枢機卿 Ⅳ
それからしばらくして、イリュストラのメイドが彼女に何かを耳打ちする。
イリュストラは「まあ……」と小さく呟くと、名残惜しそうな表情を浮かべた。
「ユケイ王子、わたくし本当に楽しい時間を過ごすことができましたわ。ありがとうございました」
「こちらこそ、素敵なおもてなしをありがとうございます」
「わたくしたちはもう、お友達と思ってよろしいかしら」
イリュストラはにっこりと微笑む。
「ええ、イリュストラ姫。光栄です」
「ありがとうございます。……ユケイ王子、最後に一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「はい、私にできることでしたら何なりと」
イリュストラは「はい……」と答えるが、何やら言いにくそうにもじもじとしている。俺はその態度を見て、彼女が何を言わんとしているのかピンときた。
「そういえばイリュストラ姫、うっかりしていました。私はこの春、アルナーグからの移動でエオストレの寄付を怠っていました。司祭様の立場を通じて、お願いしてもよろしいでしょうか?」
そう切り出すと、彼女の顔がパッと輝いた。
司祭である彼女は、寄付金を集めるのも大切な仕事だ。枢機卿を目指しているのなら尚更だろう。
「はい、ユケイ王子。神は貴方の行いを常に見守ってくださいます」
「ありがとうございます」
「……それで、いかほどお受けいたしましょうか?」
そう言いながらも、彼女の表情には照れが見える。あまりこういう活動に慣れていないのだろうか?まあまだ十才の少女だ。姫とはいえ言い出し難いのは仕方がないだろう。
さて、いったいどれくらいが適当なんだろうか?
俺はアルナーグに比較的大きな商会を持っている。はっきり言って、金は潤沢にあるといっていいだろう。
貴族が国有事業でなく商会を持つ場合、平民が持つそれと比べて税金を二倍払わなければいけない。
しかし、慈善事業や寄付行為を行えば、その費用は全額減免の対象となるのだ。だからイリュストラへの寄付は、姫という人脈を得るために多少投資をしても利点の方が多い。
「それでは、金貨四百枚でお願いします」
「……えっ?」
イリュストラは俺の提示した金額に言葉を失い、どうすればいいかわからないといった表情でティナードを見た。
これはどういう反応だろうか?少なかったということか?
狼狽えるイリュストラに代わり、返事をしたのはティナードだった。
「ユケイ王子、お気持ちはありがたいのですが、教会への寄付に国のお金を使われると問題があります。寄付は王子の裁量で行える範囲でお願いしたいのですが……」
ああ、なるほど。俺は彼女らの表情の意味を理解した。
「ご安心下さい。私はアルナーグで商売をしていますので、それは私個人の裁量で動かせるお金です」
「なんと……、それは……」
どうやら俺が申し出た寄付金は、想定していた量よりも多いということらしい。
しかし、よくよく考えたらそうかもしれない。金貨四百枚というのは、金の価値で換算すれば前世でいう五六〇万円ほどにあたる。その場で即提示する金額としてはかなりの額だ。
しまったな、半分くらいでもよかっただろうか。
「ご商売……?ユケイ王子はご商売をされているのですか?」
イリュストラは理解ができないといった表情だ。
王家の人間としてみればそうだろう。
しかし、もともと俺はいつ国を追い出されてもおかしくない立場だった。その時のために、自分で稼ぐ手段を用意していたのだ。きっかけはいろいろあったが、多くの人の力を借りてなんとか無事に商売を続けられている。
「えっと、例えば先ほど話題にあがりましたメープルシロップですが、あれを販売しているのは私の商会です」
「まあ!そうですの!?」
「はい。メープルシロップはウィロットの家で作っているのですよ」
「ええっ!?」
イリュストラは感嘆の声をあげる。それは彼女だけでなく、先ほどウィロットを馬鹿にしたように笑ったメイドたちも同じだ。
