったそうです」
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