春を寿ぐ街道 Ⅳ
北方で起こった鉄の国ライハルトによる武力侵攻。が原因だろう。
北方といってもヴィンストラルドにしてみれば隣国の話であり、すでに地図から複数の国が消え、あるいはその形を変えていた。
俺を差し出すというのは、同盟力強化という名の元に送り出された人質だ。
王族とはいえ……、いや。それが貴族であろうと、平民であろうと、家を守る為にはよくあることだ。
俺の前世では、家族の枠組みはある程度ではあるが自分で決めることができた。
その大部分が結婚と出産によって、又は離婚により変わる。
しかしディストランデでは、その枠組みを変えること自体が自分の家を守る、もしくは相手を縛るための手段として使われるのだ。
子の数は武器である。
優秀な子を多く作ること。それも王の大切な仕事なのだ。
婚姻が最も体裁が整う形だろうが、それには当然未婚でかつ年頃の男女がいる。
これは問題ない。
両家の関係性はある程度円満に保たれ、子をなすことで一両家の繋がりは一層強固なものとなるだろう。
次に養子に出すことだが、これは出す方にしてみれば少々一方的な話で、場合によっては大きな損失になる。
しかし、養子であればその者は相手側の権威を受けることができ、いつかは結婚することもある。
そして最後が、「子を出す」という行為。
養子であれば、相手の一族に入ることになるので、扱いがどうなるかは別にして、子の庇護は確約される。
しかし「子を出す」場合は、生活の保証はされるとしても、一族として迎え入れられるわけでもなく、当然結婚相手も用意などされず、次の沙汰が出るまで何もすることができないのだ。
出された後は、仕事をあてがわれることもあるし、何処かで幽閉されることもあるし、行ってみないとどの様な扱いを受けるかわからない。
もともと俺は幽閉生活だったので、それほど変わりないと思われるかもしれないが、アルナーグの離宮には書斎もあったし自前の工房もあった。
そして、王子としての立場も、環境を共にする母もいた。
こんな魔力も扱えない俺が、ヴィンストラルドへ連れて行かれて、この先どうなるのか全く解っていないのだ。
とはいえ、決まってしまったことをここで覆す事も当然できないし、誰か一人、それ以上指定がないのであれば、ここは俺が進んで買って出るしかない。
「出されるなら俺が適任だろ?エナお兄様は王位を継がなければならない。幼いノッセに行かすわけにはいかないし、フラウラには出来れば婿を取って欲しいしね......。 魔力の目を持たない俺が国に残ってもできることはないよ。むしろ、この日の為に生かされてきたんじゃないかって思ったくらいさ」
「失礼ながら、おっしゃることはわかります。しかし、王族であるアルナーグ家に、養子ではなく子を出せとは、余りにも礼を失してるのではありませんか?」
普段から皺が刻まれているアゼルの眉間に、より一層深い溝が刻まれる。
「同じ王家といっても、ヴィンストラルド家の方が上位だから仕方ないさ。それに、俺はそういう生活に慣れてるから、例え向こうで幽閉生活を送らされても問題ないよ。巻き添えをくらったアゼルやアセリアには、本当に申し訳ないと思っている」
「私達のことはどうでもいいのです。私が言いたいのは、王侯貴族としての矜持の話です」
「矜持かぁ...... 俺は幽閉生活が長いから、そこら辺はむずかしいな......」
アゼルはいつもと変わらない様な口調だが、長い付き合いだ、明らかに怒気を含んでるのがわかる。
その怒りが俺に向いているのか、人質を受け入れたアルナーグ王へ向いているのかまではわからない。
「だったらユケイ様が王様になって国を作っちゃえばいいんじゃないですか?ユケイ様が作る国だったら、きっとみんな幸せに暮らせると思います」
「ウィロット、滅多なことを言うなよ。王の耳に入ったら大問題だぞ」
突然の言葉に、俺は慌ててウィロットを嗜める。
そもそも前世で生活していた期間の方が長いのだ、矜持と言われてもこの世界の常識に馴染めないことなんていくらでもある。
その上公務にもほとんど関わらず、狭い離宮の中で長年生活をしていたのだ。
矜持とやらを学ぶ機会も少ないと言える。
何より、人の権利や命に関しては、ここでは恐ろしく軽く扱われ、その一般常識には一生馴染める気がしない。
離宮で一生を過ごすという俺や母にかけられた処置は元の世界では考えられないと思うのだが、早々に処分を下さないアルナーグ王は優しいという評価が下っている。
「養子じゃないんだから、もしかしたらいつか戻れるかもしれないだろ?俺としては、養子や婿に来いって言われなくって安心しているんだぜ?」