「それでは、ご実家は十分裕福なのではないですか?なぜウィロットさんは毒見役なんてされていますの?」
皆んなの視線がウィロットに集まる。
彼女はごくんと唾を飲み込むと、辿々しく語り出した。
「あの、わたしは元農奴です……。わたしが八才の時に冬支度のお金が無く、ある貴族様に下働きとして売られました」
「えっ!?八才で!?」
イリュストラは驚くが、平民の間では珍しいことではない。
「その時、瓶いっぱいのお砂糖を駄目にしてしまいまして……。その時助けてくれたのがユケイ様でした……」
「まあ……」
イリュストラの瞳が好奇心でキラキラと輝く。
「その時ユケイ様はお砂糖を元に戻してくれたんですけど、それでも元の量に足りなくって……。それで、足りないお砂糖の代わりにメープルシロップを開発したんです」
「そうでしたの……」
「わたしがユケイ様の侍従をしているのはお金のためではありません。わたしはユケイ様に恩返しをするために、一生お仕えするんです」
ウィロットが語り終えると、辺りは一瞬水を打ったように静まり返る。
最初に口を開いたのは、興奮気味のイリュストラだ。
「す、素敵ですわ!ウィロットさん!まるでエッセの恋物語みたいですわ!」
エッセというのはイリュストラが贔屓にしている作家だろうか?先ほどまでは年齢の割にずいぶんと落ち着いた印象だったのだが、急に年相応な少女の顔をのぞかせる。
「素敵なのはわたしじゃなくてユケイ様です。ユケイ様は世界で一番素敵な人ですから」
「まあ……」
イリュストラは俺に向けて、羨望の眼差しを向ける。
「お、おい、ウィロット、それくらいにしてくれないか……」
「本当のことですから。あと、お貴族様がよく使ってますガラスのペン、あれもユケイ様が作った物です」
「まあ!それもお二人で何か事件がおありですの?」
「いえ、それはわたしじゃないです」
「あら、そうですの」
イリュストラは何故かガッカリとした様子だ。
「ま、まあ、そういうことで教会への寄付は税の免除にもなります。気になさらずにお受け取り下さい」
「はい……。本当にありがとうございます……」
彼女はそういうと、深々と頭を下げた。そして顔を挙げると、くるりとウィロットの方へ向き直る。
「あの、わたくしウィロットさんのお話をもっといろいろ伺いたいですわ!またお邪魔してもよろしいかしら?」
「えっ?……ええっ!?わたしですか!?」
「ええ!ご迷惑かしら?」
「そ、そんな……。けど、わたしお仕事がありますし……」
再びイリュストラが何かを言おうとしたところで、彼女のメイドが再び何かを耳打ちする。
おそらく予定の時間を過ぎていると言いたいのだろう。
「はぁ……。仕方がありませんわ。ユケイ王子、今日はもうお時間がありませんの。またぜひ次の機会も設けさせて下さいませ……」
彼女は椅子から立ち上がると、スカートの端を摘み可愛らしく礼をした。
「それでは皆様、ごきげんよう」
そしてティナードを部屋へ残し、イリュストラはメイドを引き連れて退室して行った。
部屋に残された花々と数々の調度品や食器。おそらく後で片付けに来てくれるのだろうが……、いったい何だったんだろう。
結局このお茶会は、イリュストラが俺に寄付を募るために開いたというのか?とはいっても、ティナードは部屋に残っているし。
何がどういう経緯でイリュストラが同席することになったのか、甚だ疑問である。
「ユケイ王子」
そんなことを考えていると、マリーから声が上がった。
「マリー、どうしたんだい?」
「あの、あちらの……。忘れ物でしょうか?」
マリーが指差す方を見ると、扉へ向かう途中に何かが落ちているのが見えた。
マリーが向かい、それを拾い上げる。
「何だった?」
「あ、はい。お菓子でした」
「お菓子?」
マリーの手の上には、確かに先ほどまでテーブルの上に出されていたお菓子が乗っていた。