そもそも、俺の子も魔力の目を持たないのではと、当然思われる。
俺とつがおうなんて思うヤツは、一生出てこないだろう。
アゼルは何かを言いたげな目でこちらを見るが、そのまま口をつぐんだ。
言いたいことがいろいろあるのはわかる。
沈黙が微かに重いものになった気がした。
「ユケイ様、お茶のおかわりを用意しましょうか?」
沈黙を見かねたのか、ウィロットがそっと声をかける。
「ありがとう、けど大丈夫だよ。そろそろ出発しないといけないからね。地の国が指定した日までにヴィンストラルドに着かないとね」
「はい、わかりました。けど運が良かったですね。ちょうど消したばかりの炭跡が残ってるなんて。さらに火打金まで落ちてるなんて、誰かがここで休憩して下さいって言ってるみたいです」
そう言い残すと、ウィロットは出発の準備をするために荷馬車の方へ歩いていく。
「確かにそうだ……」
ここはリセッシュから1刻程の距離だ。今の時刻から考えれば、わざわざ炭を焚いて休むには、街へ行くにしても帰るにしても中途半端な距離でもある。
アゼルも同じ違和感を覚えたのか、一瞬俺と視線を交える。
「あら?兎かしら?」
不意にアセリアの声がし、同時に茂みの中から草が揺れるような微かな音が上がる。
「アセリア!馬車から離れろ!」
暗闇を切り裂くようなアゼルの声が響き、同時に彼は剣を構える。
アセリアはビクリとアゼルの声に反応し、アゼルの後ろに身を寄せた。
「ウィロットも来い!」
もしかしたらこの炭跡自体が罠で、何者かに待ち伏せをされているのかもしれない。
俺も王族として身を守るくらいの剣術は学んでいる。剣を抜きながらウィロットを呼び寄せる。
「はい!ユケイ様!」
彼女は元気よく返事をすると、荷馬車の御者台から飛び降り俺の方へ駆け出した。
彼女は走りながらスカートを捲り上げると、白い太ももに隠してあった短剣を抜きとる。そして俺の前まで来ると、物音の方へ向き直り短剣を突き出した。
「さあ!かかってきなさい!ユケイ様には指一本触れさせません!」
「お前は後ろだ!」
俺は慌ててウィロットを引っ張る。
「なんでですか?」
「なんでお前が前に出るんだよ!」
「わたしたぶん、ユケイ様より強いですよ?」
不満そうにウィロットが俺を見上げる。
「それは子どもの頃の話だろう!」
「今でもユケイ様には負けません」
「馬鹿なことやってないで!二人とも下がれ!!」
アゼルが一喝する。
緊張と共に辺りに沈黙が広がるが、誰も動かない中時間だけが過ぎて行く。
「……何もないのか?」
いくら待っても、何かが起こる気配もない。
「警戒を解くな……」
アゼルは慎重に音がした馬車に近づき魔法の明かりで照らしながら、荷車の足回りを確認している。もっとも俺にはその明かりは見えないので、闇の中でアゼルのシルエットが動くだけなのだが。
「アゼル、何かいるのか?」
「いえ……、特には……。アセリアの言う通り兎でしょうか?」
アゼルは警戒した面持ちでそう言う。
俺には見えないが、きっと荷車の下は魔法の明かりで照らされているのだろう。
「兎がいるのかい?」
微かに興味をひかれ、膝をついて荷車の下を覗き込もうとする。
「ユケイ様、膝をつくなど、王族としてあるまじき行為です」
アゼルにたしなめられ、俺はじっくりと下を覗くことは出来なかった。しかし一瞬だけ、確かに暗闇の中を何かが動くのを見た気がする。
もし俺に魔法の光が見えたなら、きっとそれが何かわかっただろう。
「......何もいませんな?」
アゼルはじっく荷車の下を観察すると、剣から手を離して警戒を解く。
「何もいないんだ」
微かに違和感を感じたが、それなら俺が見たのが気のせいだったのだろう。
「そろそろ出発しましょう。あまりにも遅れると、リセッシュの者にも迷惑がかかる」
本来なら、日が落ちた後は街に入ることはできない。
九の刻、前世でいうと午後6時の鐘で全ての街の門は閉ざされ、基本的に誰の出入りも出来なくなるのだ。
俺たちは王族の緊急な移動であり、事前にリセッシュ側に話が通してあるので、締め出されることはないが、あまりにも到着が遅れれば余計な誤解を産むことになる。
やがて準備が整い、一行は闇の中を進み出す。
満点だった星空は、いつのまにか薄く雲がかっていた。
「兎見たかったな」
「兎、美味しいですからね」
「兎食べるんだ……」
ウィロットが不思議そうに俺を見る。
闇の中に目を凝らすが、そこにはただ闇があるだけで、俺は何も見ることは出来なかった。